6月と言えば…雨だ。は水分満ち溢れる窓の外を嬉々として見つめていた。








それは、彼女が無類の雨好きなため。

かみなりまじりはもちろん、しとしと優しく降る雨。さらには嵐まで。ある意味最高に不謹慎だが、なぜか幼いころから雨が好きだったのだ。…土地柄的に、台風を味わったことがないからかもしれない。


「…なにを喜んでいる」


殺生丸がを睨みつけた。彼はとまったく逆で、雨がきらいだ。髪はくねるし、車は汚れる。


「だって雨って好きなんだもん~」
「変わった趣味だな」
「そう?」
「普通雨が嫌いだと言う人間が多いぞ」
「んー…じゃあ私って普通じゃないのかも」


といって、また窓の外を眺める。のいったことが理解できない殺生丸は、小さくため息をついて自室へ戻っていった。



◆ ◇



学校帰りにカラオケに言って、その帰り。は空からふる大粒の雨に、思わず顔を上げた。そうして思い出すのは、殺生丸のこと。


今日殺生丸は、車ではいけないところだからと徒歩で出かけていった。その際、彼に折りたたみ傘を手渡したのだが、普段から手に何かをもつのが嫌いな彼が、素直に傘を差しているだろうか?


そう思いながら、はお気に入りの傘を見つめた。確認のためだけにわざわざ連絡をとろうとは思わないが、多少は気になる。…なんとなく携帯を取り出して、じっと見つめた。


「―――…頭が悪いな、神楽」


そんな声が聞こえ、は驚いた。聞こえるはずはないのに。


「うるせぇよ。あんただっていつも傘なんてもってねぇだろ?今日はどうしたんだよ」


…振り向いた先で、女がいった。薄く口紅をひいて、小さく笑って…黒い折りたたみ傘に二人で、入っている。


「同居人に、持たされた」
「へぇ、それに素直に従ったんだ。あんたらしくないね」
「…そうかもな」


―――…見たこともない顔をしていた。


「―――殺生丸」


無意識に口をついた名前。そんなに大きな声でいったわけではないのに、名前の人物は振り向いて、驚いた表情を浮かべた。


「…、」


なぜここに? そう尋ねる前に、彼女は彼から逃げだした。早歩きで、決して振り向かずに。


今まで、彼には恋人なんかいないんだと、漠然と考えていた。夜の公園で、あんな風に自分を抱きしめた彼だから。けど、よくよく考えてみたらそんなわけがないのだ。…彼ほどの男を、周りが放っておくわけない。


「なんだよ殺生丸、知り合いか?」


神楽が言って、怪訝そうに殺生丸をのぞきこむ。…その瞬間見たこともないほどに驚いた彼がそこにいて、神楽はなにも口が聞けなくなった。


「…おい、」


、と声をかけようとしたが、歩き出していたは、少し遠い。殺生丸は自分の傘を神楽に押し付けると、の背を追って走り出した。





彼女は振り向かない。それでも、あきらめたりできない。妙な誤解をされたのは、の反応で一目瞭然だから。



◆ ◇



はとうとう走り出していた。追いかけてくる殺生丸が、あまりにもしつこいため。この際隠れてやり過ごそうかと思って、は公園に入った。そしてわざと、殺生丸から視覚になっている木陰に逃げ込む。


追いかけてきた殺生丸は、公園に踏み込んだ瞬間キョロキョロとあたりを見回した。おそらく公園の地理については、のほうが上だ。殺生丸は公園で遊ぶような子供ではなかったのだから。


は彼が公園から出ていくのを見ると、ほっと胸をなでおろした。そして音をたてないようにそっと、走り出した彼の後ろ姿を見送る。


「…ふぅ」


ようやく一息ついて、滑り台の足元まで歩み出た。…その瞬間、頭を支配する表情。殺生丸の、はじめて見る顔。


……綺麗だと思った、そして、悔しいと思った。その顔をむけたのが自分ではなくて、別の女だということが。


「あんな風に、何度も何度も抱きしめたくせに」


暗い部屋、桜の下、


「…悔しいくらい、優しいくせに」


届けてくれたお弁当、読んでくれた手紙、


「……いつもいつも、きれいな顔して」


怒った顔、呆れた顔、…笑った顔、


「彼女いるんなら……期待させないでっ!」


の叫びは雨音に吸い取られ、思ったより響かなかった。…それよりもずっと、心に響く。


「ばか…」


「―――…もう一度言ってみろ、
「、殺生丸!」


背後にはいつの間にか、彼が立っていた。長い髪も広い肩も、すっかり雨に濡れている。


「…人のことをばかと言う前に、自分の勘違いを恥じるんだな」
「なっ…なにが、」
「神楽は彼女ではない。同じ大学の後輩、そして…奈落の妹だ」
「―――…!」
「わかったか?」
「…でも」


彼のあの顔は、にとって特別過ぎた。本当に、見たこともない顔だったのだ。彼女ではないからといって、納得など出来ない。


「…別にごまかさなくたっていいよ。もうわかったから」
「わかってない」
「わかったってば!殺生丸は好きな人がいるのに平然とほかの女に手を出す軽い男だったんだ!」
「ふざけたことを、」
「ふざけてなんかないよ!私がどれだけっ…!」


―――どれだけ、傷ついたか。


雨音が、うるさい。殺生丸はそれをかき消すように、うつむいたを抱きしめた。


「ちょ…やめてよっ、離して!」
「離さない」
「やめてってば!」
「なぜ決め付ける、私があの女を好きだと」
「だって、あんな表情…!」
「――――――…に」
「え?」


「―――…お前にだけだ、笑えるのは」


雨音が、消えたような気がした。そして、殺生丸の冷え切った体温が、伝わってくる。すっかりの頭は混乱していた。


殺生丸はおとなしくなったをゆっくり離すと、雨で張り付いた前髪をそっと払いのけてやった。戸惑ったような瞳が合うと、指先で軽くおでこをたたいてやる。


「間の抜けた顔をするな。…私に認められたのだから、光栄に思え」
「―――う、…うん」
「先ほどの言葉、訂正しろ」
「え?」
「私を軽い男とか抜かしただろう」
「あ…気にしてたんだ?」


の言葉に顔をしかめた殺生丸。だが、特別否定はしなかった。…軽い男と言われて、気にしない人間などそうはいないだろうから。確かにが現れるまでは、殺生丸に言い寄る女も多く、来るもの拒まず去るもの追わずだったわけだが。


「…ごめんね、殺生丸」


がぺこっと頭を下げた。殺生丸はそれを満足そうに見やると、雨でぬれた髪の毛を翻した。


「…お前のせいで風邪を引くな」
「ごめんってば…ほら、傘入って、」


が殺生丸を、己の傘の中に引き入れる。
…肩が触れ合う。殺生丸はそれを出来るだけ気にしないようにしながら、彼女の手から傘を奪い取った。


「ちょ、殺生丸?」
「…帰るぞ」


そう、つむがれた言葉と同時に、殺生丸は歩き出す。はそんな彼の横で、薄い笑みをこぼしながら歩いた。


―――だから、雨はすきなの。 好きな人と近づけてくれるから。










2006.04.05 wednesday From aki mikami.