その日は朝から雨が降っていた。空は薄暗く、窓から入る光もどこか淀んだ色をしている。
かごめは始終ぼーっとしているを横目で見て、小さくため息をついた。
けじめ
がああなったのは、昼休みからだった。奈落に呼び出されたのだ。それから何の話をしたのか、聞いたのだが、彼女は深く考え込んでいるようで、かごめの言葉に耳をかそうとしない。
「どーしちゃったのかな、」
「さぁ?」
かごめの心配をよそにさして興味のなさそうな犬夜叉がけろっとした声で言った。
「なによ、心配じゃないわけ?」
「オメーが心配したってしゃーねーだろーが。自分ひとりでじっくり考えたいことだってあるだろーし。相談できるときがきたら、向こうから相談してくんだろ」
「…そーかもしれないけど」
犬夜叉の言いたいことはわかるし、それがある意味正しいとも思う。だが、かごめはやはり親友として、犬夜叉のように割り切ることができない。大体女子というものはそもそも心配性である。
「…私、やっぱり聞いてくる!」
「あ、おいかごめ!」
犬夜叉の制止を完全に無視して、かごめはのほうへずんずん歩いていった。それに気がついたが、あまりの怖さに少しだけビクついた。
「!」
「え、な…なに、かごめ…」
「さっきからあんたおかしいわよ。なんかボーっとしちゃって。…どうしたのよ」
の前の席に勝手に座って、彼女の顔を正面から覗き込む。は思わず目をそらしながら、うん、と曖昧に頷いた。
「…なに、話せないこと?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど…」
「じゃあ何よ。…なんか隠し事されてるみたいで、ちょっといや」
「…じゃあきくけど… …私が同じ大学にいくって言ったら、殺生丸は……なんていうかな」
「え?」
「だから…
「さん!」
の言葉が、必要以上に明るい声にさえぎられた。二人が顔を向けると、彼女はにこ、と笑う。
「…平見さん。…どうかした?」
「私たち、今大事な話してるんだけど」
「えへへー、あのねー」
かごめのにらみをものともせず、平見と呼ばれた女子はの前に黄色い物体を差し出した。あまりに突然で、それが何なのか把握するのに少し時間を要した。
「…バナナの、缶バッチ?」
「うん!最近はまってるんだ。かわいいでしょ?」
「うん、かわいいね」
「でしょでしょー」
の手に缶バッチを置いて、楽しそうに笑う。そして、ポケットの中からもうひとつ、同じバッチを取り出した。
「それ、あげる。だから一緒にさ、胸ポケットにつけてよ」
「え?」
「ね、おそろいで。いーでしょ?」
は渡されたバッチと彼女を交互に見た。…確かにバッチはかわいいが、制服のポケットにつけるようなものではない。学生かばんにつけるくらいなら喜んでつけるが、制服となるとかなり気が引ける。
彼女は最近、やたらとに付きまとっているとクラスで有名だった。彼女自身は隣のクラスでほとんど交流がなかったのだが、体育が2クラス合同で、そのとき偶然、彼女の分のバレーボールを拾ってあげたのがことの始まりだ。体育で同じ班になるとか、クラスに遊びに来るとかはいいが、何か気に入った小物を見つけるとやたらとおそろいにしたがり、これでもうかれこれ3回目になる。最初はシャープペン、次にキーホルダー、そして今回は缶バッチだ。
「いーでしょって…何勝手なこと言ってんのよ。制服にこんなのつけるなんてね、いやに決まってるでしょ!」
「なによー、日暮さんに聞いてないじゃない。私はさんとお話してるの」
「私のほうが先にと話してたのよ?勝手に割り込んできて何よその言い方!」
「同じクラスでいつでも話できるんだから、別のときに話せばいいじゃない」
「だからさっきも言ったけど、大切な話をしてたのよ!」
「大切な話って?」
「え、っと… 進路よ、し・ん・ろ!」
「進路の話?」
それまでかごめに向けていた視線を急にに戻すと、彼女は楽しそうにねぇ、と話し始めた。
「さんって、進路決まった?」
「え?…あ、決まってないけど」
「、こんなやつ無視しなさいよ!」
「なら、私と同じ大学行こうよ」
しん、とその場の空気が停止した。聞き耳を立てていたほかの人間も皆、彼女の言葉に耳を疑う。も、言葉を返すことを忘れて呆然と彼女を見た。
「さん頭いいし、どこでもいけるよ。だから、ね?」
「え…あの…」
「ちょっと、何バカなこと言ってるのよ!」
我を取り戻したかごめが、苛ついた様子で声を張り上げた。平見が鬱陶しそうに視線を向ける。
「大きな声出さないでよ。耳が痛くなっちゃう」
だめだ、こいつは。クラスの誰もがそう思った。…彼女が有名なもうひとつの理由は、とんでもなく自分勝手だということだ。は何かを言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
そのとき、始業を告げるチャイムが鳴った。それを聞いた平見が、じゃあ戻るね、といって手を振りながらその場を去っていく。あとには、いやな静寂が残った。
「…な、何よ、あれ……」
かごめがぽつりとつぶやくと、クラス全体がざわざわと沸き始め、とまっていた空気がようやく動き出す。は平見の言葉を、頭の中で反復させていた。
◇ ◆
授業が終わって教室から出ると、妙な人だかりができていることに気がついた。それもいるのは女子だけだ。聞き覚えのある黄色い声が聞こえる。
もしかして…
人ごみの向こうに目をやると、そこにはやはり…殺生丸が立っていた。
「殺生丸…」
「来たか」
慣れた様子で人ごみを突っ切り、の前に現れた殺生丸。…あの日から気まずい状態が続いていたので、彼がここにいることがいささか信じられなかった。
「…もしかして…迎えに来てくれた?」
「私がここにくる理由が、ほかにあるか」
「ないけど…」
素直にそうだといってくれればいいのに。はそう思ったが、自分も素直にありがとうといえないことを考えると、とてもそんなことはいえなかった。
殺生丸はのかばんを奪い取ると、身を翻して足早に歩いていく。後から女子の声が追いかけてこようが、彼はお構いなしのようだ。はその後ろを追いかけながら、複雑な気持ちになった。
相当自分勝手なことを言ったのだ、殺生丸が怒るのも無理はない。だからこそは何も文句が言えないのだ。だが、自分の恋人が女の子にキャーキャー言われているのは、やはり見ていたくはない。それに、今日の昼のことも彼に話したかったが、言ったら怒られてしまいそうで、怖くていえなかった。
無言のまま玄関につく。相変わらずそこらにいる女子がうるさい。どうやら在学中の殺生丸を知ってる人間もいるようで、殺生丸さま!と親衛隊よろしく声をかける人間もいた。だが、当の殺生丸は当然覚えているはずもなく、さらりと無視して玄関をくぐろうとした…が、そのとき。
「さん!」
殺生丸ではなく、を呼ぶ声。振り返ると、ピンク色の傘を持った平見が立っていた。
「…あ…平見さん…」
「偶然だね!もう帰るの?」
「うん…今日は特に何もないし…」
「じゃあ、途中まで一緒に帰ろうよ」
「……ごめん、今日は迎えが来てて」
「え、そうなの?」
「うん…」
そういいながら、はちら、と殺生丸を見た。待たされて機嫌が悪そうだが、平見はそれがわからないらしく、ふーん、と興味がなさそうにを見返した。
「ね、それよりさ、さっきの話、考えてくれた?」
「え…?」
「大学の話!行くとこ決まってないんでしょ?」
「あ、うん…ねぇ、その話、明日じゃだめかな?待たせてるし…」
「いーじゃない、少しくらい待たせても!」
「…」
突然殺生丸が二人の間に入ってきて、じ、とをにらみつける。が小さく震えるのもかまわず、胸の缶バッチを指差して、言った。
「……これはお前の趣味か」
平見に押し付けられた缶バッチ。違うよ、と即答したいところだが、本人が目の前にいるためそうも言いにくい。うん、まぁ…と曖昧に答えたに、殺生丸はぴしゃりと、うそだな、と言った。
「お前はこういう趣味ではない。…こいつに押し付けられたんだろう」
「な、何よその言い方!」
言われた平見が当然黙っているはずもなく、殺生丸に食って掛かった。だが、彼のほうはそれを気に留めた様子はなく、のほうをじっと射抜いている。
「…え、っと……」
なんと答えたらよいかわからず、は黙り込んだ。殺生丸からも平見からも、続きをせかすように視線が送られる。周囲の人間が、面倒はごめんとでも言うようにさっと引いていった。
「…お前はいつもそうだ」
そう口を開いたのは、殺生丸だった。
「お前はいつも、他人の目を気にする。気にしすぎてこういうことになる。…少しは自分の意見を言ったって、誰も怒ったりはしないし、お前を嫌いになることもない」
「……」
今日の彼の言葉は、いつもの有無を言わさぬ言い方ではなかった。…子供に言い聞かせるような、諭すような話し方。は顔を上げて、殺生丸を見た。…怒っている様子はない。
「…ごめん、平見さん」
いいながら、は缶バッチをはずした。
「これはかわいいと思う…けど、やっぱり制服につけるのはちょっと変だと思う。…私、かばんにつけて歩くから」
「さん…」
「それとね、大学のことなんだけど…私、自分できちんと決めたい。"平見さんと一緒"のところに行くんじゃなくて…"自分が行きたいところ"にいきたい。だから、もうちょっと自分で考えてみるね」
「……う、うん」
「じゃ…また明日。 行こ、殺生丸」
殺生丸の手を引いて、歩き出す。少しだけ、迷いの晴れた顔で。…残った平見は、呆然とその姿を見送っていた。
◇ ◆
「ありがと、殺生丸」
車に乗り込んですぐ、は彼を見て言った。
「…思ったことを言っただけだ」
「それでも…ありがと」
目をそらす殺生丸も気にせずに、小さく頭を下げる。シートベルトを締めながら、あのね、と話し始めた。
「…私…この半年、殺生丸にすごい迷惑かけたと思う。すごいわがままたくさん言って、謝らなきゃいけないこともたくさんあると思う。…こないだのことだって、私のわがままなの、わかってる。……ごめん」
「…」
「でも…これからの半年は、多分もっと迷惑かけると思う。もうすぐ受験だし…普通の恋人同士みたいには、なかなか行かないと思う。…それでも、私は…殺生丸と、別れたくないの。…さっき殺生丸が…もっとわがまま言ってもいいって、言ってくれたから…だからね。
―――…あと半年、私のわがままに付き合ってくれませんか…?」
を振り返ると、彼女は顔を俯けたまま、ひざを強くつかんでいた。泣きそうになっていることが、顔を見なくてもわかる。殺生丸は前を向いたまま、の頭に手をのせた。
「…もとよりそのつもりだ」
がゆっくりと振り返る。目が合った殺生丸は、にしかわからない表情で静かに笑った。
「っ、ありがと、殺生丸…!」
「ただし条件がある」
急に、それまでとは違う低い口調で言われて、はびくりと肩を震わせた。殺生丸は目線はに合わせたまま、口角を上げてにやりと笑う。
「…お前はさっき、私たちが恋人同士だといったな」
「そ、そうだけど…」
「…知っているか? …私はあの花火の日、お前を好きだといった。…だが、お前はそれに対して「ありがとう」としか言っていないことを。好きだとも、嫌いだとも、付き合うとも、何も言っていない」
「…え、そうだっけ…?」
は呆けた様子で、花火の日のことを思い出していた。そんな彼女の耳元に、殺生丸はそっと唇を寄せる。
「…好きだといえたら、いくらでも付き合ってやる」
その言葉に、の顔が真っ赤に染まった。恥ずかしいのだ。殺生丸は当然それをわかっていて、を見ながらニヤニヤと笑った。
「ど…どうしても…ですか…」
「いやならいいんだが」
「っ、意地悪!」
「…今さらだと、前にも言ったな」
「ううぅー…」
小さくうなり声を上げるに、殺生丸は自分の耳を寄せる。早く言え、と催促するように、横目で鋭く彼女を射抜いた。…どこまでも意地が悪い。悪いが、ここは言わざるを得ない。
は殺生丸の耳に唇を寄せると、かすれる様な小さな声で一言、好き、とだけ囁いた。
「…お前にしては、上出来だ」
「~~~~っ、馬鹿っ」
そういって、どちらからともなく唇を重ねる。たこのように赤くなったの頬を、殺生丸の冷たい手が包み込んだ。
「…馬鹿とは、ずいぶんだな」
「馬鹿だよ。馬鹿。大馬鹿」
「…これからは一人で勉強しろ」
「、うそうそ!うそですー!」
あわてて弁解するの言葉を聞きながら、殺生丸は車を発進させる。今までの気まずさがうそかのように、は穏やかな気持ちになった。そして、昼間のことを思い出す。
…誰になんと言われようと、関係ない。
「…あのね、殺生丸。…私、 殺生丸と同じ大学に行くよ」
殺生丸が、一瞬のほうを振り向いた。
「今日ね、奈落に呼び出されて。進路はどうするかって聞かれたの。…殺生丸と同じ大学にいきたいですって言ったらね、…殺生丸はそれを望むのかって言われた。…でも、関係ないよね。殺生丸が望んでなくても…私は、殺生丸と同じ大学に行きたい。今はやりたいことも、将来の夢も何も決まってないけど…親が帰ってきて、離れて暮らすことになっても、殺生丸とはずっと一緒にいたいから」
「…お前がそれでいいのなら、そうすればいい」
「うん」
大きく頷いて、うれしそうに笑う。車が信号待ちでゆっくりととまると、前を見据える彼の横顔に、小さく口付けを落とした。
2007.11.25 sunday From aki mikami.
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