「いってきまーす」


土曜日だと言うのには制服を着て、学校に出かけていった。殺生丸はあぁ、と返事をしてそれを見送る。


ぱたん、とドアが閉まると、鍵をかける音がした。そして家の中には静寂が訪れる。




忘れ物





…あの花火の日から、二人に進展はない。殺生丸はに気持ちを伝えたが、当のはそれに対して"ありがとう"と答えただけで、殺生丸のことを好きだとも嫌いだとも言っていない。付き合うとか付き合わないとか、そう言う時限の話にもなっていない。きっとの中ではもう伝わっている気でいるのだろうが、殺生丸にして見ればハッキリしない今の状況が腹立たしかった。


…とは言っても、今は忙しい時期だろう。


文化祭が終ったら受験のことも考えなければならない。そもそもあの学校の文化祭はおかしいと殺生丸は思っている。


推薦受験が始まるか始まるか始まらないかの時期に文化祭をするなんて。


殺生丸はリビングに戻ると、食器棚から自分のマグカップを取り出した。落としてあったコーヒーを注ぐと、それを持ってテーブルまで歩いてくる。そしてふと、上においてあるものに目がとまった。


それは見取り図のようだった。黒板、とかかれていることからおそらく教室の見取り図だろう。殺生丸はすぐに、が忘れて言ったものだとわかった。なぜならそこにはどのように飾り付けするのかが綺麗に色まで塗って書かれていたからだ。


昨晩遅くまで何か作業をしていたのは殺生丸も知っていた。が、なるほどこれのためだったらしい。確かには以前殺生丸に、クラスの飾りつけの責任者を任されたと嬉しそうに話していた。


…これを忘れては、まずいのでは…?


殺生丸はコーヒーをテーブルに置くと、自室まで戻った。枕元の棚に置いてある携帯電話を取ると、サブディスプレイをのぞく。そこにはいつもの通り時刻が表示されていて、メールや着信がきている様子はない。どうやらは忘れていることに気づいていないらしい。


殺生丸は軽くため息をつくと、携帯を持ったまま再びリビングに戻った。椅子に座って、先ほど放ってきたコーヒーを一口含む。テーブルに肘をつくと、軽くこめかみをおさえて目を閉じた。


自分自身でも自覚していた。のことになると甘い、と。それは好きなのだから当然だろう、と思う反面、今までの自分とのギャップに自分自身で戸惑っている。


人と関わりあうのが好きではなかった。子どものころからだ。それはきっと、父親の後ろについて大人達の汚い話をたくさん耳にして来たからだろう。そして物心ついた頃には既に一人でいた。が来るまで殺生丸はほぼ一人で暮らしていたわけだが、そんな生活がもう7、8年続いていたのだ。


は、そんな殺生丸の生活をガラッと変えた。


殺生丸は立ち上がると、ぬるくなったコーヒーを一気に流しこんだ。マグカップをシンクに置いて水に浸した後、一度部屋まで戻ってクローゼットに掛けてある上着を取る。それを羽織ってポケットに携帯を突っ込むと、机の上においてある車のキーを持って、再びリビングに戻った。


…もう考えるのは止めよう。


の忘れていった見取り図をついている折り目の通りにたたむと、それもポケットに突っ込んだ。そして足早にリビングを出、靴をはき、玄関のドアを開ける。…少し冷たくなってきた空気。だが、まだ夏の余韻が残っている。


ドアを閉めて鍵を掛けると、エレベーターに向って歩き出す。複雑な気持ちを忘れようと、ただ前だけを見ていた。



◇ ◆



殺生丸がのクラスについたとき、教室の中には数名の女子しかいなかった。そしてその女子は全員窓の方に固まってなにやらもめている。その中にとかごめの姿もあったので、殺生丸は仕方なく二人に近づいた。



「っ!!わっ、せ、殺生丸!!」


突然のことに驚いているとかごめ。そして、の異変に気づいて振り返ったほかの女子からは黄色い歓声が上がっている。


「…ど、どうしたのっ?」
「忘れ物だ。…これがないと困るだろう」


そう言って殺生丸がポケットから取り出したのは、昨日が遅くまでかかって書いた飾りつけの見取り図だった。


「あ、ありがとう殺生丸!取りに帰ろうかと思ってたの!」
「さすが!気が聞くのね♪」


とかごめが言ったひとことに殺生丸は気分を害したらしい。思い切り顔を顰めた。あはは、ごめんごめん、とわざとらしい謝罪をかごめが言ったとき、の隣にいた女の子が突然あの、と話に入ってきたので全員でそちらを振り返る。


「あの、…あれ、取れませんか?」


といったところで、とかごめはあぁ!と納得して殺生丸を顧みた。


「ね、ねぇ殺生丸、ちょっとあれ見て!」


がぐい、と腕を引っ張って窓の外を促す。たちの教室は2階にあるのだが、そこは丁度生徒玄関の目の前で、庇がある。そこの端の方に、何かふわふわしたものが転がっている。…それはどうやらすずらんテープでつくられた、いわゆる"ぽんぽん"と言う奴らしい。…一体あれでなにをするのだろうか、はたはた疑問だが、要はあれを取って欲しいのだろう。


「…あれをとればいいのか」
「うん。…ここ結構高いから降りるの怖くってさ…」


例えばこの場に犬夜叉がいれば万事解決なのだろうが、残念ながら男子はクラス対抗でやるステージ発表の練習に行っている。


「お願い、殺生丸!」


に頼まれればやるしかないだろう。殺生丸はを窓から離すと、来賓用のスリッパのまま窓の縁に足を掛けた。そのまま軽く窓から出て下に着地すると、何でもないことのように端まで歩いていって、"ぽんぽん"を拾い上げた。


それを持ってまたひらりと教室に戻ってきた殺生丸に、女子はみんなわぁっ、と歓声を上げた。…別の意味も混ざっていそうだが、そんなこと、殺生丸にとっては関係ないことである。


「ありがとう殺生丸!」
「…あぁ」


にそれを手渡すと、殺生丸は少し砂がついたズボンをパタパタと払った。そんな姿すらも格好いいということなのだろうか。女子の黄色い声は修まらない。…が、殺生丸はすっかりそれに慣れているためほとんど気にせず、見向きもしない。…逆に、それを気にし始めたのはだった。


「な…なんかみんな凄いね…」
「うん、まぁ殺生丸格好いいからね」


とかごめ。はまじまじと殺生丸を眺めた。


確かに殺生丸は綺麗な顔をしているし、体形もすらっとしている。普通の女子ならそれだけですぐ好きになるだろう。


「っ…せ、殺生丸!ちょっときてっ…!」


は僅かに焦りを感じていた。他の人間に殺生丸を取られるかもしれないと言う焦りを。
彼の腕を引っ張って、教室から外に出る。そこからどこに行くかも決めずに階段をくだると、自然と玄関前に辿り着いて、そこで止まった。人影はなく、静まり返っている。


「…なんだ」
「あ…や、その…」


なんだ、と言われると別に、だ。特別用があるわけではない。が何も答えずにいると、殺生丸は小さくため息をついた。


「あそこにいてはまずいことでもあるのか」
「え?や、ち、違うけど…」
「じゃあなんだ」
「その…えっと…」


が何も言わないでいれば、殺生丸はあからさまに不機嫌になってくる。言うしかないと、は意を決した。


「…み、みんなが…きゃーきゃー言ってたから…」
「だからなんだ。…あんなのは慣れている」
「で、でもっ…」
「大体前に学校に来た時もああなっていたのを見ただろう」


…思い返すと確かに殺生丸の言う通りだった。以前闘牙主催のパーティがあって、学校を早退した日のことだ。殺生丸は今よりたくさんの女子に囲まれていた。


「…あのときとなんら変わりない」
「そうだけど…でも嫌なの!」
「何故だ」
「っ、それはっ!」


ばっ、とが顔を上げて殺生丸を見あげる。…そのときの彼は、とても意地悪そうに笑っていた。


「…わざと言わせようとしてるでしょ…」
「何のことだ?」
「ばかっ!」
「……いいから…教えろ」


口角をあげる。の顔が見る間に赤くなっていった。


「…他の人にとられるの嫌だから…!」
「……まぁ、今日はそれで勘弁してやる」


本当はもう少し言わせたかったとは口に出さずに、殺生丸はの頭を軽く叩いた。そこを抑えて恥ずかしそうにするは、とても高校3年生とは思えない。だが、そう言ったらきっと殴られるのだろうと思ったから、それもしばらく黙っていることにした。


その後が教室に戻ると、クラスの子たちの質問攻めにあったとか、そうじゃなかったとか。









2007.02.07 wednesday From aki mikami.