いつだって笑っているは、殺生丸にとっては疑問の対象。




「殺生丸っ」




今だって、笑いながら殺生丸を呼ぶ








白い靄の掛かった中、水音が妙に大きく響いている。そんな中を、殺生丸は一人で歩いていた。


どこまでもどこまでも白く続いている道。果ての見える様子はなくて、もちろん現実おかしい訳で。


殺生丸が顔を顰め、足を止めた時。


パタパタと、後ろの方から足音が聞こえてきて、振り向けば。


ドッと、誰かに追突された。もとい、抱きつかれた。  に、きつくきつく。


あまりに突然の事で目を見開く。殺生丸がの肩を掴んで自分から少し引き離すと、見上げてくる彼女の顔は、この上ないほどの笑顔で。


彼の中に、何か湧き上がるものが在った。ドクッ、と心臓が一つ脈打って、表情を固める。




その瞬間、頬を撫でる冷たい風によって、現実に引き戻された。







目を覚ました殺生丸は、予想に反して動揺している自分に驚いた。在り得ないと想えるほど、心臓が高鳴っている。例えば突然奈落に不意を討たれたとしても、死んだはずの父がこの場に甦ったとしても、ここまでに成るだろうか。


そんな迷いにも似た感情を払うために、彼はすぐ傍の川を目指す。冷たい水が、もしかしたらこの気持ちを流すかも知れないと想って。







+ + +







さらさらと音を立てて流れる川の水。朝だから顔を洗いに来たは、後方に殺生丸の気配を見つけ微笑んだ。


それなりに早い時間なのでりんも邪見も阿吽もまだ眠っている。ので、一人で水を呑みに来たにとって、誰かがいると言うだけで妙に嬉しい気持ちになった。


呼ばれた殺生丸は顔だけをに向けて目を細めた。トクッと胸が一つ鳴って、先程の夢を思い出す。


の隣まで歩んでいけば、殺生丸を振り向いてまた笑みを見せる。そして彼が立った侭で居るのを見て、腕を引いて座らせる。殺生丸は驚きながらもされるが侭に足を組んで座った。


小鳥の鳴く音が、小さく彼の耳に届く。それに混じって聞こえるのは、が水面を足で蹴るバシャッと言う音。


それだけで、殺生丸の心は困惑に包まれる。今が隣に居るというだけで、自分が何をすれば良いか分からなかった。




「ねぇ、殺生丸」




不意に、が彼に声を掛けて、殺生丸は平静を装いながら彼女を横目で見た。




「殺生丸ってさ、夢って見る?」




突然にそう問われ、殺生丸は一瞬だけ目を見開く。まるで自分を見透かしているかのような問いに、動揺を覚えた。




「私ね、今日厭な夢見たんだ」




殺生丸の返事も待たずに、自分の話をすすめる。その顔からして殺生丸の動揺には気付いて居ないようで。殺生丸はそんなの話に耳を傾けた。




「殺生丸とね、旅をする前の夢なの。私、ずっと苛められてきたから…その時の夢」



俯いて、哀しげな声音でそう漏らす。その顔は、湧きあがってくる感情を必死で抑えているようで。殺生丸は言葉を掛ける事すら出来ずにから顔を逸らす。




「ねぇ殺生丸、貴方は…どんな夢、見るの?」




不意にそう尋ねられて、殺生丸はまた目を見開いた。今まで必死に冷静を保とうとしたが、僅かに肩が震えてしまう。がその変化に気がついたのか、僅かに首をかしげた。それから彼の顔を体を伸ばして下から覗きこめば、その時の彼の表情に驚いた。


僅かに、赤らんでいる頬。 細められた目。


それはが始めて見る、彼の「照れ」と言う表情だった。いや、だけに限らず殺生丸が照れるなど、誰でも見た事が無かった。




「殺生丸…?」




ジ、と殺生丸を見つめる。殺生丸は湧き上がる感情を抑えつつも、から目を逸らそうとする。だが、どこを向いても必ずが視界に入ってきて、彼の行動はただの無駄なあがきに終った。



理性と言う留め金が外れれば、後は本能の侭。それは人間だろうが妖怪だろうが同じで。



――――その瞬間、全ての音が無くなる錯覚。



は突然の事に、状況を把握しきれず表情を固めた。の視界いっぱい、彼の向こう側の景色が見える。それがどういう意味をさすのか、は暫くわからなかった。


背に回された右腕。 耳元に置かれている、殺生丸の顔。


は殺生丸に抱き締められる形になっていた。




「殺生丸…」




やっと硬直から脱してその状況を把握した時、の口からは呟きに似た声しか出てこなかった。本当はもう少し言いたい事があるはずなのに、幾ら絞り出しても声はでてこない。




「……




耳元で低く殺生丸に囁かれ、は一瞬だけ目を細める。彼の手がの後方で移動して、彼女の黒く長い髪を優しく梳く。それだけでは、まるで溶けるかのような感覚に襲われた。




「っ 殺生丸っ」
「…お前の、夢を見た」
「え…?」




突然に先程の問いに答えられ、間の抜けた声を出してしまう。その時ゆっくりと、彼の手がから離れた。




「あのっ、殺…」
「黙れ」




再び低く囁かれ、離された筈の右手がより強くの頭を捕まえる。まるで彼女を逃すまいとするように、きつくきつく抱き締めた。はそれに、抵抗する事も喋る事も出来ない。
彼の気持ちに答えるように、自分の腕を殺生丸の背中に回した。









2005.01.06 thursday From aki mikami.