かおるたちは、私達に気を使ってくれたらしく、むこうを散歩してくると言っていなくなった。残ったのは、私との二人。
「なんか…ごめんね、せっかくの楽しい場に私なんかがしゃしゃり出てきて…」
「しゃしゃり出てくるなんて、そんな言い方することない。…ずっと、会いたかったから」
「ありがとう」
くす、と小さな笑みをもらす。…その姿は、とても綺麗で、大人びていて、お互い、もうあのころとは違うんだと、そう思わされる。
ただ私の気持ちだけが、あのころのまま止まっている。
「今日は…ね、健悟にどうしても話したいことがあって…」
「話したいこと…?」
「……ごめんなさい!」
突然の謝罪と共に頭を下げた。なぜ彼女が謝っているのかもわからない私は、ただ茫然とその姿を見ているしかなかった。
「…うそを…ついたから」
「うそ?」
「…もう、好きじゃなくなったって…」
「ああ…」
今思い出した、見たいな返事をしたけど、本当はあのときのことを忘れたことなんてなかった。けど、それを今に悟られるとまずい気がして、もう忘れたようなふりをした。
「…気付いてたんでしょ?健悟も…あのときのあの言葉が、嘘だって…」
「うん…」
「だから、わざと僕もだよ、なんていってくれたんでしょ?」
「……」
「ありがとう。…本当に、私はいつもいつも…健悟には迷惑掛けてばっかりだね」
「そんなこと…ないよ」
「そんなことあるよ。…あのときだって、私の勝手な罪悪感のせいで、健悟を…きっと、傷つけたのに」
「勝手な罪悪感…?」
「…その話をするために、今日はここにきたの」
が、私のもとから離れなければいけなかった、その理由。それをいいに来たというのなら、それはつまり"私からを奪ったものの話"を聞かされると言うことだ。正直、聞きたいようであまり聞きたくなかった。出来ることなら、知らないでいたいこと。けど、出来るなら知りたかったこと。長い間、私の中に深い溝を作り上げていた事実。
「今野先生…覚えてる?」
「ああ。覚えてるよ」
忘れるわけがない。むしろあのころのことは、鮮明に覚えている。友達みんなのことも、のことも、今野先生のことも。
「…あのあと、先生別の学校に赴任したんだけどね、…12月くらいに、入院することになったの」
「え…入院?」
「そう。…重度の神経障害で、腰から上が動かなくなったの」
「!」
それがどういうことなのか、すぐにわかった。
今野先生は、何よりも絵が好きだった。見ることも当然だが、書くことも。だが、腰から上が動かないということは、手も動かないということ。…つまり、絵がかけなくなってしまったということ。
「健悟には、ずっと言えなかった。先生が入院したのは丁度年末の…冬休みに入ったくらいのときで、学校で毎日会うってわけじゃなかったし、誰かに電話するような余裕も、そのときの私にはなかったの。…だから、結局言う機会を逃してた」
の表情が、どんどん曇っていく。その先のことを思い出しているんだろう。
「私…しばらく悩んで…もしかしたら健悟はずっと気付いてたかもしれないけど…。 で、悩んで悩んで、結局…私が先生の変わりに絵を書くことにしたの。…病室にキャンバス置いて、私が変わりに…。だから…先生のために生きるって決めた私が、中途半端に健悟の隣にいることは出来ないと思って…貴方と、別れることにしたの。でも、嫌いなんて…うそでも言えなくて…」
「それで、すきじゃない、か」
「…ごめんなさい」
「いいよ。…あれは嘘だって、わかっていたし、が嘘を付くときは、いつも大切な人のためだ。それより…今野先生は今…」
「……死んだわ、一ヶ月前に」
「なっ…!」
「自殺したの」
自分の中で、驚くほど怒りが湧きあがってくる。…隣でずっと、支えてくれる人がいながら、自殺?をずっと自分だけのものにしておきながら死ぬ?
「どうして!」
「……本当の理由はわからない。でも…ね、多分理由は…私のせい」
「の…せい?」
「先生ね、最後に…口で、筆をくわえて…死ぬ直前に一枚、絵を書いたの。その絵は今、知り合いの伝で、すぐそこの美術館に飾ってあるの」
そう言うと、はすっと立ち上がり、私の方を振り返って手を伸ばした。
「…ついて来て、健悟。一緒に見て欲しいの。先生の残した、最後の絵を」
私は、黙っての手を取った。少し強張った表情で歩き出す。…つながれた手は、少し冷たくて、温まればいいと思いながら、強く強く握り返す。
昔とは違う手の感触が、なぜか懐かしい。
美術館の、少し奥まった、一番壁際の絵。それが、今野先生の絵だと言うことは、見た瞬間にわかった。どんな絵かも知らないのにそれがわかったのは、その絵に描かれていたのが、…隣にいる、だったから。
髪を結い上げて、穏やかに笑っている。今より少し幼い…高校のころの彼女の顔だ。
私は、心の奥から何かがわきあがってくるのを感じた。そう、泣きたい気持ちと言うのは、こういうものを言うんだ。はもう、私の隣で既になきはじめていた。
笑うの奥に描かれているのは、大きな窓だった。装飾なんて少しもない、ただの無機質な窓。その奥には、見慣れた大きな楡の木が立っていて、その根元には、銀色の髪の少年…高校時代の私が、座っている。
「…『片思い』」
絵の下に張られたプレートに刻まれた3文字が、更に私たちの気持ちを追い詰めた。
「ずっと、先生は知ってたの…わた、しが…健悟を、すきだったことっ…!だからっ…」
「…」
私から彼女を、彼女から私を、奪ってしまったことを、どれだけ悔いていたのだろう。そして先生は、彼女を…を、どれだけ愛していたのだろう。結局私には何もわからない。けど、何もわからないのに何かが伝わってきて、目が熱くなってきて、涙がこぼれそうになるのを堪えた。
私はずっと、自分のことしか考えていなかった。自分だけが傷付いていると思っていた。けど、違ったんだ。
私なんかよりずっと、傷付いている人がここに、いたんだ。
2007.04.12 thursday From aki mikami.