お姉ちゃん



明智くんの車は、すごかった。半端じゃなくすごかった。マリンブルーの(本人曰くエーゲ海を思わせる)BMWで、中はとても綺麗だった。きれいだって、装飾が、と言うのも勿論ある。あまり飾っているわけではないけれど、趣味のいい小物が時々置いてあって、それが彼のセンスのよさを思わせる。けれどそれよりも…毎日車を走らせているはずなのに、ぴかぴかで傷一つ無くて、中もそう…つまり、"使用感"がないのだ。まるで新品みたいで、ちょっと落ち着かない。明智くんはそう言う車に乗っていて落ち着けるんだろうか?


そんな無駄な事を考えている現在だけれど、実際に車に乗っている間は本当に辛かった。だって彼はしゃべらないし、私も何をしゃべっていいのかわからない。…このままずっとこの時間が続くんじゃないかってほど長い時間だった。


私は今、自宅の前で、彼の迎えを待っている。二人の非番の日が偶々重なったので、この間拾ったあの猫の飼い主を探すことになったのだ。と言っても当てがないので、お互いの知り合いの家を一軒一軒回ることになるのだけれど。


やがて数分して、明智君が車に乗ってやってきた。私のすぐ前に車を止めて、助手席の窓が開く。


「こんにちわ、明智くん。乗ってもいい?」
「どうぞ」


くす、とわらってそう言う彼の車に乗り込み、シートベルトを締める。…すぐに発進するかと思ったけれどそうでもなく、彼はなぜか、私の格好をじっと見ていた。


「…この間の格好と、イメージが違うな」
「そう?」
「この間は、…すごく、おとなしそうな感じがしたから」
「あれはただ、そう言う雰囲気の服を選んで持っていったの。普段は結構こういう格好してるよ?」


私が言うと、明智君は微妙な顔をしてそうか、と呟いた。そして、車を発進させる。


…今のは嘘だ。本当は、普段はこんなに派手な格好はしていない。

私は今、膝上の短いスカートをはいて、肩が出る形の七部袖のセーターを着ている。露出した肩には、黒いキャミソールの紐がのぞいていて、足元は少し長めのブーツ。…こんな格好は、普段は絶対にしない。どうしてかって、好きなジャンルじゃないからだ。私はミニスカートよりロングスカートが好きだし、露出が激しい格好も好きじゃない。それこそ明智くんがいう、おとなしそうな感じが好きだ。…でも、今日はあえてそれをやめた。その格好はきっと彼に、あの日の私を思い出させるだろうから。


明智くんがその話題に、あれ以上触れなかったのも、彼が私の気持ちに気がついたからかもしれない。


隠しきれない気持ち。彼は、もう気づいてしまっている。
―――私も、好きだと。









***










「…へぇ、猫?」


私の高校時代の友人を尋ねたら、彼女はとても喜んでくれた。そして、明智くんが抱いている猫を見て、笑う。


「そう。この間拾っちゃって。…もしよかったら、飼って貰えないかと思って」


彼女が動物好きなことは知っていた。昔から家では犬を飼っていたし、今は一人暮らしになって、少し寂しいから何か飼おうと思っていると言う話も、前に電話で聞いていた。だから、彼女ならきっと引き受けて貰えるんじゃないかと思った。


「んー…そうねぇ…まだ子猫だしぃ…」
「だ…だめ?」
「…よしっ、この私が引き受けましょう!」
「ありがとうございます」


明智くんがふわりと笑うと、彼女は少しだけ頬を赤らめた。誰だって、彼に笑いかけられたら赤くもなるだろう。


「本当にありがとう!」
「気にしないで。丁度ペット飼おうと思ってたところだし」


こういうとき、持つべきものは友達だ、と調子のいい事を思ってしまう。明智君と二人で顔を見合わせて笑って、次に友人を向きなおって、もう一度ありがとう、といった。









***










あれから私達は、食事に行った。お互い朝から何も食べてなかったからだ。明智くんがおすすめの店があるというからついて行って見ると、そこは普段私が絶対いけないくらい高そうなお店だった(別に高級フランス料理店とかじゃないけど…なんていうんだろう、雰囲気が高そうだった)。でも入ってみると全然雰囲気と違って手ごろな値段で、満足した私の顔を見て、明智くんはよかったと言って微笑んだ。


「気に入ってくれたみたいだね、このお店」
「うん。 美味しいし、雰囲気もいいし、値段も手ごろで…あ、でも私なんかが来ていいのかな」
「もちろん。それに、この店はOLやカップルも多いからね」
「へぇ…じゃあ、よく女性を連れてきてるのね」
「いや、別にそういうわけじゃないよ。ここのシェフに知り合いがいるんだ」


明智くんはそういって、ふっと笑った。その時なぜか私の後ろを見ていたので振りかえると、そこにはおそらく先ほど明智さんが言っていた男性が立っていた。


「今日は女連れか」
「あぁ。私の部下の、さん。 こいつは、大学時代の友人で、この店でシェフをしてる、東堂光」
「あ…はじめまして。よろしくお願いします」


男性は、さすが明智くんの知り合いと言うべきか、とても綺麗な人だった。彼は私の顔を見てふぅん、と呟くと、明智くんに向きなおる。


「もしかして、彼女…お前がいってた…」
「え…?」
「あぁ、そうだと思ったけど違ったよ。他人の空似」
「え…こんなに似てるのに?ってか同一人物だろ、ここまで同じ顔だったら」


今の彼のひとことで、何の事を言っているのかすぐにわかった。


「彼女が違うと言っているんだから、違うんだよ」
「…」


彼は、どうやら納得がいかない様子だった。姉の顔を見た事がある人間なら、誰だって納得いかないだろう。…私と姉は、顔が同じで、別人だとは思えないから。


「不快な思いをさせたなら、すまない」
「あ、いえ…そんな」
「当店の料理は気にいっていただけたかな?」


私に気を使ってくれたらしい彼は、少し子供っぽい笑みを浮かべた。私はそれに答えて、おいしいです、と答える。


「なら良かった。じゃあ、今からデザートを持って来よう。かわいらしいきみのためにね」
「そう言う発現は控えたらどうだ?仕事中だろう」
「おぉっと、明智警視のお叱りだ。じゃあ、俺はさっさと仕事してくるよ」


そのときの意地悪そうな表情と言ったら…私は彼と顔を見合わせて笑った。明智くんは、どこか不満そうな顔をしている。

彼は厨房へと帰っていった。そして、私と明智君の間に、微妙な沈黙が流れる。…できるだけ気にしないようにしていたあの話を掘り返されて、少しだけ…心が軋んだ。









***










とてもおいしいデザートを食べて店を出たのは、夜7時半をまわった頃だった。私が買い物に行きたいと言ったら彼が付き合ってくれて、それから色んな店を尋ねて、現在は夜の9時半。…私の家の前で、車がとまった。


「今日はありがとう、付き合ってくれて」
「こちらこそ、ありがとう」
「それじゃあ…また明日」
「おやすみ」


明智くんが笑う。私はシートベルトを外して、ドアをあけた。その時ふと、マンションの入り口が目に入る。


…そこに、黒い人影がある。見覚えのある、髪の長い人影。


「…お…姉ちゃん…」
「え?」


体が震え始めた。そんな私の肩越しに、明智くんが外をのぞいてくる。人影が、ゆっくりと顔をあげた。


目があって、口元が弧を描く。私の体は、とうとう動かなくなった。


人影はゆっくりと近づいてきて、それは紛れもない"お姉ちゃん"になった。車のすぐ前まで来て、にこりと微笑む。


「おかえり、


そんな、ひとこと。私はお姉ちゃんに焦点をあわせたまま…そしてきっと明智くんも、お姉ちゃんから目を離せなくなっているだろう。


私と同じ顔の女が、そこにいるのだから。










2006.06.24 saturday From aki mikami.