涙の理由を教えて






scene 1





―――――雨は、止まない。


通話中にした侭の電話を握り締めて、明智はダッと走り出す。が警視庁を出て言った時間を考えてもまだ近くにいるはずで、それでいて人に襲われそうな道といえば限られてくる。無我夢中で走って、車を出すことさえも煩わしかった。

走っている間も懸命に呼びかけるが、やはり返事はない。だが変わりに車のクラクションの音を聞いて・・・自分の後方にも、同じ音を聞いた。




「っ!」




思わず足が駆け出す。段々息が切れてきて、それでも止まることだけは絶対にしない。細い路地を進んだり、覗いたりして、必死で彼女の姿を探した。・・・すると、すぐ近くでカランと缶の転がる音がして、明智は瞬時にそれがの立てた音だと感じ取る。音を辿って角を曲がれば其処には、全身真っ黒い男に押さえつけられて、唇を塞がれたの姿。




「っ・・・」




男が明智に気づいて、からさっと離れて彼を睨む。その手には・・・ギラリと光るナイフが握られていた。




「何だ・・・お前」
「それはこちらの台詞ですよ」




明智も大沢も同じくらいに、互いににらみ合う。は漸く快方された安心感からか、腰を抜かして地面に座りこんでしまった。




「・・・跳んだ邪魔が入ったな。折角久しぶりにに会えたっていうのに」
「っ・・・お前、まさか!」
「大沢黒。  ・・・じゃあね、




大沢はそう言うと、の高さまで屈んでもう一度口付ける。は大きく目を見開いて、大沢が居なくなってからもそのまま硬直していた。




「っ、さん!」




明智はに駆け寄って、肩を揺さぶる。全身雨で濡れてしまっていて、ひんやりとしていた。・・・見開かれた目から、雨とも涙とも付かない雫が零れ落ちる。呼び起こされた記憶が、そうさせていた。









scene 2





  薄暗くなった室内。
  にやりと笑った顔。
  押さえつける強い力。
  見たこともなかった、男の体。
  我慢していても自然に口をつく声。
  初めて感じた、不快な快楽。

  ――――外は、雨。



「目が覚めましたか・・・」




そう言って、明智はホッと溜息をつく。は頭が痛むのを感じながらも体を起こした。




「・・・ここは」
「警視庁です。本当ならベットに寝て頂くんですが、ソファの方が寝心地が良さそうなのでそちらに運ばせて頂きました」
「・・・服」
「女性に頼みましたので大丈夫。私は見ていませんよ」
「そうですか・・・」




が着ているのは、簡素な白いブラウスにスカート。毛布がいちまいかけられていた。




「私・・・」
「あの後、気を失ったんですよ」
「運んで頂いたんですね・・・ありがとうございます」
「いえ・・・」




明智と二人きりの空間のために、小さな呟きもやけに大きく聞こえる。ザァザァと鳴り止まない雨の音が、の中の恐怖を呼び起こした。




「っ・・・」
さん?」
「御免なさい・・・気にしないで」




そんな風に言うが、体は正直に震えていて、"大丈夫ではない"ことは明らかだった。明智は頭を拭いたタオルをデスクの上に投げると、の隣に座って彼女を向いた。




「大丈夫。ここにあの男はいませんから」




勿論その事実は、にもわかる。だが、明智の声はを5年前の記憶から引きずり出すのには十分で、また気づけば浮かべていた涙を、彼は親指で軽く拭った。




「貴方にとってとても辛いことを・・・されたんですね。ですが私には、貴方の涙が今日の出来事だけで流れているとは、とても想えない。・・・理由を、教えて頂けますか?」




彼の問いに、力なく頷く。今までかたくなに言うことを拒んできたが・・・ここまで来たら、言わざるを得ない。言わなければ、楽になれない。




「・・・母があの男を連れてきたのは、私が16歳の時。それから3年後の雨の日。・・・私は母がいない家で、あの男と二人きりになった。・・・母は仕事でいなくって、帰りは遅いと言ってた」




そんな最悪な日に、最悪な事が起こったのだ。




「・・・襲われたの、つに」
「っ・・・!」
「どんなに抵抗しても、離してもらえなくて・・・っ、これが母にばれて、あの男を振ったの、母は」
「・・・」
「それからすぐに・・・母が殺されてっ」




それ以上を語るのも、怖い。頭を抱えて、体が小さく震えるのを抑える。

明智は彼女に手を伸ばして、優しく抱き締める。正直拒否されるかとも想ったが、どうやらそんな元気もないらしい。は明智の服を両手で掴んで、涙を流した。絶対にこの人の前では泣くものかと想っていたのに。


何時までもついて回る記憶。

だが話してしまったら、少し楽になった気も、した。









2005.09.02 Friday From aki mikami.