静まり返った森の奥から聞こえる、清涼な唄。殺生丸は導かれるように、発信元を目指した。

満月によく似合う唄は、彼の僅かな好奇心をかきたてる。悲しげな詩が、心に響いていく。




月の夜に出会う
この先ずっと
忘れぬように
月の雫よ
どうか どうか 刻みつけて

優しい笑みで 笑わせて―――





森を抜けると、そこには大きな湖がある。そして、そこに立っているように見える女。…体が青く光っている。


殺生丸は一歩踏み出した。踏まれた青草が小さく音をたてる。…振り向いた女は、白い顔をしていた。


「…起こしちゃったかしら」


そう言って、笑う。殺生丸は黙ったままで、女に一歩近づいた。


「……綺麗な人」


女も一歩、殺生丸に近づく。湖のように透き通った声と、整った顔が笑った。


「ありがとう」
「…」
「あなたでしょう、あの瘴気を止めてくれたのは」
「何のことだ」
「上流にいた鬼。あれが、この湖だけじゃない…この辺り一帯の水を、汚していた」
「…」
「だから、ありがとう」


その笑みは、美しかった。何もかもが清涼で…殺生丸は、女の髪を軽く梳いた。


「…名は」
。あなたは?」
「…殺生丸」
「殺生丸…ありがとう―――…来てくれて」


は、儚く笑った。


「今の唄は」
「…月の雫」
「続きは」
「あるけど…聞きたいの?」
「…聞いてやっても良い」
「―――じゃあ、聞いてて」


そう言って、は唄い始め る。清涼な唄声で。




月の夜に出会う
この先ずっと
忘れぬように
月の雫よ
どうか どうか 刻みつけて
優しい笑みで 笑わせて

すべて幻
泡のように消える
だからせめて 忘れないで
届かない場所で
あなたを 思い続ける―――





星を揺らす唄声。すべてを穏やかにする。…殺生丸は、泉に浮かんでいるの背を見つめた。


「…何か望みは」
「そうね… ―――…じゃあ、殺して」


はただ、柔らかく笑う。 殺生丸はそれを予想していたかのように、何も言わず、表情を変えない。


「…驚かないのね」
「妖気でわかる」
「そう…最初からわかっていて、付き合ってくれたのね……優しい人」


殺生丸はに歩み寄った。 そうして、片方しかない腕を伸ばしてを抱きしめる 。


「温かい」
「当たり前だ」
「そうね」
「…お前は、冷たい」
「当たり前でしょう?」


言って、はくすくす笑っ た。殺生丸は不機嫌そうに目を細めるが、何も言い返さない。


「私、もうだめなの」
「わかっている」
「瘴気、浄化しきれなくて」
「わかったと言っている」
「私が死ねば、みんな助かるの」
「もう言うな」


強く言って、殺生丸はを 抱きしめる腕に力を込める。だが、は彼の腕からす り抜け、パシャッと音をたてて湖の中に入った。


「来て、殺生丸」


両手を広げ、微笑む。殺生丸は言われるがまま湖に入って、再びを抱きしめた。


「告白してもいい?」
「…まだ会って間もない」
「あら、時間は関係ないのよ、恋って」


意地悪っぽく笑うの髪を 、殺生丸は軽く梳いてやる。すぐに、優しい瞳と目があった。


ふわりと―――笑う。二人の顔が近づいて…やがて、唇が触れた。



すべての時が、止まって見えた。風すらも吹かない、音も聞こえない。感じるのは、互いの温もりだけ。


―――殺生丸は、貫いた。……の心臓を。


「っ」


小さく声を上げ、口の端から鮮血が垂れる。それでも、は優しく笑っていた。


「あり、がと……」


涙を流して。


「好き…よ…」


それは、最期の言葉。


「名前、…よん、で」
「…―――…愛してる」
「わた、し…も――愛してる」


口の形だけで、ありがとう。そう言ってまた笑った。殺生丸は強く強く、の体を抱きしめた。


意識のなくなったの体を 、殺生丸はゆっくりと、湖につける。青い光が放たれて、の体は跡形もなく、消えた。

そうして、あとに残ったのは。


殺生丸は、自分の手のひらを見つめた。そこには、透明な、丸い結晶




月の雫よ
どうか どうか 刻みつけて





「―――…


結晶を、懐にしまった。ひやりと冷たい温度は、に似ている。





月の夜に出会う
この先ずっと
忘れぬように
月の雫よ
どうか どうか 刻みつけて




優しい笑みで 笑わせて―――




   

の雫








2006.03.08 wednesday From aki mikami.