とらないで



…くん?」


明智くんが、言った。自分でも驚くほど、心が軋む。


…そちらの方は?」


そう姉が尋ねた言葉ですら、聞こえていなかった。なにを考えても、だめだった。


―――…どうしてこの人は、いつも。


「…覚えていませんか…?明智健悟、ですよ。東大で会った…」
「…あぁ、あの時の、明智くん?」


姉の言葉に、私は耳を疑った。あの時って…どうしてお姉ちゃんは、彼を知っているの…?


「懐かしいわ。あの桜の木の下であったでしょう…!まさかまたあえるなんて!」
「じゃ、じゃあ貴方があの時の…!」


ちょっとまって。今、なんていった?お姉ちゃんは、今彼になんていった?


な つ か し い わ 。


何が?


あ の さ く ら の き の し た で あ っ た で し ょ う


あったのは―――私よ?


「お姉ちゃん!」


気づいたら、私は叫んでいた。明智くんとお姉ちゃんは、びっくりした顔を私に向ける。


「…何、?」
「…くん?」
「変な子ね、ったら。私に会えたのがそんなに嬉しいの?それとも、明智くんとばかり話している私にやきもちを焼いてるのかしら?」
「そんなっ…ことは…」
「私達、しばらくぶりの再会なの。…静かにしていてくれる?」


お姉ちゃんは、射抜くような視線を向けた。私はいつも、そんなお姉ちゃんが怖かった。…今だって、怖い。とても、怖い。


「…はい」


だまって従うしかなかった。明智くんも、私の方を見ないで、ずっと姉と話をしている。


―――すべてのものを、失った気がした。


私は車から出た。そして、お姉ちゃんの肩を軽く叩いて、タッチ交代、と言ってその場を去る。…もう、あんな二人を見ていられなかった。私ではない人と仲良くしている、ましてや、それが姉で、"私"だと勘違いして話しているなんて。


―――もしこの世に神様がいるなら、私は一生恨み続ける。









***










悪夢は、その夜だけでは終らなかった。なぜかって、それから毎日のように、姉が捜査一課に押しかけてきたからだ。名目は、「久しぶりに再会した双子の妹に会うため」。だが本当の目的は、「明智君にあうため」だ。


「いやぁ、それにしても、本当にそっくりだなぁ。一卵性の双子、ってやつか」
「こんなに似てるなんて凄いですよね。だって服装が同じだったら、見分けつかないじゃないですか」


みんなが私と姉を比べて、口々に漏らす。姉はそうですか?などと愛想笑いを浮かべていた。…だが、なぜかそれを、明智君は面白く無さそうに見ている。


あれから、私達は一度も会話をしていなかった。そう言う機会が無い、と言う単純な理由だけではない、彼が、私と言う人間を許してくれていなさそうだからだ。


彼から初恋の話を聞いていたのなら、「東大卒で自分と同じ顔をした同じ年の双子の姉」が、もしかしたらその人物かもしれないと、普通の人間なら気づくだろう。ましてや、彼は私の頭脳をなぜか高く評価している。「頭のいい人間ならその事に気付かないはずはない。なのに、彼女はそれを教えてくれなかった」となれば、彼が怒るのも当然と言えよう。


そんな風に考えたら、私は彼と話せなくなった。何を、どう話していいのかわからなかった。彼にどう接したらいいのか、わからなかった。…私という人間が存在しなければいいのに、とも思った。けれど、それと同時に、彼にだけは手を出されたくない、と思っている自分、姉には負けたくないと思っている自分、そして、どんな汚い事をしても、この場所から姉を追い出したいと思っている自分がいる。


あきらめてしまおうと思う反面、負けたくないと言う気持ちも強い。嫉妬。ひとことで表せばそんな言葉がピッタリだろう。


私は、みんなの輪から離れてデスクに座った。…そこから少し顔を傾ければ、明智君の顔が見える。…目をあわせないようにしながら、私は前の事件の報告書を書いていた。









***










その日、みんなは出払っていた。そして、残っているのは私と、明智くんだけ。でも、明智くんはずっと資料室で過去の資料を見ているし、私は私で書類整理をしていたから、顔を合わせることも、話すこともなかった。


もしかしたら、彼が気を使ってくれているのかもしれない。


私はペンをくるくるまわしながら、明智君のデスクの向こう側の窓を見遣った。水色の空が広がっている。東京にしては綺麗なその光景に、なんだか心が洗われる気がした。


その時、がちゃ、と音がして扉が開いた。誰かが帰ってきたのだろうと思って別段気にせずに、書類の方に気持ちを戻す。…だが、特別話し声が聞こえるわけではない。足音が妙に静かで、私の隣で立ち止まる。


「―――


どき、とした。突然大きな声で話し掛けられた感じだ。だが実際には、私に話しかける姉の声はとても静かで落ち着いている。


「…お、ねえちゃん」
「ねぇ、私と少しだけ、お話しましょう。ナイショのお話」


お姉ちゃんは、隣の椅子を引っ張ってきて、私の前に座った。そして、滑るような手つきで私を向きなおらせる。


「…貴方、明智君の事好き?」
「え…?」
「でもね、明智君は私の事が好きなの。わかるでしょう?」
「…」
「あの日、貴方と私が入れ替わっていた事は、私と貴方しか知らないこと。…明智君は、私をあの時の貴方だと信じ込んでいるわ。私と彼は大学が一緒だったから、彼は私の大学時代を知っている。…彼がどちらを好きになれるか、わかるでしょう?」
「…!」
「それにね、貴方と私が入れ替わっていた事が知られればどうなるか…お互い、今の職はなくしたくないでしょう?」


こんなのは、脅しだ。それはわかっている。…でも、私はいつもそんな姉の脅しに逆らうことが出来なかったのだ。…そして、今も。


「明智君は今、思いこんでいる。それでいいのよ。…わかってちょうだい?」


優しい、優しい表情。でも、その心はまるで鬼のようだ。


「―――…ない」
「え?」
「渡せない。彼だけは、絶対に」

「私は、今でも彼がっ…彼だけが好きなの!一緒に過ごしたあの時間は、大切な思い出なの!お姉ちゃんとは違う…突然現れたお姉ちゃんが、どうして明智君を取っていくの!」
!」
「いつもそうよ!私に彼氏ができると、お姉ちゃんはそれを知って、いつもいつも私との入れ替わりを要求してきた。私知ってたわ。私と付き合ってたその人が、お姉ちゃんの好きな人だったって。…卑怯よ…いつも、いつも私から好きな人を奪ってっ」
「やめなさい、!」


ぱし、と頬を叩かれた。


「そんなに叫ぶなんて、みっともないわ!家の人間として」
「私はもう、の家の人間じゃない。…今は、よ」


車のキーと上着を引っつかんで、お姉ちゃんをにらんだ。もうずっと忘れていた涙が、目に溜まっているのがわかる。


「取らないで…明智君だけは」


懇願。
その言葉を発した瞬間、私は走り出した。いてもたってもいられなった。泣き顔を隠すように上着をかぶり、ドアをあける。


「―――――っ!!!」


そこに、彼はいた。


「…、くん」
「――――っ」


もう、だめだ。


すべてが、狂ってしまった。


「っ、君!!!」


走り出した私の後姿に、明智くんが叫んだ。それでも、私の足は止まらない。どうしてこんなことになったんだろう。


もしこの世に神様がいるなら、恨み続けるだけじゃ済まさない。




―――――見つけ出して、殺してやりたい。










2006.06.25 sunday From aki mikami.