勝てない



何もできない私から見て、姉はいつも完璧な人間だった。


容姿端麗、頭脳明晰、人は嫌いだったけれど、社交性はあったから、誰ともいっさい話をしないと言うわけではなかった。ただ深い人付き合いをしないだけで、営業に出たり、知らない人と組んで仕事をしたりする分には、特別困らない人だった。だから尚の事、私には姉が完璧に見えた。

そして私は、そんな姉といつも比べられた。

それがいやじゃなかったといえばうそになる。それでもその頃は、自分と同じ顔で、それでも自分より数倍も何でもできる姉が誇らしいと思っていた。…そんな頃が、懐かしい。


君、行こう」


最近、明智君はやたらと私を誘い出すようになった。…あんな事があったあとだから、絶対に避けられると思っていたのに。

彼は避けるどころか、前よりずっと積極的に私のところにやってくるようになった。彼が一体どこから私達の会話を聞いていたのかはわからないが、どうやら"私と姉があの日入れ替わっていた"事までは知らないようだから、彼がこんなに優しいと言うのも妙な話だ。

もしかしたら彼の中で、"女性を泣かせてしまった"と言う追い目があるのかもしれない。


私達は、ある通り魔事件を追っていた。最近このあたりで頻発している。担当は私達ではなかったはずなのだけど、別件でみんな出払っていて人手不足なので、仕方なく私達がかりだされているのだ。


この通り魔事件。犯人はこれ見よがしに、警視庁の周辺で犯行を行なっていた。これは、警察全体に対しての挑戦ともとれる行為だ。さすが挑戦してくるだけの事はあって、なかなか捕まらない。もう13件の被害が出ているにもかかわらず、犯人の目星ですらついていないのだ。

見た目はパーカーで、フードを被り、ジーンズをはいている。男とも女ともつかない身長で、男物とも女物とも思えるような香水をつけている。


今日は、13件目の通り魔事件―――先ほど連絡があった事件の現場に急いでいた。明智君の車に乗り込んで、二人でそこに向かう。


「まだ犯人が近くにいるかもしれないから、十分警戒して」
「わかってる。大丈夫だと思うけど、明智君も気をつけて」


現場は、本当に警視庁からすぐ近くの所にあった。桜田通りを真っ直ぐ行った、郵便局のあたりだ。まさに、目と鼻の先。
このあたりは政府の建物が多くて住宅もあまり無いのに、付近を捜索しても全然、犯人が割り出せない。


犯人は、どんどんこちら側に遡ってきていた。


最初は、東京タワー周辺だった。そしてどんどんオランダ大使館、光明時、放送博物館と来て、とうとう今日のここだ。


車から降りて、周辺の捜索。数人の警官を連れて見慣れた道を歩き回るが、どうやら怪しい者がいる形跡はない。建物の中なども注意深く見てみるが、気配すら感じられない。


明智君と合流して見たら、どうやら彼もそれらしい人物は発見できなかったらしい。けれど、ひとつわかった事があると言っていた。


犯人はおそらく若い男で、この周辺の店でアルバイトか何かをしているだろう事。そして、犯人は毎度この事件のために服を買い換えているだろうこと(明智くんがある建物の非常階段で燃えているパーカーを見つけた)。そして―――犯人は故意的に、"警察に近づこうとしている"事。


警察に近づこうとしている?どうして。犯人の意図がわからなかった。


「―――きゃあっ!!」


突然、叫び声が聞こえた。それも、自分の声だ。


「なっ、」


でも、冷静になって考えて見たらそんなはずはないのだ。私は今ここにいて、叫んでなくて。だとしたら、私と同じ声で叫ぶ人なんて、一人しかいない。


「お姉ちゃん!」


私の言葉と共に、明智君は走り出した。私の足も、必死に動いていた。…けれど、心のどこかで私は悲鳴をあげていた。


――助けに、行かないで。









***










なんてひどいことを考えたんだろう。明智くんに支えられてきた姉の姿を見たときに、私は罪悪感に襲われた。頭の奥をつき動かされる感じだ。


「明智君、お姉ちゃんは…」
「大丈夫。それより、彼女を私の車まで連れて行ってくれ。私は現場の方に」
「…わかった」


ふたりきりになりたくはなかった。でも、仕事を放棄することは出来ない。


「お姉ちゃん、こっち…」


姉の体を支えて、明智君の車に向かう。預かったキーで後ろのドアを開けて、後部座席に乗り込んだ。


「大丈夫?なんかされ…
「死ねばいいと思ったでしょう」
「なっ」
「当然よね。にとって私は、邪魔な女でしかないんだから。…でも残念ね。私はまだ生き残ってるわ」


お姉ちゃんの言葉が、金属の針になって私の耳に届いた。


「そ、そんなことっ」
「思ってないはずないわよね?あんなに叫んでまで、明智君を自分の元に留めたかったんだから」


死ねばいいなんて思ってない。でも、私はそれに近い事を、思ったんだ。…彼が助けに行かないで欲しい、と。


「―――何もいえないでしょう?あんたはいつもそうだったわ。綺麗事ばかり言って―――自分が一番正しいんだ見たいな顔をする。あんたは私から明智君を取らないでっていったけど、それは私と争って勝てる自信が無いから出た言葉でしょう?そう言う自分の弱さを棚に上げて…私の事を卑怯だのなんだの、よくいえたものね」
「―――」


自分の人生のすべてを否定された。私の心には、もう何も入ってはこなかった。


サイレンの音、人々の声、そして―――走ってくる明智君の顔。


この人には、絶対に勝てない。昔からそう、この人の言う言葉は、とても私の心をかき乱すけれど、いつもいつも正しかった。


「―――君、君」


落ちていく。










2006.06.26 monday From aki mikami.