木々の隙間から、橙色の光が差し込んでいる。りんや邪見はまだ寝ている時間だが、殺生丸は寝つくこともできずに居た。

それというのも、先ほどから耳について仕方ない歌があるからで。

その歌は、遠くから聞こえているはずがまるですぐ耳下で歌われているかのように…心に直接語り掛けてくるかのように、心地良い声だった。


彼の足は、自然とその声の方に向かっている。自分で行きたいと思っているわけでもないはずなのだが、…まるでひきつけられるかのように、本当に極自然に動いていた。
森を抜けて、橙色の光が更に強く感じる。一瞬だけ目を細めたが、切り立った崖の上にたつ黒い人影に、彼は自然と目を奪われた。


ゆっくりと、歩み寄って見る。するとその歌は途切れて、その人物が殺生丸の方を振り向いた。その瞬間、朝陽で橙になっている長い髪が、やけにまぶしく風に揺れた。


あと、一歩のところまで来る。其処からお互いに動かない。殺生丸は動かなくなってしまった左手とは逆の手で、その人物の頬に触れた。すると。


「っ!止めてくださいっ…」


女にしては少し低めの声でそんな風に言って、パンッと軽く手を弾かれる。まるで触れられたことで彼の存在に気づいたかのような反応に、殺生丸は軽く目を細めた。

女は殺生丸の手を弾いた手を逆の手で押さえて、顔を隠すように俯いている。だが、やがてゆっくりと顔を上げ、そろそろと殺生丸の指へ手を伸ばした。

彼の指先に触れ、爪を触り、腕から二の腕、それに髪の毛に掛けて。

探るような手つきで、下から上へとその手は伸びていった。


「細い指…長い爪…貴方は、妖怪?」
「…」


彼女の問いかけに、殺生丸は答えずに居た。すると、彼女はそれも気にせずに更に続ける。


「がっちりした腕…男性…?でも、髪は長いわ」
「長髪の男も居る」


そこで漸く殺生丸が喋ると、女は小さく肩を震わせる。だが、次の瞬間には笑顔になって彼からスッと手を放した。


「…男の、方なんですね」
「…」


そんなもの、見れば判るだろう。そんな言葉が出て来そうになる。だが、彼女の瞳を見た瞬間、その言葉は無駄な言葉へと変化した。


…橙の瞳。


それは、決して人を見る事の叶わない目。どんなに行使しても、真っ白い光の世界しか、見る事の出来ない目。


そう、彼女は目が、見えないのだ。


「…判りますか?」
「…」
「私は、目が見えません」


そう語る彼女は、普通となんら変わりなく見える。…だが、やはりその目は見えないのだろう、全ての動作が恐る恐る、ゆっくりとしていた。


―――彼女が妖怪であることは、すぐに判った。彼にとっては微々たる妖怪であっても感じ取り、見つけ出すことは何の苦でもない。だが、妖気だけではその者の諸事情までは分かるまい。
殺生丸は小さく溜息をつくと、彼女をゆっくりとその場に座らせ、自分もその隣に座った。


「…唄を」
「え?」
「唄を…聞いた」
「あ・・・」


一瞬恥ずかしそうな表情を見せた後、「聞いちゃいましたか」と呟く女。殺生丸は「あぁ」と呟いて、もう随分登ってしまった朝陽に目をやる。…もうすぐりんや邪見も起きてくるだろう。


「森の中まで響く、唄だった」
「あ…もしかして起こしましたか…?」
「まぁ、な」
「御免なさい」
「…別に良い」


"どの道、眠る気などなかった" そんな大嘘を彼女に吐いて彼は彼女から目を逸らす。本当は連日の無駄な戦いのせいで、少しだけ疲れが来ていた。先ほどまでは、唄っている本人に会ったらひと言文句を言ってやろう、それぐらいのことは思っていたと言うのに。
…いざ彼女に会って見ると、そんな事も言え無くなってしまった。


「…あの」


不意に、彼女からそんな声が掛かる。殺生丸は首だけを彼女の方へ動かして見たが、そう言えば彼女は目が見えないのだと思い返して、「何だ」と小さく答えた。


「貴方の、名前を教えて頂けますか?」


見えて居ないはずの目で殺生丸を見据えてくる。…それは確実に見えて居ない…筈なのに、その瞳には殺生丸の姿が、はっきりと写っていた。


「…殺生丸」
「殺生丸…様?」
「お前は」
「私は…
…?」
「そう、です」


俯いて、小さな笑みを零す。…その横顔が、少しだけ憂いを帯びて居るように、殺生丸には思えた。


もうすぐ日が昇りきる。そうなればりんも邪見も起きて来て、殺生丸もそろそろ戻らなければならない。…だが、腰を上げたその瞬間に、またすぐその場に座り込みたい衝動にかられた。勿論そんなわけにも行かないが。


「…殺生丸様?」


訳が分からない、といった声で、が彼の方を振り返る。やはりその目は何も見えて居ないのだろうが、まるで「行かないで」と訴えて居るように、彼には見えた。だが、行かないでと言うその願いに、答えてやることは出来ないだろう。


「…私は、もう行く」
「……そうですか…」


その声が、落ち込んでいることをありありと表す。殺生丸の中に、痛みにも似た感情が走った。


…それは、ほぼ無意識の世界。意識していたなら、そんな風に体は動くはずがない。
朝日に照らされるの肩を掴んで、少し強引に振り向かせて。


―――その驚いた瞳も気にせず、触れるだけの口付けを、落とした。




「…っ」




離れた瞬間に、顔を真っ赤にして口元を押さえる。殺生丸はそんな彼女に背を向けて、さっさと歩き出した。