10.「抱きしめて」






「ごめんね…七瀬さん。こんな所に呼び出したりして」
「いえ、大丈夫ですよ。ちょうどはじめちゃんと映画みた帰りだし。ねぇ?」
「そうそう。どうせコイツなんて暇なんだし」
「ちょっとはじめちゃん?それは聞きずてならないわね」


そういった美雪に、はじめはホントのことだろ!と返したが、言い争っているうちに結局ははじめの方が美雪に負けることになる。いつものパターンだ。二人のやり取りがひと通りおさまると、は一つ咳払いをして少しだけ身を乗り出した。


「で…ね、聞きたいことがあるのね」
「えっと…何ですか?」
「好きってどう言うこと…?」
「「っ…はぁっ…!?」」


二人の大声が喫茶店内に響き渡る。もちろん周りの客や店員の目は一斉にはじめ達に集まった。あはは、と乾いた笑いを浮かべて目を逸らす。


「なんなんすかいきなり、…オレに惚れた、とかだったら大歓迎ですけど!」
「そんなわけないでしょ、バカ。でも、本当にどうしたんですか?」
「いや…実はねぇ…詳しいことは言えないんだけど、実は私、恋愛経験まるでなくて…分からないんだ」
「好き…って気持ちが…?」
「そうなの。だからお願い!私に好きって気持ちを教えて!」
「……」


お願いします、と頭を下げたを見下ろして、はじめと美雪は困った顔をした。そんな相談を、それもいい大人にされるなんて、誰でも困るだろう。がそっと顔を上げると、美雪が苦笑を浮かべて、やっとのこと口を開いた。


さんは、好きかもしれないと思う人がいるんですね?」
「え…えぇ、…まぁ」
「その人が他の女性と話してて悔しくなったり、ムカムカしたりはしませんか…?」
「……するかも…」
「それは、ヤキモチですよ」
「ヤキモチ…?」
「そうです。…その人のそばにいたいとか、触れてほしいとか、声が聞きたいとか思ったりしませんか?」
「……思う…ような…」
「それがそのまま、好きってことですよ」
「えっ…」
「大丈夫ですよ!だってさんの中に、もう答えは出てますから」


そう言って、美雪は穏やかに笑った。はゆっくりと目を瞑る。そして、今までのことを思い出す。


最初は確かに苦手に思っていた、だが。


休憩室でキスされたとき、はじめて家に泊まったとき、館で触れられたとき、停電で抱きしめられたとき…


確かに苦手であった気持ちは、もっと別の気持ちへとかわっていった。


それがそのまま、好きってことですよ


「っ!ありがとう、七瀬さん、金田一くん!」


とにかく、今の気持ちを伝えよう。テーブルに五千円札をたたきつけると、二人に深く頭を下げてその場をあとにした。









◇ ◆









「あっ…明智さんっ…!」


店を出てすぐ、走りながら明智に電話をした。外はすっかり暗くなっている。


?』
「今、どこですか…?」
『どこって…まだ仕事中ですが…』
「じゃあ、今から行くんで…待ってて下さい…!」
、何が』


明智の言葉を最後まで聞かずに電話を切った。用件は会ってから伝えればいい。それよりも今は、一刻も早く明智に会いたかった。


足元はなれないハイヒール。だが、とまっている余裕はない。すれ違う人たちはときどき驚いたようにを振り返っている。途中バス停を見つけたが、待っている時間が惜しくて結局また走り出した。タクシーに乗る、なんて考えは、今のにはとても考え付かなかった。


明智に告白された日に出来た靴擦れが、再びを苦しめる。だが、それでも今は止まれない。彼に、早く伝えなければならない。たくさん待たせた分だけ、早く…。


「っ…わっ…」


右足をひねって体勢を崩し、慌てて地面に手をついた。どうやら右のヒールが折れたらしい。こんな靴では、とても走ることは出来ない。はヒールを脱いで両手に持った。周りの人間の目が少し気になったが、それよりも今は彼にあって、思いを伝えよう。迷わずに走り出した。









◇ ◆









いたたまれずに外に出て待っていた明智は、の姿を見つけた瞬間に血相を変えて走り出した。彼女が走ってきたから、そして、ヒールのおれた靴を両手に持っていたから。


!」
「…あ、明智、さん…」


息を切らして駆けてくる。近づいてくるところを支えようと手を伸ばす。


「明智さんっ…!」


伸ばした腕の中に、がそのまま飛び込んできた。


…」
「明智さん…ごめんなさい…ごめんなさい…!」
「落ち着いて。…何を謝るんだ?」
「ず、っと…返事できなかった、から…ごめんなさい…。でも今、…ちゃんと言います、私の気持ち」


荒い息を調えるために大きく息を吸い込むと、少し高い位置にある明智の顔を見あげて、溢れる気持ちをそのまま振り絞った。


「私…明智さんが好きです。ずっと、そばにいてほしい」


明智は呆気にとられたように、ただの顔をじっと見ていた。やがての方が恥ずかしくなって俯き、小さく、ダメですか、と問いかける。


「まったく…足は靴擦れだらけだっていうのに、ムリしてハイヒール履いて…さらにはヒールが折れたから裸足できた…か、本当に…キミは期待を裏切らない人だ」
「うぅ…」
「…どうして、私を頼ってくれないんだ?」
「え…?」
「そばにいてほしい。そうお願いするのは私の方だ。それからもう一つ…くれぐれも、無理はしないでほしい」
「ごめんなさい…」
「とにかく。帰ろう?それから新しい靴を買わないと」
「そんな、そこまで…」


しなくてもいい、そう言おうとしたが、その瞬間彼の唇がの口を塞いだ。…触れるだけの、優しい口づけだった。


「…愛してる…
「っ…私もっ…!」


そう言った二人は、顔を見合わせる。くすっと笑ったあとに交わす口づけは、今までで一番甘かった。




汚れた足の裏










2005.08.13 saturday From aki mikami.
2007.09.16 sunday 修正。
2011.06.20 monday ちょっと修正。