その髪は、濃緑。着物はそれより薄い緑色で。


今までに感じたことのない妖気だと、殺生丸は想った。





の唄声






「……何か…御用ですか」




目の前の女が言うと、殺生丸は僅かに目を細める。ザアッと流れてくる潮風が、彼の長い髪を優しく梳いた。




「…ここで、何をしている」
「……海を…眺めています」




殺生丸の問いに女が答えると、ふわりと笑って振り向く。それから流れるような髪を掻き揚げて、再び海に目を向けた。




「…感じた事のない、妖気だ」
「そうでしょうね。私、珍しい妖怪らしいので」




くすくすと微笑んで殺生丸をちらと見る女。
殺生丸はそれに目を細めると、女の隣に並んで同じように海を見つめた。




「…何の、妖怪だ」
「海亀」
「…海亀?」
「そう、海亀」




ザァッと風が吹き付けて、二人の長い髪をさらって行く。殺生丸は女の顔をチラッとみると、すぐまた目を逸らした。




「…海亀はもう少し温かい海に居る筈だ」
「そうです、本当は。…私、逃げてきたんです」
「逃げて来た?」
「そう。 …他の、仲間から…」
「・・・家族は」
「兄弟、姉妹…沢山いたけど、皆死にました。私達って、生存率が低いから。…両親は、顔も知りません」
「…」




女の言葉に、沈黙する殺生丸。ツィっと顔を女の方へ向けると、僅かに首を振った。




「…名は」
「…、と言います」
「…




呟いて、の濃緑の髪に触れる殺生丸。するとは突然に目を見開いて、ざっと殺生丸から離れた。




「っ…御免なさい。
 でも、あの…」
「……」




が言葉に詰まると、殺生丸は目を細めて彼女を見る。…彼女は真っ赤だった。




「この時期、海亀は発情期なのっ。だから…」




―――触らないで。

がそこまで言うと、じわっと目に涙を浮かべる。殺生丸はそんな彼女に小さく溜息をつくと、人差し指でそのたまった物を拭った。




「…駄目…なの…私っ」
「何が…駄目なのだ」
「…私…子供なんて欲しくないっ…産まれてから…一度も世話してあげられないなんて…」




ツゥッとの目を伝う涙。


海亀は、海岸に穴を掘って卵を産み落としてゆく。それゆえ、母親が子供を育てると言う事は無い。


の涙はまるで、海亀に産まれたこと自体を悔やんでいるようだった。


殺生丸はに分からないように小さく溜息をつく。それから彼女の頬に残る水のしみを掻き消すように、優しくその頬を包んだ。




「…発情期とは、丁度良いな…」
「あっ…貴方も…?」
「あぁ」
「…でも、子供はっ」
「私も、子供は要らぬ主義だ」
「っ」




シュルッと、の着物を脱がす殺生丸。それから自分の鎧も脱ぎ捨てて、に口付けた。


潮の香りのする風が、二人を一つに結びつけるように吹いていた。









+ + +









「そう言えば、貴方の名前…聞いてませんでしたね」




が殺生丸に抱かれたままで言うと、殺生丸は笑いこそしないものの随分穏やかな顔を彼女に向けた。




「…殺生丸」
「殺生…丸…?」
「あぁ」
「…何だか、強そうな名前」




ふんわりと笑って彼に言う
殺生丸はそんなの頭を撫でると、自分の胸にうずめさせた。




「…寝ろ」
「…はい」




殺生丸の言葉に、ゆっくりと目を瞑る。殺生丸はそんなを見ると、再びゆっくりとその髪を撫でてやった。




「殺生丸様…」




不意にが彼を呼び、呼ばれた殺生丸は手を休めずに「何だ」と呟く。




「……犬と海亀の子供って…どうなのでしょうか…」




か細い声で囁くように言うに、殺生丸が僅かに目を見張る。するとはきつくきつく殺生丸に抱きついて、軽く首を振った。




「あまり考えないでいるつもりだったのですが…御免なさい…」
「……」




が言って、顔を上げる。それから殺生丸の顔を、切なげに見つめた。




「…」




殺生丸は対応に困り、黙りこくってしまう。正直彼はのような事、一切考えていなかったのだから。


殺生丸はから目を逸らすと、必死に思考を巡らせた。


―――すると、急にの体が光始める。殺生丸はそれに目を見開くが、どうやら自身、自分に何が起きたのか分かっていないようだった。


光がだんだんとおさまってくる。はきつく瞑っていた目をゆっくりと開くと、己の体に起こった異変に目を見開いた。




「…えっ…この爪…」




が自分の手を、何度も何度も表裏して見る。だが何度見ても、それは先程までの短い爪ではなかった。




「…これじゃまるで…」




―――犬の爪。


は殺生丸の唯一ある手を取って、自分のそれと比べて見る。指の形こそ違えど、その鋭さ、伸び具合などは、彼とほとんど違いは無かった。


更には腕の模様までがくっきりと移ってしまったようで。殺生丸は僅かに目を見開くと、彼女の顔をぐっとひきよせ、少々乱暴だが口を開かせた。


…彼女には無いはずの牙。


どうやら完全に、は犬になってしまったようだった。




「…私…犬に…?」
「…」




の呟きに、黙って思考を巡らせる殺生丸。そしてふと、記憶の奥から出てきたものがあった。




「…適正…か」
「適正…?」




が聞くと、殺生丸は乱れた着物を直しつつ立ち上がる。それからに背を向けて言った。




「異種間との交わりを持つ事は、普通あまり考えられないことだ。だが、その繁殖力の弱さ故、
 多種と交わる事で体の構造自体を組み変える種族があると聞いた」
「それが…海亀?」
「…そうだろうな」




着物を着直して尋ねるに、振り向かぬままで答える殺生丸。は帯をキュッと締めると、殺生丸に歩み寄って僅かに苦笑した。




「…私は犬になった、と言う事ですね」
「…あぁ」




振り向いて、をきつく抱き締める殺生丸。は突然の事に驚いて、少々戸惑ってしまった。




「…殺生丸様…?」
「…いいのか」
「え?」
「その体では、仲間の元にも帰れぬだろう」




そう言って、腕の力を強くする殺生丸。はそれに苦笑すると、彼の背にゆっくりと手を回した。




「元々、仲間の元に帰る気はありません。だから、謝らないで下さい」
「しかし」
「そのかわり、お願いがあります」




が言って、ふわりと笑う。すると殺生丸は僅かにを離すして目を細めた。




「…願い?」
「はい。…私を…ずっとお傍に置いてください」




そう言って、殺生丸にぎゅっと抱きつく。殺生丸はそれに僅かに目を見開いたが、すぐに穏やかになってを抱き締めた。


潮がザァッと音をたてて、二人の耳に心地良く届く。まるで唄声のような、落ち着いた音だった。











~オマケ~




「殺生丸様」
「…何だ」
「あの…」




がゆっくり尋ねると、殺生丸は振り向いた。だが、は顔を伏せたまま何も言わないで居る。殺生丸はそんな彼女の頬を包むと、上を向かせて「何だ」と尋ねた。




「あの…子供は…どうすれば…」




は言うと、殺生丸は目を細める。それを見たは、慌てた様子で彼に言った。




「そ、その…殺生丸様は…子供を作らない主義って…だから、殺生丸様が嫌ならば、産みませんがっ…その…本当は子供…好きなので…」




そこまで言って、口ごもる。殺生丸はそんな彼女に本の一瞬苦笑すると、
彼女に背を向けてしまった。




「…好きにしろ」
「っ…殺生丸様!」




はパァッと表情を明るくすると、彼の手をぎゅっと握る。




「ありがとうございます!!」




そう言って、軽い足取りで歩き出した。




その一年後、見た事もない子供に驚く犬夜叉と、それにときめくかごめ。


そして不服そうにしながらも、慣れた手つきで子供を抱く殺生丸が見られたとか。












2005.02.14 monday From aki mikami.