(Hair of silvery white like snow.)
週に一度の診察のために病院に向う途中、おいしいと評判のケーキ屋さんに行って、ついでに本屋で本を買った。で、いつも通る大通りに出ようとしたらなんと工事中で、"私じゃあ"到底通れそうにない砂利の道になっていた。仕方なく左に曲がって、別の道から行くことにする。


これだから、車イスは疲れる。


車イス生活をはじめて早一年。そろそろリハビリが始まってもいい頃なのに、私の主治医は私を歩かせようとはしない。理由はまぁ、色々あるんだろうけど…たぶん、兄だ。


「あっ…」


普段通らない道なんて、通るもんじゃない。


私の行く手には、劣化したコンクリートのスロープが。スロープと言っても、半分ほどは割れて崩れ、下地の砂利が露出している。歩行者にとっては何でもない道でも、私のような車イスの人間にはとてつもなく大きな障害だ。


このまま行くか、次のスロープまで移動するか。


歩道の真ん中で立ち往生(立ってない)している私の横を、同じ信号待ちだった人たちが次々と追い越していった。さて、どうしよう。彼等のように跨ぎ越すことはできない。無理に行けば転ぶかもしれない…けど、いけるような気がしないでもないし、指定の時間まであと10分しかない。


「あの…どうかされましたか?」


その声に振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。コートに黒いマフラーを巻いている。私はその人に、一瞬で目を奪われた。


 雪のような、白銀の髪。


「よろしければお手伝いしましょうか」


男性はそう言って、イスの持ち手に手をかけた。…その瞬間、奥深くに封印していた記憶がフラッシュバックして、思わず男性の手を振り解く。


「やめて!」


しん、と、静まり返ってしまった。


「あ…す、みません、あの…」
「…あ、いえ、こちらこそ余計なことを」
「いえ!余計とかじゃなくて…とにかくいいんです。押してもらって、もし何か…」
「え?」
「あ、いえ、… あの、お気持ちだけ頂きます、すみません」


大失態だ。深く頭を下げると、男性は困ったようにこちらこそ、と言って苦笑いを浮かべた。


「では、失礼します」


といった勢いで、私は崩れたスロープに突っ込んだ。あと先考えないのは私の悪いくせだ。崩れたコンクリートにタイヤがちょうどよくはまって、失礼します、っていったのに、この場を去るに去れなくなってしまった。しかも目の前には行き交う車。
ああ、私、なんてタイミングが悪い!


「あの…」
「だ、大丈夫!大丈夫です!」
「でも」
「私、人に押してもらうのは絶対嫌なんです!」
「でしたら、ひっぱりましょう」
「…………は?」


訳がわからないことを言っている彼を振り返ると、芸能人のような端整な顔で、に、と口元が弧を描いた。


「押すのがダメならひっぱります。そうすれば穴からは抜けれるでしょう」
「…屁理屈ですよね?」
「屁理屈ですね」


そう言う彼の笑顔は崩れない。瞬間、たぶんこの人は腹黒いんだろうと思った。だけどそれが嫌なわけじゃなくて、むしろこういう言葉遊びが出来るってことは、頭がいいんだろうと思った。


「…じゃあ、引っ張るだけ、お願いします」


兄と先生以外の人に後ろを許したのは初めてだ。不思議な感じがする。


彼が力をこめて引っ張ると、タイヤはなんとか穴から抜けた。私が移動しやすいようにと、スロープから少し離れてとまる。ありがとうございます、と言うと、どういたしまして、と返ってきた。


人間同士の当たり前のやり取りが、ひどく懐かしく感じられた。


「ところで…」


すぐにいなくなると思っていた彼は、まだ後ろに立っていて、少し屈んで声をかけてきた。


「これから向う先はもしかして…あの病院ですか?」
「え?…えぇ、そうですけど…」
「やはりそうですか。実は私もこれから行くところなので…ご一緒にいかがですか?もちろん、押したりしませんよ」


ご一緒にいかがですか、なんて。


そんな、普通に誰かを誘うような言葉を使う。けど、本当に言いたいのは、「着いて行きましょう」ってこと。車イスの私を気遣ってくれた言葉だ。けど、気遣ってるってことを感じさせないような、絶妙な言葉選び。…やっぱりこの人は、すごく頭がいい。


「そうですね…じゃあ、一緒に行きましょう」


面白い。初対面のはずなのに、すごく心がほぐれる。力を入れずに会話ができる。そう言う風に操作されているとわかっていても、久々に話せる人を、拒むことは出来なかった。


「私は明智健悟と言います。どうぞよろしく」
です、よろしく」


久しぶりに、自分が笑えているのがわかった。奥底に封じ込めていた"人間"が、目を覚ました気がした。









2007.09.07 friday From aki mikami.