(Reality that doesn't want to see.)
明智さんが連れて行ってくれたお店は洒落ていて、それでいて値段は手ごろな、とても趣味のいい店だった。何より嬉しいのは、身障者用の背があると言うことだ。きっと明智さんもそれを知っていてここを選んでくれたんだろう。
イタリアンなんて、コンビニ弁当か自分で作ったミートソーススパゲッティくらいしか食べてなかったし、元より外食自体、この一年ほとんどしたことがなかった。前に兄と一緒にフレンチを食べに行ったときは、席は普通の席だったし、何より兄と一緒ってことで、全然味わって食べることが出来なかった。だけど、今度は違う。目の前にいるのは兄じゃなくて明智さんだ。癇癪を恐れて食事をすることはない。目が合えば、優しく微笑んでくれる。私が飽きないように、色んな話題をふってくれる。
「さん、お仕事は?」
「あ、今はしてません。けど、昔は通訳をやってました。英語、フランス語、中国語、ロシア語…それから、スペイン語とアラビア語です」
「どれも国連の公用語ですね」
「いつか役に立つと思って覚えたんですけど…未だ使ったことはないですね。仕事で使うのは殆ど英語とフランス語、中国語くらいですから…」
「これから役に立つときが来ますよ、必ず。…それにしても、怪我のせいで仕事をおやめになったんですか?通訳なら、車イスでもある程度は続けられると思うのですが…」
「……そうなんですが…実は、兄に止められて」
「お兄さん? お兄さんがいらっしゃるんですか」
「ええ。 兄は、私が怪我をしてからと言うもの、病院以外ではあまり外に出したがらないんです」
「そうですか。…あなたのことを心配なさっている、妹思いのお兄さんなんですね」
「……はい」
明智さんの言葉に、すぐに頷くことが出来なかった。妹思いのお兄さん そんなんじゃ、ないから。
私の様子に気付いたらしい明智さんは、どうかしましたか、と声を掛けてくれた。けど、私には兄をどうこういう資格なんてない。だから私は黙って首を横に振った。なんでもありません、と付け足すと、それ以上聞くべきではないと判断したんだろう、そうですか、と言葉が返ってきた。
その後、明智さんは気まずくならないようにと、色んな話をしてくれた。国際情勢から食べ物の話、最近読んだ面白い本や、パソコンの話まで。おかげでさっきのことは気にしなくてすんだし、むしろほとんど忘れていた。食事が運ばれてきてからも、話しながらゆっくり食べた。食後はコーヒーを頼んで、外を眺めながらの食休み。長い沈黙だけど、気まずいんじゃない。ほっとする、といった感じだ。
私が明智さんを盗みみると、彼もこちらをみていた。目が合うとふわりと笑い、また外を向く。私もなんだか気恥ずかしくて、慌てて外へと目を逸らした。
その瞬間、私は現実に引き戻された。
「っ…!」
お兄ちゃんが、いる。
このビルのすぐ下に、兄がいる。間違いない、どんなに遠くから見ていてもわかる、あの長髪。
「あ、けち、さん」
「はい?」
「……今すぐ、出ましょう」
いきなり失礼だってわかってる。けど、体が震え出してる。早くしないと、身動きがとれなくなる。…怖い。
「…わかりました」
何もわからないはずなのに。私の気持ちを全てわかったみたいに、簡単にわかりました、と言ってくれる明智さん。伝票を持って立ち上がるその姿を、私は思わず凝視してしまった。
「どうしました?早く行きましょう」
「はい…」
私を安心させるように微笑んでくれる明智さん。会計を済ませて、彼の後ろについて店を出る。途中、トイレによって行きましょう、何て言ってくれたのは、時間稼ぎをしてくれたのかもしれない。すぐに店を出たら、鉢合わせてしまうかもしれないから。
良く考えたらそうだ。兄を見つけてすぐに下に下りたら、エレベーターで会ってしまってもおかしくない。…私は、そんなことも考えられないほど混乱していたらしい。一緒にいたのが明智さんじゃなかったら…間違いなく、見つかっていただろう。
トイレで化粧を直して出てくると、明智さんは相変らず微笑んでくれた。私もだんだん落ちついて来て、何とか笑い返すことが出来る。
「お待たせしました」
「行きましょうか」
「はい」
私は、また彼の後ろをついていく。と言うか、明智さんの方が私の前を歩いてくれている気がする。…私を隠してくれているように思える。
ありがとうございます。
そう心から思ったけど、なぜか声に乗せることが出来なかった。
◇ ◆
その後、自宅に明智さんを招待することにした。私の家なら、兄に会うことはまずないだろう。兄がここにきたのは、怪我をする以前から数えても片手でたりるくらいしかない。
「お邪魔してしまって…すみません」
「いえ、こちらこそ…。さっきはあんな失礼な態度をとってしまって」
「貴方が気に病むことはありませんよ」
また、全てわかってるような言い方。…わかっているはずはない。けど、私は悪くないって言ってくれる人がいる…それが嬉しくて、聞いて見ようと思った。
「あの」
「はい?」
「……どうして私が、人から逃げてるって…わかったんですか?」
私の質問に、明智さんは一瞬目を丸くしたけど、すぐに薄く笑って、そうですね、と話し始めた。
「まず、貴方が下を見てとても驚いた顔をしていました。いや、驚いたというよりは…怯えたようだと思いました。それから、貴方が下を見ていたとき、丁度あのビルの下に車が止まりましたね。何人か男性が出てきた…そのすぐ後、貴方がここから出ようと言った…と言うことは、あの男性の中に、貴方にとって会いたくない人がいたのではないかと思ったんです」
「…たったそれだけで、わかったんですか?」
「私はさんのこと、ちゃんと見てますからね」
ちゃんと見てたとか見てなかったとか…そう言う問題じゃない。すごい観察眼だ。今まで、この人は普通よりちょっと頭がいい人だと思ってたけど、そうじゃない。たぶん、もっと職業的に私たちとは違う…。
「明智さんって、ご職業は…」
「あぁ…実は私、刑事なんです。警視庁捜査一課の警視です」
刑事。それも、警視だって?見た目20代の明智さんが、警視?瞬間、ぐらっときた。
警察の人なら、私のことを知っていると言ったのも、おかしくない。
「どうも一般の人には、刑事と言うのは嫌煙されるものらしくて…貴方に嫌われるのがいやで、黙っていました、すみません」
「あ、いや、それはいいんですけど…」
たぶん、明智さんはあの事故を知ってるんだ。でも、それに私が関わってるってことは、たぶんまだ思い出してはいない。…だったら、思い出すまで、…私のことを嫌いになるまでは、せめて。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもないです…」
今はまだ、明智さんに嫌われてない。でも、あの事故のことを思い出したら、…明智さんは間違いなく私を嫌いになるだろう。
その日までは、せめて… 近くにいたい。
2007.009.13 thursday From aki mikami.