05.「暗闇の中で」
もう殆どの明かりが消えている警視庁。その目の前に立って、は引きつった笑いを浮かべた。
どうしてこんな時間、この場所にいるのか。ましてやは一度家に帰ったのに。…その理由は簡単。家の鍵を、自分のデスクの上に忘れてきたのだ。
長い間仕事をしていて、鍵を忘れると言うのははじめてのことではない。以前の勤務地では警備員の間で噂になっていたほどだ(ちなみに警視庁に来てからははじめてだ)。
だが、そんなことはどうでもいいのだ。警備員がどう思っていようが、関係ない。それより問題なのは…
は暗いところが大の苦手だった。いってみれば(軽度だが)暗所恐怖症なのである。もちろん泊り込みの刑事がいないわけだはないだろうが、明かりのほとんどついていない建物内に入っていくことは、彼女にとって苦痛以外の何ものでもなかった。
しかしそんなことを言っていたら一日野宿か、ホテルに泊まることになってしまう。ホテルに泊まるほどのお金を軽々と出せるほど彼女の給料はよくないし、野宿なんて持っての他。
は一度己の足元を見ると、意を決して、…グッと拳を握って、半ば勇み足で入っていった。
◇ ◆
もう既に誰もいないだろうと思っていたから、明かりが漏れている部屋を見ては驚いた。一体誰がいるのか、彼でなければいいと、恐る恐る扉を開ける。…が、こういうときに限ってあいたくない人物はいるものだ。
「…おや、くん」
「っ…明智さんっ」
彼に事情を話せば、イヤミを言われてしまうこと間違いない。何しろ彼ならば絶対にしないミスなのだから。の笑い顔が思い切り引きつった。
「…やはり帰ってきましたか」
「え"…」
「忘れたでしょう、これ」
そう言って、明智がに向かって放り投げたもの…それは、が探しに帰ってきたもの、家の鍵。拳くらいの大きさのぬいぐるみがついている。
「よくそんな大きなものを忘れられますね」
「あぁはいっ、すいませんね!」
鍵を受け取り、イヤミな上司をにらみつける。明智はくすくす笑っている。
「しかし…貴方らしいですね、鍵を忘れるなんて」
「わ…私らしいって…何ですかそれ!」
「おや、私にそれを言わせますか?」
意地の悪い笑みを浮かべる明智に、思わず引き越しになってしまう。彼のこの顔(イヤミな顔)には弱いのだ。それはもちろん悪い意味でだ。
返す言葉につまっていると、再び明智がくすくすと笑い出した。彼女の不注意が招いたことだ。言い返す言葉もない。せめてもの抵抗にと、き、と明智を睨みつけた、そのとき。
「っ…!」
突然、部屋の電気が消えた。
一瞬何が起こったのかわからなかったが、…明かりが消えたと言うことは、当然部屋が真っ暗だということになる。つまりはの一番恐れていた状況だということ。
…の体が一気に硬直した。
「ぁっ…ぁ…」
「停電ですね…」
「てっ…停電っ…!?」
「君?」
の異変を声色で感じ取る明智。だがは答える余裕すらなく、その場にへたりと座りこんでしまった。
「…っ、君」
「あ、あけ、ちさっ… ど、どこ…」
「どこって…こんなに見えてるじゃないですか。それにどもりすぎです。…貴方、もしかして…」
「あ、暗所恐怖症なんですっ!」
ひと言で答えるのが精一杯だった。目にじんわりと涙がたまる。そんなに、明智は小さく溜息をついた。
暗闇にも目が慣れてきて、窓の外から入ってくる明かりだけでも十分に動けるのに。
それでも暗所恐怖症の人間にとっては、「停電=真っ暗」なのだろうか。それともこの程度の明かりでも怖いのだろうか。
何はともあれ、見えているデスクや壁を伝ってのすぐ横まで近づく。肩に触れようと手を伸ばすと、の体が思い切り跳ねた。
「っひゃっ…!」
「私ですよ」
「あ、明智さんっ?」
「落ち着いて…」
つとめて穏やかに言いながら、の背に腕を回す明智。はされるがままに彼の胸に納まった。
「明智さん…」
「停電しているのはこの建物だけのようです。じきに警備の方がブレーカーを上げてくれるでしょう」
「は…はいっ…」
「もう少しですから」
優しく頭をなでて、先程より腕の力を強くする。も怖さからか、彼にしっかりとしがみ付いていた。
◇ ◆
「まさか君が暗所恐怖症だとは思いませんでした」
「っ…ごめんなさい…」
あの後3分ほどで電気が付くと、二人は(が怖がったのもあって)足早に警視庁を後にした。そして電車通いのを明智が送ることになり、二人は車に乗り込んだ。
「まぁ、私としてはずっとあのままでも良かったんですけどね」
「っ!バカ!」
彼が上司だということもすっかり忘れている。先ほどの恐怖も手伝って、随分と口が悪くなっていた。
それでも隣に座っている明智は、かなり楽しそうな顔をしていた。
頭のてっぺん
2005.08.08 monday From aki mikami.
2007.09.13 thursday 修正。
2011.06.20 monday ちょっと修正。
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