「失礼します」
スケッチブックを持って入ったのは、美術準備室。美術の今野先生に、持ち帰った課題を提出しに来た。けど、先生は今不在らしい。僕は、美術準備室から続いていける、美術室のドアを見やった。
今日も、さんは絵を描いているだろうか。小窓からそっと、のぞいてみる。
太陽の光がさしている室内。入り口側から窓側へ、少しずつ視線を動かすと…どく、と心臓が高鳴った。
小さめの背中。パレットを左手に、絵筆を右手に持っている。書いている絵は、鮮やかな緑の葉に、太い幹。きっと会議室だ。僕は、もっと良く絵を見ようとして、首を傾けた。木の根の部分に、"誰か"が描かれている。
手から、バサ、とスケッチブックが落ちた。
「…先生?」
彼女が、こちらを振り向いた。僕は、なんだか悪いことをしている気がして、その場から逃げ出した。必死でかけて、何分かたって、ようやく落ち着いてきた頃、自分がスケッチブックを落としてきたことに気づいた。でも、とても拾いに行く気にはなれない。
彼女に、気づかれたかも知れない。
美術準備室の入り口。そこに、一冊のスケッチブック。私はそれを拾い上げた。
名前は、明智健悟。―――私は、ぱらぱらとページをめくった。最後には、授業中に何度か見た彼の絵、今回の課題のスケッチが描かれている。
そのスケッチブックを先生の机の上において、私は美術室に戻った。さっきまで私が書いていた、油絵の前でとまる。緑の生い茂る木の下に、思わず描いてしまった、銀髪の人。彼は、きっとこれを見てしまったんだろう。
"会議室の下で本を読む明智君"を。
ここまで自分の行動を後悔したことがあっただろうか。
どうして逃げてきてしまったんだろう。別に、逃げることはなかったんだ。絵は逆光で見えなかったふりをして、先生いるかな?と自然に問いかければよかった。どうして逃げたんだろう。気まずくて、彼女と顔を合わせられない。
今は、ライティングの時間。教科書を読み上げる先生の声が、遠くに聞こえる。僕より3つ前で、2つ右側の席に座っているさん。斜めから改めてみてみたら…彼女はとても、整った顔をしている。
「…明智、今のところ、訳してみろ」
「―――!」
突然当てられて、驚いた。僕は立ち上がって、教科書を見たけれど、先生がいったいどこを読んでいたのかもわからない。
「―――すいません…聞いてませんでした」
「珍しいな、明智。体調でも悪いのか」
「いえ…」
「28ページの6行目。"If I met~"からだ」
自分が開いている教科書のページ。そこは、1ページ前だった。そんなに前から話を聞いてなかったのかと思うと、愕然とする。教室内が少しだけざわついた。みんなの言いたいことはわかる。「明智にしてはめずらしい」だ。自分自身でも思うことなんだから、まわりの人間はさぞ意外だったことだろう。
教科書の本文を訳し終わって、席について、彼女を見てみる。―――…一瞬、目があった気がした。
2006.07.12 wednesday From aki mikami.