見抜いてよ



明智警視は、イヤミだ。イヤミだが、鋭い。鋭いけれど、やっぱりイヤミだ。


私は、こんなに頭のいい人がいるんだと思って感心した。姉は頭はいいけれど、彼ほどじゃない。そしてその姉に一生勝てないと思っていた私は、勿論彼の足元にも及ばない。


あんな警視の下で働く部下達は、さぞや幸せだろうと思ったけれど、実はそうでもなかった。…特に剣持警部。一日中イヤミを言われ続けているようなものだ。まったく中間職なんてものはならないに越したことはない。上からも下からも常にプレッシャーがかかるものだ。


ところで、我等が明智警視は、実はロサンゼルスに研修にいっていたこともあるらしい。英語、フランス語、ドイツ語はぺらぺらで、現在は手近なところでハングルの勉強もしているらしいから、本気で殴ってやりたいくらいイヤミだ。国際社会に目を向けるのは結構だけれど、少しは同じ課内の人間関係にも目を配って欲しい(特に明智警視に対する周りの人間の気持ちに、だ)。それを気にしないでやってきたから、きっとああ言う人が出来上がったのだろうけれど。


これは警視本人から聞いた話だけれど、彼は両親とも元警察官らしい。じゃあサラブレットじゃないかと思ってみたら、どうやらそれは少し違って、警視の父親は叩き上げタイプ…つまり、どちらかと言うと剣持警部タイプだったらしい。


明智警視には、叩き上げと言う言葉は似合わない。彼の捜査は足での捜査と言うよりは、化学の捜査、と言った感じだ。どんどん最新の技術やシステムを取り入れていく彼の方法は、おそらく上から高く評価されていることだろう。でもそれは彼が気に入られるためにしている事ではなくて、自らのポリシーとか、プライドに従ってしていることだろうと思う。


そんな下らない事を、誰もいない捜査一課で一人、デスクに座って考えていた。他の皆はそれぞれ用事があっていないのだ。


この近辺で殺人事件があったらしく、その捜査と、最近世間を騒がせている通り魔事件の捜査に当たっている。両方に担当していないのは、その時前の事件の始末書を書いていた私と、基本的には現場に出ない明智警視だけだけれど、警視は皆がいなくなるよりもずっと前から、この空間にはいない。


だからこんな事を考えてられるのだ。まさか明智警視がいる前で、こんなサボリまがいの事を出来るはずがない(まがいというか、完全にサボリだろ)。


先ほどから、ペンはいっこうに進まない。警視の事と姉の事が、交互に頭の中に浮かんできて離れない。ここに来てから殆ど、事件の事とその事に頭を使っている気がする。…もうそろそろ、忘れてしまってもいいんじゃないだろうか。そう思うけれど、彼があの日の事を忘れていない事が、本当は嬉しくてたまらないんだ。…私にとって彼とのあの一日は、とても特別なものだったから。彼にとってもそうなんじゃないかと思ったら、嬉しくてたまらないのだ。


がちゃ、とドアが開く音がして、私ははじかれたように顔をあげた。すると、入ってきたのは私の悩みの種。


「…おや、他の皆さんはお出かけですか」


明智警視だ。


「えぇ。殺人事件があったとかで、その捜査と、通り魔事件の聞き込みに」
「で、きみは何を?」
「前の事件の始末書を書いてます」
「…私が出ていくときも書いていた気がするんだが…どうやらちっとも進んでいないみたいだね」
「…」
「仕事中に考え事は、あまりよろしくないね。女性には考える事がたくさんあるのはわかるけれど」


そう言って薄く笑うと、警視は自分のデスクについた。何てイヤミな言葉だろう。私の考え事の原因が、自分だとわかっていて言ってるに違いない。


「…じゃあ一つ。仕事がはかどる話をしてあげよう」


突然、警視はそう言って、机に頬杖をついた。私の顔をじ、と見つめて、目が合うとにこりと笑う。…なんなんだ。そう思いつつも、顔が火照りそうな自分がいた。


「この間、私はきみと、と言う人物を間違えただろう」
「…それがなんですか」
「私があんなに必死になったのはね、私が彼女に一目ぼれしたからなんだ」
「っ」


―――― 一目ぼれ。


「私と彼女は…この間も言ったが、東大の入学式の日に出会った。大きな桜の木の下でね。私は、入学式まで時間をつぶそうと思って、木に寄りかかって本を読んでいたんだ。…彼女が話しかけてきたとき、私はとても驚いた。そして、とても綺麗だと思った。純粋にね。こんな人が同じ学校にいるなら、休日も惜しんで学校に行きたいものだと思った。…しかし、結局在学中に彼女と話すことはなかったよ。彼女はいつも一人でいたから。…まるで、あの日とは別人のようだった」


当たり前だ。本当に別人なんだから。


「それでも、ね。とても綺麗だと思ったんだよ、はじめて彼女を見た時。そしてこの間君を見たとき、…やっぱり綺麗だと思った」
「―――、」
「これは、お世辞でも何でもない、心から思ったことだよ」


警視はそう言って、今まで見たこともなかった、とても優しい顔で笑った。…そう、まるであの桜の木の下に戻ったかのように。


そう、私も一目ぼれしたんだ。明智健悟と言う人に。だから、私はあの日をずっとずっと、忘れられなかったんだ。学校に行っていても、彼の事ばかり考えていた気がする。いつしかその想いが薄れても、ずっとずっと大切な想い出として胸にしまい続けてきた。


「不思議なんだ。大学にいたときの…時々見かけた彼女より、今の君の方が…、あの桜の木の下で出会った彼女と、同じ人に思えるんだよ」
「え…?」
「大学にいたときの彼女は、他人と関わるのが嫌いといった感じで、雰囲気もどこか冷たかった。…でも、きみは違う。あの時の彼女と同じ…優しい雰囲気を持っている、そんな気がする」
「っ、警視…」
「こんなことを言われても困るかもしれないけど、説明しておきたかったんだ。聞いてくれてありがとう。…だから、あまり私を警戒しないでほしい。初恋の人にそっくりなきみに警戒されるのは、いい気分はしないから」


そう言って、警視は笑った、…悲しげに。


私は、はい、と答えるのが精一杯だった。正体を明かしてしまいたくて、すべてを打ち明けてしまいたくて、…でも、そうする事を許さない自分もいて、その両方の気持ちがぶつかりあって、どうにかなってしまいそうだった。


彼も、私と同じ気持ちだったんだ。


「…あ、そういえばきみは私に敬語を使うけど…二人の時は使わなくていいよ。同い年だからね」


そう言って、警視は…明智君は、笑った。


「…警視」
「……なにかな?」
「今でも… 今でも、その人の事、好きですか?」


そう尋ねた私の体は、喜びと、苦しみで、震えていた。


「――――――…好きだよ」
「!」


何かが、胸の中ではちきれた。これは、告白されたも同然じゃないか。だって私はあの時会った彼女で、今彼はすきだよっていった。私の耳が腐ってなければ、これは告白だ。


でも、違うんだ。わかっている。冷静になれ、冷静になれ、冷静になれ、頭を冷やせ、!私とお姉ちゃんがやったことは、悪いことなんだ!入れ替わりなんて、あっちゃいけない事なんだ!私には姉がいる、確かにそう言う事にはなっているけれど、それが双子の姉だって言うことは誰にも知られていない。知られちゃいけないんだ。顔も、声も、体形も、背丈もすべてがそっくりで、東大卒の姉がいるなんて。あの日、彼と出会ったのが私だったなんて。


―――知られちゃ、だめだ。


「…見つかるといいですね、その人」


精一杯の作り笑顔で、私は笑った。でも、本当は今にも泣き出しそうだった。


自分から秘密を明かすことは出来ない。それは姉を裏切ることにもなるし、自分自身を裏切ることにもなり兼ねない。だけど、もし彼がすべてに気づいてくれたのなら、どれだけ楽になるだろうか。


そんなに鋭いなら、いっそすべて見抜いてくれればいいのに。










2006.06.15 thursday From aki mikami.