みずいろの空



、お前確か、明智と同じクラスだったな?」


教室に帰ろうとしていた私を呼び止めたのは、今野先生だった。


「…そうですけど」
「なら、あしたにでもこれ返しておいてくれ」


そう言って手渡されたのは、一冊のスケッチブック。それは"あの"スケッチブックに違いない。


あれから3日たったけれど、さすがに明智君と顔をあわせるのはつらかった。あの…つい出来心で描いてしまった彼を、本当に見られてしまったのだから。


私はいつも、美術室の窓から見えるあのにれの木を描いている。それは、あの木が好きだから、というのもあるけど、本当はただ、彼を長く見ていたいだけだ。


おかげさまで、私の絵はぜんぜんすすんでいない。美術室の窓にカーテンを引いて、彼をわざと見えなくしている。―――絵は、実物を見てすぐの輝きを閉じ込めるもの。だから、迷い無く書き上げるのが一番いいと思ってる。


結局断りきれなくて、持ってきてしまった。教室に向かう私の足は、いつもより少し重い。かおるちゃんに返しておいてもらおうか…そうも思ったけど、多分あの子は何の悪気もなく私から預かったというだろう。それは、困る。できるだけ、私からだと気づかれないように渡したい。


教室の中に入った私は、思わず足を止めた。そこには、思ってもみない3人。かおるちゃん、赤沢君、そして…明智君。


「あら、ちゃん。今帰り?」
「う…うん…」


笑顔で言ってくれたのに、私はたいした返事を返すことが出来なかった。明智君の視線が痛い。


「あれ、かおるっての知り合いだったの?」
「友達よ、と、も、だ、ち。一年生のときから同じクラスなんだから、当然でしょ?」
「うん」
「ところで、今まで部活?」


―――部活。その言葉を出されるだけで、心臓が飛び跳ねた。今、彼の前でその話をしないで。


「うん…そうなの。これからかえるところで…」
「本当?じゃあ、一緒に帰らない?」
「え…!?」


一体何を言い出すんだ。私にはかおるちゃんが、かわいい顔顔をした悪魔みたく見えた。


「いや…私はいいよ。だってかおるちゃんとは逆方向だし…」
「あら、でも明智くんは同じ方向よ。一緒に帰ったら…」
「い…いい!本当にいいから…!」


私は鞄に入れてあったスケッチブックを取り出して、あたふたしながら明智くんに渡した。それをぎこちない手つきで受け取った彼を尻目に、私はそれじゃあ、と早口でいってその場を後にする。


気がつけば私は、走り出していた。誰かが追って来るわけではないのに、だ。恥ずかしくて恥ずかしくて、顔をあげられない。せっかく取りに行った自分のスケッチブックも、忘れて来てしまったし。


―――変に思われただろうか。







「…なんか変なね」


かおるがつぶやいて、僕は今受け取ったスケッチブックを見つめた。中を開いてみると、一番新しいページ、今回の提出課題の右上に、赤ペンでAと書かれている。


「明智くん、気を悪くしないでね。、悪い子じゃないから」


わかってるよ、と口でいいながら、僕は心で僕のせいだからね、と言った。すべては彼女の絵を見てしまった、僕のせいだ。


「まったくもう。、多分照れてるのよ。ほんとはあの子、明智くんのこと好きなのよ。前に話したとき、言ってたもの」
「え…?」


かおるの言葉に、僕は思わず耳を疑った。誰が、誰を好きだって?


「なんだよそれ!ラブラブかぁ?」
「そういうんじゃなくて!明智くんの書く絵がすごく好きだって、言ってたのよ。見てるだけで落ち着く…そんな絵を書くからって」
「へぇ…よかったじゃん明智!」
「う…うん…」


なんとか答えたけれど、実際はかなり動揺していた。だって、さんが僕の絵を、褒めてくれたなんて。



―――奇跡みたいな、話だ。







あれから、さんに特に変化はない。相変わらず教室では読書、放課後は美術室で絵をかく。けど僕は気付いていた。そんな彼女が、前より一層僕を避けるようになったことに。それでも僕は、なんとか彼女と話しがしたかった。僕の書いた絵について話したかったし、逆に彼女が書いた絵について聞きたかった。


でも、今日までその機会は訪れていない。さんは放課後すぐにいなくなってしまうし、美術室の窓にはカーテンがかけられていて、中が見えない。そして今までは、彼女がいる部屋に入っていくことも、勇気がなくてしていなかった。…でも、それじゃあだめなんだ。彼女は多分、僕に嫌われていると勘違いしているんだから、自分から語りかけなければ。


僕は今、美術室の前に立っている。小窓から見える背中は、少し小さい。


―――コンコン。


ノックの音が、廊下まで響いた。


「……はい?」
「あの…さん…?」


ドアを開けずに尋ねると、彼女はゆっくりと振り向いた。…一瞬目があい、またすぐ逸らされる。


「―――何の用?先生なら今は教務部会議で」
「いや…君と話しがしたいんだ」


このひとことに、彼女の肩がびく、と震えたのがわかった。…警戒、されている。


「なっ…なに…?」
「…出来れば、顔を見て話したいんだけど…」
「どうして…そこでいいでしょう?」
「う…うん…でも…」
「―――…わかった。入って…」


押しの甲斐もあって、彼女は美術室に入れてくれた。僕はその後ろ姿をとらえると、1メートルほど距離を残した場所まで来て、彼女の絵をのぞいた。…みずいろの空が広がって、街が染められて行く。…とても、不思議な絵だ。


「きれいな絵だね」
「ありがとう」


彼女の受け答えは素っ気ない。けど、僕はそんなことじゃめげない。


「……本当に、こうなったらいいのに」
「え…?」


僕の思わぬ言葉に、彼女は振り向いた。心の隅で、やった、と思う。


「すべてのものがみずいろに染められて…きれいになればいいのに」
「…っ!明智くん…!」
「えっ…何…?」
「あなた…エスパー?」
「えぇ…?」
「だって私が考えてたこと全部、簡単に言い当てて…!」
「僕はただ、僕の感じたまましゃべっただけだよ」
「……」


さんは驚いた表現を僕に向けて、すごい、とひとことつぶやいた。


「私の気持ちを、ちゃんと分かってくれた人…はじめて」
「え…?」
「先生ですら、わかってくれないから。私が何を書きたいのか…」


悲しそうな、嬉しそうな、そんな複雑な表情を浮かべるさん。僕は彼女の隣りまで歩いて、そこにあった椅子に腰掛けた。


「僕たち、似てるのかもね」
「え…?」
「だって、さっきいっただろ?僕は君の絵を見て、僕が感じたままを述べたんだって。だから…もしかしたら、感性が似てるのかも」
「……」
「あ、いやだったかな…」
「いやじゃない…!ただ…私は前から感じてたことだったから…明智くんもそう思ってるのに…すごく、びっくりしたの」
「前から感じてた…?」
「選択美術の時間…明智君が描く絵を見る度に、思ってたの。私が表現したいこと、描きたいことと一緒だって…。だから、明智君の絵を見ているだけで…すごく、落ち着いた」
「…そ、なんだ」


なんだか少し照れくさくなって、上手く返事を返せなかった。でもそれはさんも同じみたいで、二人で俯いて、何も言わないでいる。…そのとき、がらっと美術室のドアが開いた。


「―――?」


入ってきたのは、美術の今野先生だった。両手にいっぱい、黄色いスケッチブックを抱えている。


「あれ、明智もいるのか?まぁ丁度いい。ちょっとこれ手伝ってくれ!あと3クラス分あるんだ」
「あ、はい!」


二人で頷いて、僕は先生の持っている物を、さんは廊下にあるものを、美術室に運び入れた。


「…ところで何でこんな所に積んであるんですか?」
「今日は3年生と時間がかぶってたから、2年生は第二で授業したんだよ」
「それで、ですか」
「そうなんだよ。まったく全部チェックするだけでも大変なのになぁ」


今野先生は、まるで子供みたいな笑いを浮かべた。それを見て、さんが…すこし、頬を染めたような気がする。


でも僕は、それを見ないふりをした。見てはいけないものを、見たんだ。そう思ったから。









2006.07.12 wednesday From aki mikami.