私はあなたを信じる






scene 1





都内某高級ホテル。と明智は以前二人で買った正装で、の(正確にはの母親の)友人である作家、結島未来の直木賞受賞記念、及び新作発表パーティーに呼ばれていた。

周りには同じように正装をした人間が沢山いる。なかには政財界の大物や一流人気俳優、超トップアイドルなど、著名人がわんさかいる。…そんな中にもしひとりでいれば、きっと浮いてしまうだろう。だが、今の隣には一際目を引く、明智健悟と言う警視庁きってのエリート警視がいる。彼は度々新聞や雑誌に取り上げられていてそれなりに著名だし、なにより彼ほど整った顔だちのものは、ほかにいない。は普段のパーティーと違い、少しだけ鼻が高かった。


一方明智はと言うと、…顔では笑っているが、実は相当頭に来ていた。自分がついて来なかった時のの事を考えて。もちろんすれ違う人達(たまに明智の知り合いもいる)には少しも悟られることはないが、…隣にいるは彼の変化にきづいていた。


「明智さん…機嫌わるいですか…?」
「いえ。何故そう思うんです?」
「や…だって…」


…目が笑ってない。そう言いかけて、は言葉を止めた。目の前に、結島未来が現れたから。


ちゃん!来てくれたのね、嬉しいわぁ!」


言いながら、結島はクスクス笑う。いかにも性格が悪そうな笑い方だ。


「結島さん…」
「お母さんが亡くなってしばらくたつから、もう忘れられてたかと思ってたのに。ところでそちらの紳士はどなた?」


結島はの事はほぼ無視して明智にちらりと視線をやった。


「あ…紹介します。こちら、警視庁捜査一課警視の明智健悟さんです」
「まぁ…刑事さんなの…。結島未来です、以後お見知りおきを」
「明智健悟です。よろしく」


そう言って見せた、とっておきの明智スマイルに、結島は軽く頬を染めた。しかし、は隣に気付かれないように小さくため息をついた。
自分が普段手玉に取られている人物を、これから明智が逆に手玉に取るに違いないのだ。彼はそれくらいの力を持ち、おそらくそれくらい怒っている。…自分のことを考えて怒ってくれているのは嬉しいが、…もしこの場で何かあれば、事後処理が大変ですよ。そう心の中で話しかけて、それが伝わっているのかいないのか、明智はの方を見てくすっと笑った。









scene 2





一際目立たない場所にたって、大沢黒はくすりと笑った。

ここからなら良く見える、と、明智の様子が。そして、その二人とすっかり話しこんでいる結島未来の様子が。


彼と結島が出会ったのは、今回直木賞をとった作品が出来上がる、2ヶ月ほど前のことだった。その頃結島は、作品のことで大分行き詰まっていた。その時、偶々二人は出会ったのだ。
犯罪者の恋愛、という観点から描いたこの作品に、黒の意見は身震いするほどぴったりと合い、結島はものすごいはやさで話を書きあげていった。

つまり、今回の作品の一番の協力者は、黒なのだ。

そしてそれだけではない、黒は結島にのことを話していた。だから、今回こんなパーティにを呼ぶことになったのだ。…すべては、作品に協力した黒への、結島からの奉仕だ。


黒は黒いスーツを少しだけめくって、取り付けたホルダーに納まった、鈍い色の金属を見遣った。そうして、口元が緩む。刑事である明智も当然持っているであろう武器…拳銃。


これを使うのは、二回きりだ。黒はそう、心に決めていた。一度目は、を殺すとき。そしてもう一度は、自分が死ぬとき。…愛する者と共に死ぬことは、どれほど幸せだろうか。そう考えるだけで、黒の体は歓喜に震えた。









scene 3





トイレに行きます、と行ってが居なくなったのは、10分ほど前のことだった。その時明智は、の帰りが遅いのをあまり気にとめて居なかった。きっと化粧を直しているのだろうと思っていたからだ。しかし、今目の前で結島の、今回の作品を見せられて、明智は両手が震え出しそうなほど不安になった。

この作品の主人公は、殺人犯だった。そして彼の行動は、大沢黒と驚くほど酷似していたのだ。更に驚くべきことは、主人公が愛している女性が、にそっくりな特徴を持っているということ、そして主人公は、彼女が幼い頃に"犯して"いるということだ。

こんな…こんな偶然があるだろうか。と黒のことを語って聞かせているようなこの作品。このような偶然があってたまるものか!

そう思った瞬間、明智は走り出していた。向かうは先程が向かった女子トイレだ。

何故の帰りが遅いことを不審に思わなかったのだろう。どうして一緒に付いて行かなかったのだろう。深い自責の念に襲われる。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。一刻も早く彼女を見つけ出して、このことを知らせなければならない。
そして、ここから出なければならない。…大体にして、彼女の帰りが遅いのは、もう既に彼に捕まってしまっているからではないのか?そう考えたら、彼の足は更に早く動いた。

結島の作品の主人公は、ラストで愛する彼女を殺し、自分もその後を追っている。あの作品に黒が全面的に協力していて、あのラストも彼の助言を受けて書いたものだとしたら…彼は間違いなく彼女を、を殺すだろう。

そんなことはさせない。何があっても彼女を守ろう。明智は携帯電話を取り出した。かける先は勿論警視庁、剣持警部だ。









scene 4





鏡を前にして、は凍りついていた。


すぐ背後に見える人物…一番会いたくない彼。どうして彼がここにいるのか、必死に思考を巡らせても、何も知らないにそれがわかるはずはなかった。


「…黒さん…!」
「やあ、。驚いただろう、俺がここにいるなんて、夢にも思わなかっただろうからね」
「どうして…」
「結島未来。彼女の小説にちょっと協力してあげたんだ。話を聞かなかったかな?犯罪者の恋愛…俺との話だ」


の体が動かないことがわかった黒は、を後ろから抱き締める。そして、黒く…鈍く光る鉄の塊を、彼女の腰に突き付けた。


「…これがなんだかわかるよね?…拳銃だよ」
「なっ…」
「なんで俺が持ってるかって?結島未来の人脈。でも安心して?弾は2発しか入ってないんだ。…の分と、俺の分の2つしか、ね」
「大沢黒!」


そう叫びながら入って来たのは明智だった。少し息をきらして、手には拳銃を握っている。


「…まさかのときのために携帯していたものが、こんなところで役にたつとはな」
「…明智、健悟」
「さぁ、を離してもらおうか?もうすぐ警察がくる…そうしたらもう逃げられない!」
「冗談じゃない。は俺のもので、あんたにゆずる気はない。…俺たちは、これから2人で死ぬんだからな」
「なにをばかなことを…」
「小説の話を聞いただろう?あれと一緒だ。俺が考えた、究極の結末。と、俺の死だ」


くっくっと笑いながら言う黒。明智は銃を構えたままで彼をにらみつけた。


「明智さん、こっちきちゃだめっ」
「あぁ、別に構わないよ。だってこの状態でも…、きみを充分殺せるんだ。それに、発砲許可が出ていないのに構わず撃つなんて、キャリアのきみができるはずはない」
「…私は、のためなら撃つ」
「かっこいいこというな。…それでナイトのつもりかい?」
「彼女を守るためなら、なんだってするさ」
「へぇ。なら俺を殺す?」
「必要ならばね。でも、お前は法の裁きを受けなければいけない。だから、できるなら殺さない。そのまま監獄にぶち込む」
「…そんなこと、できるのかな?」
「できるさ、必ずね」


明智は後ろでで水道の蛇口をひねると、その口を指で細めて勢いを増した水を黒にふき掛けた。その一瞬ひるんだ黒の腹に肘を思い切り食い込ませる。自分の銃をホルダーにしまいながら、彼のものをから遠ざけた。


、早く逃げて…!」
「で…でも…」
「はやく!剣持くんたちがもうすぐくるはずだから…呼んでくるんだ!!」
「っ、わかった!!」


は躊躇いながらも駆け出していった。その後ろ姿を見て、黒が冷たく笑う。


「あんたなんかに、は救えないさ。はいつまでも俺に囚われ続けるんだ…いつまでもね」
「彼女は強い。だから、お前のことなんて乗り越えて、必ず強くなる」
「今の今まで俺のことを忘れられてないんだぞ?さっきだって、俺の姿を見ただけで体が震えてた」
「、それはお前のせいだろう!!」


明智は黒の銃をたたき落とした。がらがらと音をたてて転がり、トイレの丁度入口でとまる。黒は明智の銃を奪い取ろうとしたが、彼がそれに屈するはずはない。黒の左足を引っ掛けて転ばせ、その上に馬乗りになって押さえ付けた。


「観念しろ、大沢黒!」
「…観念?どうして俺が」


ふ、と笑みを浮かべた黒。明智の胸を強く押し、彼の力が少し抜けたところで、再び拳銃に手をやった。

かちゃりと音がして、セーフティが外れる。明智は黒の腹に膝を何度かめり込ませたが、黒はそれも効いていない、というような表情を浮かべて銃口を明智側に向けた。


―――ばん!


かわいた音が、響いた。









scene 5





は、剣持とともに走っていた。言い知れぬ不安が、彼女の胸に込み上げて来たからだ。
明智に何かあったのかもしれない。そう思ったら、いたたまれなくなってしまう。


人の波を掻き分け、ようやく見えてきた、女子トイレ。


「あそこです!あそこに明智さんが…!!」


―――ばん!


あと10メートル。は思わず足を止めた。そして剣持も同様に、動けない。


今の音がなんなのか、把握するまで5秒、納得するまで、10秒。


「うそ…まさかね…?」


唇ががくがく震える。目眩がする。頭がいたい。


「――――明智さん!!!」


両目には、大粒の涙を浮かべて。だっと走り出したには、もう明智のこと以外、何も考えていなかった。









2006.07.05 wednesday from aki mikami.