(I want to be " ordinary ".)
病院に着くと真っ先に、情けない男の子の声が響いてきた。
「みーゆきぃー!まてよぉおー」
「もう、はじめちゃんなんか知らない!」
先週も見かけた男の子と、(たぶん)その彼女だ。あんな風に言い争ってるけど、たぶんすごく仲がいいんだろう。だって、前に見たときは、運ばれてく男の子の脇で女の子が泣きそうな顔して立っていたから。
ふぅ、と隣からため息が聞こえた。明智さんだ。私が振り返ると、彼はやれやれ、と言いながら二人に近づいて行く。どうやら知り合いらしい。今日ここにきたのも、あの子を見舞うためなんだろう。
「やれやれ、金田一くん。相変らずやかましいですね」
「うぉ、明智さん!何しにきたんだよあんた!」
「キミの無様な姿を目に焼きつけてやろうと思いましてね。それと、これは剣持くんから」
「無様ってなんだよ… お、おっさん気効くじゃーん!」
「あぁー!はじめちゃんったらメロンなんか貰っちゃって。階段から転げ落ちて骨折っただけのくせに!」
「くれたのはおっさんの好意なんだから、受け取っときゃいーんだよ!」
「あのー…」
楽しそうな会話に私が割って入ると、全員の視線が一斉にこっちに集まった。
「明智さん、私診察があるので、これで失礼します」
「はい。…またお会いできるといいですね」
「……そうですね」
たぶん、もう会えないだろうけど。曖昧に笑う私に、明智さんはとてもやわらかい表情を浮かべた。その顔を見ていたら、また会えるかも、何て思ってしまう。けど、高望みはしないに限る。
「では」
一度深く頭を下げた。さようなら、の意味をこめて。あの人誰?と男の子が言ったのが聞こえたけど、それに明智さんが何て答えたのかはわからなかった。
◇ ◆
「はい、もういいですよ」
苅田先生がそう言ったら、これで診察は終り。もう帰っていいということだ。私は失礼します、とだけ言って部屋を出た。
苅田先生は、私の足について、どれくらい治っているのかとか、これから先はどうするのかとか、そんな具体的なことは"私には"一切話さない。すべては兄に伝えられるけど、それから私に情報が降りてくることはない。
私たちは、そういう関係なのだ。
私の全ては兄が握っていて、私は兄に従うしかない。働けない私は、兄の財力がなければ病院に来ることは愚か、生活をすることも出来ない。ずっと、兄に尽くさなければいけない。
いいかげん車イスとおさらばしたいけど、勝手にそれをすると、兄の逆鱗に触れることになる。今私は、上から押さえつけられて殆ど身動きがとれない状態になっている。…けど、それに対して不満を言う権利は、私にはない。
外に出ると、さっきの場所にまだ明智さんたちがいて、なにやら話しこんでいた。あれから一時間近くたってるはずなのに、話は尽きないらしい。さりげなく横を通り抜けようとすると、後ろを向いててどうして気が付いたんだろう、明智さんがいきなり振り返って、早かったですね、と声をかけてきた。
「どうも。そちらこそ、まだいらしたんですね」
「ええ、すっかり話しこんでしまいまして。それと、…貴方を待っていたのもあります」
「またまた、ご冗談を」
「冗談ではありませんよ、私が女性をお誘いするときは、いつだって本気です」
「…あのー、明智さん?ナンパはいいからオレたちにも紹介してくんねーかな」
男の子が不審気に明智さんを見上げた。隣で女の子が邪魔しないの、と言ってるけど、別に邪魔じゃない、うん。
「まったく、キミは本当に空気の読めない人だ。こちらはさん。この病院に通院しているそうですよ」
「空気読めないとか言うな! オレ、金田一一!よろしくッス!」
「私、七瀬美雪です。よろしくお願いします」
「よろしく」
紹介されるほど、仲いいわけじゃないんだけど。でも、久しぶりに人と話せたことが嬉しい。こんな風にまともに話をしたのは、一年ぶりだ。
人が嫌いってわけじゃない。ただそれが、私と兄の"暗黙の制約"だから。
気が付くと、美雪ちゃんが私の顔をのぞきこんでいた。せっかく人と話してるのに、考え事をするなんて、…昔からの悪いくせだ。
「どうかしたんですか、さん?」
「あ…ううん、何でもないの。ねぇ、二人は高校生、よね。その制服なら…確か不動高校だったかな」
「はい、そうです、よくわかりましたね!」
「昔、そっちに住んでたことがあるの。今は病院に通いやすいようにって、この辺に住んでるんだけど。…ねぇ、二人って、付き合ってるの?」
「「なっ!!!」」
私の言葉を聞いた金田一くんと美雪ちゃんは、2人同時に赤くなって身を引いた。すごく初々しくて、かわいい反応。うん、うらやましい。
「ち、違います!はじめちゃんとはただの幼なじみで!」
「そーですよ!どぁーれがこんなやつと!!!」
「…なんですってぇ~~~!!」
「わ、やめろ美雪、いで、いでででで!」
「あーあぁ…」
金田一くん、骨折してるはずなのに。案外と容赦ない美雪ちゃん。見た目より力があるのかな。金田一くんは相当苦しそうな顔をしてる、というより、青ざめている。見た目、かなり痛々しい。
…でも、こんな風にふざけ合える人がいるのは、とても…うらやましい。
笑いながら明智さんの方を盗み見ると、穏やかな瞳と目が合った。
「さん、実は私…前にも貴方を見たことがあると思うんです」
「え?」
「どこで見たのかは、覚えていないんですが…」
「…それって、誘い文句ですか?それとも冗談抜き?」
「冗談抜きです…けど、これで誘いにのってくださるなら、これ以上嬉しいことはないです」
そう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべた。その瞬間に、この人の武器は笑顔だな、と思った。優しい笑顔、意地悪な笑顔、楽しそうな笑顔、困った笑顔。…色んな笑顔を使い分けて、相手をコントロールするのが上手なんだ。
そして私も、こうして容易くコントロールされてしまうわけだ。
「そうですね…なら、のせられてしまいましょうか」
「では、美しいさんをディナーにお誘いしたいのですが、今夜のご予定は?」
「特にございませんわ」
「なら、私が姫をエスコートします」
なんて明智さんが言うと、本当に王子様みたいに見えてくるから不思議だ。なんていうか、東洋人のはずなのに、それを感じさせない。髪が白銀、というのもあるのかもしれないけど、何よりもその穏やかな物腰に、キラキラのオーラが見える。金田一くんはけっ、とか言ってこっちに背を向けてしまった。たぶん明智さんみたいなタイプは嫌いなんだろうな。一方美雪ちゃんはと言うと、私たちの冗談混じりのやりとりに、目をキラキラ輝かせている。うん、女の子はあこがれるよね、こういうの。
「いいないいなー!なんかオトナーって感じがする!きっとはじめちゃんには一生かかってもムリね」
「なんだとぉー! 大体何がオトナだよ!こんな歯が浮くような台詞言えんのはコイツくらいなんだよ!」
「コイツとはなんですか。下品なのは顔だけにしておきなさい」
「ぬゎんだとっ…
「もう、やめなさいはじめちゃん!」
彼らのやり取りは、面白い。どうやら明智さんも、金田一くんを少し敵視しているみたいだけど、嫌い、っていうんじゃなさそうだ。お互いを認め合ったライバル、って感じがする。一体なんのライバルなのかはさっぱりわからないけど。
私はこの人たちのことを、名前くらいしか知らないのに。…話しているのがとても、楽しい。けど、ふっと兄の顔が浮かぶ。こうやって話していていいのかどうか、わからなくなる。
けど、欲望には勝てない。私はもう少し普通の人間として、楽しさを感じていたい。
ごめん、お兄ちゃん。でも、私は、"普通"でいたい。
この輪の中に自分が溶け込めることを、嬉しく思った。そして、出来るならこれがずっと続けばいいと、思った。
2007.09.08 saturday From aki mikami.