桜は私達を見ていた



ようやく仕事に復帰できると言う時に…これだ。


やっと家に帰ってきて、入院中の荷物を置いて、ひと息ついた。病院にいる間はとにかく明智君が毎日のように来てくれたけれど、その後ろに付いて姉もついてきた。そしてまた私など関係ないかのように、明智君と話をはじめるのだ。…ここまできたら、完全な嫌がらせにしか見えない。そんなストレスのせいなのか、結局3日の予定が一週間まで入院が伸びてしまった。


そして今。台所には、姉が立っている。私の退院祝いに、昼ご飯を作ってくれると言うのだ。半分は、まだ無理させてはいけないと言う思いだと言っていたが、実際はどうだろう。ただ私を落としいれる機会をうかがっているだけかもしれない。


ー、出来たわよ」


そう言って台所から出てきた姉は、お盆を持っていた。そこにはオムライスが二皿のっかっていて、とても美味しそうだ。私も姉も一人暮らしが長いから、料理は手馴れている。けど、やはり姉の作るものの方が、私の作るものより何倍も美味しそうに見える。


「ありがとう」
「気にしないで。それよりあまり無理しないでよ?」


今日の姉は、妙に優しい。

いただきます、と言って手をあわせて、姉を見る。特別変わったところはなくて、考えすぎか、と思った。私の大好物、オムライス。一口すくって、口に含んだ。


「――――っ!!!」


瞬間、舌に痺れるような感覚。私の手から、からんと音を立ててスプーンが滑り落ちた。


「…苦しい?
「なっ、おね、ちゃ…」
「お姉ちゃんって呼ばないでくれる?あ、心配しなくても、その毒で死ぬことはないから。…ただ少しだけ…意識を失っててくれればいいの」
「くっ、はぁっ…」
「…そうやって苦しむ姿、好きよ」


そう言って、姉はバックを掴み、去っていく。…視界が霞んでいく。体に力が入らなくなる。口をゆすがなければと思い、台所まで必死に這っていく…が、あとほんの少しのところで、頭の中がまっくろになった。









***










「お久しぶりです!」
「、君!」
「明智君…ごめんね、心配かけて」


すっかり元気そうな君が、ドアからひょこっと顔をのぞかせた。その事にとても安心する一方で、私は自分がそこまで彼女を心配していたことに、とても驚いていた。


あのあと、私たちは何気ない話をして、彼女が疲れて眠るまでずっと一緒だった。あれからも毎日顔を出したが、そのときは少し、元気がなかった。…だから、まだ体調が悪いかもしれないと、気になっていた。だが、今の彼女を見る限りでは、そんな心配は無さそうだ。


「いや、それよりきみの体がよくなったことが嬉しいよ」
「ふふ、ありがとう」


そう言って、彼女は笑った。とてもやわらかく笑った。…でも、頭の隅で何かがひっかかる。―――一体、何が?


「それより、今日はお姉ちゃん来てないの?」
「あぁ…くんならさっき連絡があって、今日は仕事があるからこれないってさ」
「そっかぁ…」


複雑な表情を浮かべて呟いた彼女。いつもと同じ彼女なのに、どうしてか、"いつもと違う"彼女に見えた。…君と、重なる。だが、入れ替わっているなんてそんなばかなこと…社会人になってまでそんなこと、彼女たちがするはずがない。きっと、まだ体調がわるいんだ。そう、自分に言い聞かせた。


「…本当に大丈夫?まだ顔色が…」
「本当に大丈夫よ!それに私、お姉ちゃんと違ってタフなの」
「あぁ、彼女は良く、体を壊していたっていってたね」
「うん…生まれつき、体が弱いの。…よく、入院とかもしていたけど、最近はすっかり調子いいみたいよ」
「そうか、ならよかった」
「うん!あ、ねぇ…明智君?」
「ん?」


「―――今夜、空いてる?」


突然、そう尋ねられた。その瞬間の彼女の顔は、時々君が見せるあの、人を嘲るときの顔だ。…君は、そんな顔したことなかったのに。


「あ…あぁ、空いてる…けど…」
「本当?なら、食事でも一緒に行きましょう?…お見舞いに来てくれてたから、お礼がしたくて…」
「そんな…気を使わなくていいのに」
「いいの!私がお礼したいの…いいでしょう?」


ふわ、と笑った君。―――優しくて、冷たい。









***










今日は、彼女のおすすめの店に行った。店の雰囲気はとてもよかったが、…すこし、彼女のイメージにはあわないお店だった。彼女はどちらかと言うと、喫茶店的な可愛い店、小洒落た店が好きだと言っていたが、今日行った店は、少し大人の…それこそ、高級フランス料理が出てきそうな店だった。値段もそれ相応、といった感じだった。


だが、そんなことは今は、どうでもいい。今私たちは、潮風公園からレインボーブリッジを眺めていた。


「で、話って何かな?」


彼女が、話があると言うからここに来た。彼女は、柵に体重を預けたまま私の顔を見ようとしなかった。


「…あのね、失礼なこと聞くけど…許してね」
「え?」
「…お姉ちゃんのこと…好きなの?」
「―――っ」
「ごめんっ、でも…すごく、気になったの。やっぱり、初恋の人だし…お姉ちゃんの方が、頭もいいし、何でもできる。…だから」
「どうして、気になったの?」
「―――私も、好きなの。明智君のこと」
「…!」


『すきなの』


「ちょっと待って。私からも、一つ聞きたいことがある」
「…なに?」




「―――――きみは本当に、君か?」









***










遠くで、音楽が鳴っている。あれは何だろう。…そうだ。ふざけて指定した、『運命』の着信音だ。と言うことは、なっているのは仕事用の携帯で、あの電話はおそらく警視庁からのものだろう。私は再び沈みそうな意識を必死で奮い立たせて、台所からリビングのテーブルまでの距離を這った。


視界が揺れている。のどがカラカラだ。頭が、痛い。


怖い。




『―――、か?!剣持だ!お前今どこにいるんだ!』
「け、んもち、さん…」
『お前、今日の事件の報告書どこに置いたんだ!』
「え…?」


剣持さんの言葉に、私は頭の後ろからバットで殴られたくらいの強い衝撃を覚えた。"今日の事件の報告書"?私は今日、警視庁には足を踏み入れていない。それどころか、家から一歩も出ていない。


「…けんもち、さんっ」
『なんだ、どうした』
「きゅ、きゅう、しゃっ」
『なっ、…おい、どうしたっ』
「とにかくっ、きゅうきゅ、しゃ!」


必死で声を絞り出す。のどがざらざらする。


―――また、意識が遠のいていく。









***










『―――――きみは本当に、君か?』


そう尋ねた答えが出ないまま、剣持警部から電話がかかってきた。出た瞬間また大声で叫ばれてうんざりだと思いかけたが、内容を聞いて、自分でも血の気が引いていくのがわかった。


―――君が、救急車で運ばれた。


それからすぐに車を飛ばして、彼女が搬送された病院に向かった。…これで、さっきの質問の答えがはっきりした。今日一日一緒にいたのは、君。


車から降りた私は、すぐに建物に入った。そこにはそわそわしている剣持くんの姿があって、私に気づくなり叫び出しそうな勢いでかけてくる。


「警視!がっ!」
「落ち着いて!一体どうしてこんなことに!」
「それはまだわかりません。…それより早く処置室に!」


彼の先導で、処置室へと急ぐ。病院で走るなんて初めてかもしれない。


…廊下のつきあたりに、処置室はあった。ドアの上の方に、赤いランプが灯っている。


彼女はどれくらいわるいんだ?死ぬほどなのか?それとも、また栄養失調か?それとも…何か、されたのか?


外にいる私にできることは、ただ彼女が助かるよう祈る事だけだった。信じる、彼女の生命力を信じる、ただそれだけ。それしか出来ない、と言う気持ちが、この瞬間を絶望的なものにさせた。


ふ、とランプが消えた。その瞬間、意識しなくても体が立ち上がる。がらがらとストレッチャーの音が聞こえて、自然と足が駆け出した。


扉が開く。 彼女が、出てくる。


!」


寄り添って呼びかけると、彼女は薄っすらと目を開けた。


「あけ、ち…くん…?」
…よかった…」
「あの、原因は一体なんですか…?」


剣持くんが、医師にそう尋ねた。医師は手に持っていたカルテをみながら、淡々とその内容を読みあげる。


「毒物です。幸い、致死量ではなかったので助かりました。料理の中に混ざっていたようですが…」
、これは一体…」
「…」


彼女は、黙ったまま何も言わなかった。―――最悪の事態が、頭をよぎる。


「とにかく、彼女を病室に運びます。詳しい話はそちらで」
「はい…」


ストレッチャーに乗せられて遠ざかっていく彼女が、切なげに見えた。









***










まだ、全身が痛い。それは、毒から来るものじゃなくて、おそらく精神的なものから来る痛みだろう。


「…


いつの間に、呼び捨てで呼ばれるようになったんだろう。でも、そんなことは今はどうでもいい。…彼が聞こうとしていることはわかっている。


「…誰に、毒を盛られたのか…わかるね」
「…」
君、だろう?彼女しかいない。…今日あの家に入ったのは、彼女しかいないから」
「!」
「それに、今日彼女は、きみと偽って仕事に…」
「お姉ちゃんを…責めないで…!」


咄嗟にそう声が出ていた。明智君が、露骨に驚いた顔を見せる。


「…どうして!毒を盛られたんだぞ?」
「確かにお姉ちゃんのしたことは、許されることじゃない。でも、…私も、悪かったの」
「なにが…!一体何があったんだ!」


二人しかいない病室に、彼の声が響く。個室で良かったとほっとしてみたけれど、彼の険しい表情は変わらない。


「―――わからない?貴方を取り合いしてたのよ。ただ、それだけ」


突然。私の声で紡がれたその言葉は、明らかに私のものではなかった。だって、声は窓の外から聞こえてきた。…ここは、四階だ。


私たちは二人同時に窓の方を振りかえった。するとそこには―――長かった髪をばっさりきった、お姉ちゃんの姿。


「明智君。…私別に、貴方のことを好きだったわけじゃないのよ。ただ、の苦しむ顔を見るのが大好きなだけ」
「なっ…!」
、私は絶対に、あんたを殺さないわ。あんたほど利用できて、苦しめ甲斐がある人間はほかにいないから。…ねぇ、高遠さん?」


姉の口から、信じられない名前が出た。




た か と お さ ん




姉のすぐ後ろから姉を抱きしめるようにして現れたのは、地獄の傀儡師、高遠遥一。どうして、姉が彼を知っているんだろうか。私ですら、顔を見るのははじめてなのに。


「貴方がさんですか。なるほど、に良く似ている」
「そうでしょう。私たちは、外見だけはそっくりに育ってきたから。…性格は正反対だけどね?」


そういって、姉はくすくすと笑った。…目の前で起こっている事が、理解できない。姉はどうして、彼と一緒にいるの?


君!」
「明智君、すべて貴方が言っていた通りよ。あの日、貴方とあったのは。そのあとちゃんと東大に通っていたのは私。そして、私たちはたびたび入れ替わりをしていた…社会人になってもね」
「! お姉ちゃん!」
「私を監獄に叩きこみたいなら、先にを捕まえることね。…は、悪いこととわかっていて了解したんだから」
「…くん!」
「さよなら、。また必ず会いに来るわ」


そう言って、窓からゆっくりと離れていく。そのままふわりと体が浮いて、上へ上へと昇っていく。


「高遠!」
「明智警視…そこにいるさん、ちゃんと守ってあげないと…これからも、彼女はさんを"虐めに"来る」
「ふざけるな!そんなことが」
「彼女には私と同じ素質があるんですよ。犯罪芸術家の素質がね」


犯罪芸術家。


そんな造語が、姉に似合うと言うのか、この男は。


「いいかげんにして!お姉ちゃんをかえして!」
「彼女は自ら私についてくることを望んだんです。かえして、何て言われると、いささか困ってしまいますね」
「高遠っ…!」
「それではまた会う日まで…グッドラック」


今度は高遠も、空中に浮き上がる。明智君が窓から顔をのぞかせて上を見ていたが、やがて彼は屋上へ行くといって走り出した。




―――一体何が起こっているのか、わからない。









***










私たちは、あの桜の木の下に来ていた。…丁度満開で、はらはらとあの日のように、花びらが散っている。とても静かで、車は通らない。…こんなにも穏やかな気持ちになれるのは、久しぶりだ。


彼と手をつないで座る。前に来た時は、ただとなりにいただけだったのに。


―――二人でこうしていられることが、とても幸せだ。


あれから、姉は現れない。高遠の噂も聞かない。…だから、私たちは今の所、そのことを考えずに済んでいる。でもきっと、いつも頭の片隅にあって、一生忘れることは出来ないだろう。


最近、私は思う。私たちは、こうなっては…結ばれてはいけなかったんじゃないかと。彼の隣にいると幸せすぎて、じゃあ高遠の元にいる姉はどうなんだろうと考えたら、…私だけ幸せなんじゃないかと思えてしまう。自分から望んで高遠についていったとしても、彼の隣にいて幸せがやってくるなんて思えないから。


…?」
「あ、ごめん…ちょっと考え事」
「―――またあのこと考えてた?」
「う…うん、だって」
「今は、考えるのはやめよう。彼等のことだからまた必ず、何か行動を起こす…そのときに、ちゃんと対抗できるように、体を休めないと」
「そう…だね。 ごめんね、明智君」
「こら、健悟って呼べって言っただろう?」


こつ、と頭を叩かれて、私がその部分を押さえ込むと、彼は握っていた手をそっと開いた。そして、ふわりと私の頬に添えられる。


「…大丈夫。何かあっても、必ずまもるから」
「―――ありがとう」


ふわり、と唇が触れた。甘い香りが私達を包み込んで、幸せで、とけてしまいそうだ。









このままずっと、彼の隣にいさせて。









アトガキ。


桜の季節、連載終了です。最終話は色々つっこみすぎましたね。ってかいきなり高遠さん?!見たいな感じでびっくりした方もいらっしゃったでしょう。

さて、全十話を予定していました、そしてきっちり十話で終了しました桜の季節ですが…ぶっちゃけ、続くと思いませんか?
自分で書いてて思ったんですよ。ここで終ったら続き気になるなぁーって。だから、気が向いたら続き書こうと思うんですよぉ。
ただ、grain of rainのほうが終ってないので…そっちを終らせてからですね!あと2話だからすぐ終ると思います(え、それはどうだろう)。

それでは、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
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2006.06.29 thursday From aki mikami.