(Eyes that see through the truth.)
兄が具体的に何をしたのかはわからない。けれど、最近は動向がおかしかったし、イラついているのも気付いていた。会社もうまくいっていないみたいで、いつかとばっちりを食うんじゃないかと、心配ばかりしていた。


明智さんは、その後兄について聞いてくることはない。最初は私から兄の情報を得ようと言う腹かと思ったけれど、そう言う人ではないみたいで、安心した。いくら怖くても、私にはたった一人の兄。何もなくいてくれるなら、それが一番いい。


明智さんは仕事が忙しいらしく、最近は会っても挨拶を交わすか、少し立ち話をするくらいだ。それでも、明智さんと話すのは楽しかったし、格別、心が安らいだ。いつのまにかこんなにも明智さんを求めている自分がいて、そのことに自分自身が一番驚いている。けれど、驚き反面、ようやく人間らしさを取り戻せた自分に、安心している部分もある。


今日もいつものように病院に行くと、入ってすぐのロビーになぜか、明智さんが座っていた。またいつものように私に会いに来てくれたのかと思ったけれど、…そうじゃない。顔を見て、そう直感した。


その顔は、刑事の顔をしていた。


「…さん」


私の姿を捉えると、ゆっくりと立ち上がる。私は急に逃げたくなって、その言葉に答えることをしなかった。


「今日は、お話があって来ました」
「お…話?」
「はい。友人としてではなく、刑事としてのお話です」


そんなこと、顔を見たらわかります。のど元まででかかった言葉を、あわてて飲み込んだ。そうであってほしくない、と思ったから。


「……明智さん、私、……診察がありますので」
「では、終るまでお待ちしています」
「そんな、だって何時になるか…」
「いえ、待ってます。それに、普段だって待っているんです。 …貴方がいやでも、私は待ちます」


つまり、私に選択肢はないと言うことだ。"任意の事情聴取"ではないと言うことだ。明智さんの目が真っ直ぐにこちらを捕らえて、逃げるな、と言っているように見えた。


「……失礼します」


横をすり抜けて、エレベーターに向う。今日の診察が、いつもよりずっとずっと長引けばいい。そんな風に思ったのは、たぶん、今日がはじめてだった。



◇ ◆



診察を終えて下に下りると、本当に明智さんは待っていた。ずいぶん思いつめているように見える。明智さんはあまり表情に出さない人だけど、それでもわかるってことは、ここに来るまでにかなり考えてきたんだろう。もしかしたら、私を傷つけない言葉を探してくれたのかもしれない。そうだとしたら、それはとてもありがたいことだけど、すごく心苦しくなった。


「やっぱり、ちゃんと待ってましたね、明智さん」


明智さんが覚悟をしていたように、私も診察の間、傷付く覚悟をしていた。明智さんが何を言って、どれだけ傷付いても、取り乱さない覚悟をしていた。


「…………外に、出ましょうか」


重い口を開くと立ち上がって、私を外へと促した。後ろから見る広い背中は、いつもよりも丸く見える。疲れているんだろう。


外に出ると、明智さんはベンチに座った。私はその斜め前に、彼に真っ直ぐ向かないように止まって、空を見上げる。…オレンジと紫が混ざった、複雑な空だった。


「聞かれることを、予想しているのではないですか」


落ち着いた口調で、ゆっくりと話し始めた。


「…どうして、そう思いますか?」
「診察から戻ってきた貴方の表情を見て思いました」
「……流石ですね」
「本当は、 …こんなこと、聞きたくはない。しかし私は刑事です。だから」
「大丈夫、わかってますよ。仕方ないです」


明智さんは、何も悪くない。そういうつもりで笑ったのに、彼は苦しそうに顔を顰めるだけで、またすぐに俯いてしまった。


「…お話は、二つあります。…一つは、貴方のお兄さんのことです」
「……はい」
「暁助さんの会社の重役が5人も殺害されています。ご存知ですね?」
「はい、知っています」
「その事件に、お兄さんが深く関与している可能性があります」
「…はっきり仰っていいです」
「……」
「兄が、犯人なんでしょう?」


私の言葉に、一瞬明智さんの表情が固まって、それから小さく、今のところは、とこぼした。今のところは、なんていわなくても、たぶん兄が犯人なのは間違いない。だって、明智さんが犯人だと睨んだんだから。…それでも"可能性"としてしゃべるのは、私が傷付くと思ったからだろう。


「ここ最近あまりお会いできなかったのは、捜査もありますが…私自身、貴方に会うのがつらかったからです。…すみません」
「どうして謝るんですか?容疑者の妹なんて、例え友達でも会っていていい気分ではないでしょう。明智さんは悪くないです」
「いい気分とか、悪い気分とか、そう言うことではないんです」
「え?」
「……私が捜査を進めていくことで、貴方を苦しめることが、つらかったんです」
「…明智さん……」


わかっていたことでも、改めて言われると、彼の優しさが心にしみた。


「…もう一つ、…貴方の足のことです」
「っ…」


心臓が飛び跳ねた。例え予想していても、嫌われるのはやっぱり、怖い。


「…貴方の足の怪我は、一年前の事故が原因だと言っていましたね」
「……えぇ」
「私は、その事故を見ていたようです」
「………」
「暁助さんのことを調べていてわかりました。…貴方のお母さんの車イスを押していたとき、雪道で滑って車道に飛び出した、そして貴方も、足を轢かれた…」
「…そうです」
「しかし、そのときの貴方の怪我は軽く、せいぜい両足骨折くらいのものだったはずです。…それなのに、貴方はなぜ未だに車イスなんですか?」
「えっ…?」


話が思わぬ方向に進んだので、思わず明智さんの方を振り返ってしまった。当然明智さんがいうことを間違えたわけじゃない。


「…貴方の足は…… もう治っているんじゃありませんか?」
「!」


明智さんは、こっちを真っ直ぐ射抜いていた。私が答えるのを待っている。だけど、それを答えてしまっていいんだろうか?答えたら、兄を、…兄だけを、悪者にすることにはならないだろうか?でも、私を救ってくれるのは…たぶん、この人しかいない。


「……そ、です」
「…やはり、そうですか」
「正直…わからないんです。診察結果は私には教えてくれなくて…兄も、苅田先生も…。でも…」
「診察結果を教えないって… どういうことですか?二人で共謀して、貴方を車イスに縛り付けているとでも?」
「兄は、…私を恨んでいるんです。母を殺した私を…」
「え?」


「―――…


ぞく、と寒気が走った。低く、冷たく、感情のない声。


「…お兄、ちゃん…」
「何をしている」


ゆっくりと私の前まで歩いてきて、鋭い目で見下ろす。長い髪が追い風に揺れた。


「…っ、は、はなし、を…」
「余計な話を?」
「っ…!」
「帰るぞ」
「! さん!」
「だ、だめ!」


明智さんが止めに来てくれたのを、慌てて制止した。私の後ろで、兄が低く笑う。


「…これはこれは。最近妹にちょっかいを出す人間がいるとは聞いていたが…それがまさか刑事とは」
「彼女をどうするつもりだ」
「どうするとは人聞きが悪い。別に、どうもしませんよ。ずっと… このままだ」
「っ!」
「これは私たち兄妹の問題だ。…貴方は口を出さないでいただきたい」
「残念ながら、その言葉には従えませんね」
「なら…無理矢理従わせるまでだ。…なぁ、?」


耳元で、兄の声が響いた。…私は、恐怖で頷くことしか出来ない。それに満足した兄はくく、と乾いた笑みを浮かべると、私の頭を軽く数回叩いた。


それから私は、明智さんを振りかえることも出来なかった。









2007.09.22 saturday From aki mikami.