罪と罰と恋と愛


Scene.1


濡れたコンクリートの感触を頬に感じながら、私は静かに目を開いた。


いつも通りのにおい、いつも通りの冷たさ、いつも通りの音で規則的に降り注ぐ雨は、私の髪や服をびしょびしょに濡らしていく。流れ出る血のにおいは雨に流れていって、そこら中に赤い水たまりを作る。襲い来る衝撃に顔色を変えないことも、もう慣れてしまった。


私を取り囲む数名の男。そいつらはいつも通り、きーきーと甲高い声をあげながら、楽しそうに私を蹴とばす。何がそんなに面白いんだろうか。毎日毎日同じことをして、何がそんなに楽しいのだろう。私にはわからない。わかりたくもない。


こいつらは、顔だけは絶対に狙わない。なんでも地球人の女は見た目にも人気が高くて、その中でも私はそこそこ整った顔をしているから顔を崩すのはもったいないのだそうだ。自分以外の地球人の顔を見た記憶がほとんどないから、その言葉が本当なのかはわからない。分かったところで何も変わらない。


蹴り降ろされる男たちの足を見るのももう飽きてしまって、静かに目を瞑る。今日の晩御飯、何がいいかな。家には何が残っていたっけ。そんなことを考えていたら、ふと辺りが静かになった。正直そのことにすぐに気づけたかどうか自信がないけれど、多分そんなに時間は経っていないと思う。男たちの声も、蹴っていた足も止まり、雨音だけが聞こえる。どうしてだろう?目を開ける。


開けてびっくり、そこには男、…女?いや、多分男、の顔があった。目を細めてニッコリ笑っている。私と同じ地球人?わからないけれど、似ている顔をしている。傘をさして、かなり顔を近づけて私をじっと見ている。


「ああ、やっぱり生きてた。もったいないなぁ、こんなきれいなお姉さんにこんなことするなんて」


しゃべり声は、やっぱり男だった。相変わらずニッコリ笑いながらすいと視線を逸らすので、私もそれを追って視線を向けると、そこには私を囲んでいた男たちが、ぐしゃぐしゃの血だらけになって山のように積み上げられていた。彼がやったのだろうか。


「はい、どうぞ」


そう言って、私の前に彼の手が差し出された。その手を掴むと、ぐいとひっぱり起こされる。一瞬ふらついた私の体を、彼が支えてくれる。どうもありがとう、というと、どういたしまして、と返ってくる。


傷はいつもより大したことないようだった。普通に立っていられるし、歩けそうだし、走れそうだし、手も動かせる、掴める、肩も大丈夫。一通り体の機能を確認している間、彼は黙って私の方を見ている。別に構わないけれど、ちょっと戸惑う。


「あの、助けてくれて、ありがとうございました」


改めて彼に向き直り、頭を下げる。そうしながら、私も彼を少し観察してみた。オレンジの髪、細められた目、体全体を覆うローブのような服の下に、変わった服…どこかの民族衣装だろうか?を着ている。そして、大きな傘をさしている。歳は私より少し下だろうか。私の事をお姉さんと言っていたから、きっとそうなんだろう。


いえいえ、といいながら、傘を持っていない方の手をひらひらさせる。よく見たら、笑顔が胡散臭い気がする。助けてくれたのにそんなことを思うのは失礼だろうけれど。まあ、私に害がないのなら、別にどうでもいい。見たところこの辺に住んでいるわけではなさそうだし、そもそもこの星の住人かどうかも怪しい。私はさっさと帰って、きっと仕返しに来るだろうあいつらをどうするかでも考えていよう。そう思ったのに、彼はどこかにいなくなる様子もなく、ニッコリと私を見ている。


「別にお礼なんていらないよ。その代わり、一つお願いがあるんだ」


胡散臭さが一層ひどくなった。普通に考えたら、いくら女をリンチしたやつとはいえ、赤の他人を笑顔で攻撃するような奴が、まともなやつとは思えない。無視して立ち去りたい気持ちもあったけれど、一応恩人だ、話だけでも聞いてやろうと思い、彼を見つめ返した。


「俺と一発、やりあってよ」


やりあう。やりあうとは、どういうことだろう。普通に考えればセックスかな、と思うけれど、彼の表情から察するに、それとは違う気がする。私が彼の言葉を理解していないのがわかったのか、彼は私の方を指さしながら、話を続けた。


「その腰の武器。それ、刀でしょ?」


言われて、自分の腰に刺している刀を見た。そしてようやく理解する。「やりあう」は「殺り合う」だということを。


「それを持っている奴と、地球で戦ったことがあるんだ。楽しかったなぁ」


どこかうっとりしたようにそう言われて理解した。こいつは頭がおかしいぞ、と。戦いが楽しいとか殺すのが楽しいとかいうやつは、頭のねじが数本といわず外れている、いや、頭のねじで止めていた大事なものをどっかに捨ててきてしまったんだろう。


「あんた、侍ってやつだろ?」
「さあ、どうでしょう…今は知らないけど、私が地球にいたころは、女が侍なんて言ったら鼻で笑われていたはずですけど」
「ふーん、そうなんだ。ま、俺には関係ないけどね。俺は強い奴と戦えれば、それでいいから」


そう言って、彼は傘を折りたたんだ。その折りたたんだ傘の先を、私に向ける。


「さあ、殺り合おうか」


その眼は、見覚えがある。戦うのが、殺すのが楽しい、そういうやつの眼だ。勘弁してくれ。そういう手合いに付き合わされるのは、今も昔も面倒だ。それに。


「…悪いけど、私はもう、戦えないんです」


そういうと、彼は初めて、不愉快そうな表情を見せた。でも、不愉快でもなんでも、彼が命の恩人だとしても、どうすることもできない。


私は腰の刀を、彼に見えるように引き抜こうとして見せた。…引き抜こうとしても引き抜けない、それが彼にも伝わったのか、怪訝そうな顔をしている。


「見ての通り、この刀は抜けません。無理に引き抜こうとすれば、刀も、そして私の首も、一緒に吹っ飛びます」


言いながら、自分の首についている趣味の悪い首輪に触れた。彼の持っている傘の先が、ゆっくりと地面に垂れた。


「なーんだ、つまんない。ただの腰抜けじゃないか。そんなもの、さっさと壊してしまえばいいだろ」
「壊そうとしても吹っ飛びます。…私は、まだ死ぬわけにはいかないんです」
「ふーん、なんで?」


さして興味もなさそうに彼が尋ねる。きっと、戦えないことが分かって、面倒くさくなったんだろう。さっき閉じた傘を広げて、頭の上に掲げた。刀が抜けるなら、少しくらいは戦ってあげてもよかったかな。そんな風に思わせるくらい、ぶーたれた表情をしている。


「…守りたい人が、いるんです」


その言葉に、彼はなぜかはっとした様子で私を見た。その眼は、さっきまでの戦う気満々の、ぎらぎらした眼だ。余計なことを言ってしまっただろうか。ぎくっとする私をよそに、彼はくっくっと、低く笑い始めた。


「…これだから、侍ってやつは」


さっき私を助けてくれた救世主は、どうやら世界の魔王かなんかだったらしい。戦いを求めて笑うその顔は凶暴、凶悪で、これ以上かかわらない方がいいと、私の中の第六感が告げている。けれど、それと同じくらい、何か興味をそそられるというか、惹かれるというか、行く末を見守ってみたい気持ちも湧いてくる。…もしかして、魔王に付き従う四天王ってこんな気持ちなんだろうか、なんてくだらないことを考えた。


とはいえ、やっぱりこれ以上かかわらない方がいいだろう。私は彼を見ないように踵を返して、最後にもう一度、助けてくれてありがとう、といって、歩き出す。もちろん振り返ることはしない。これ以上話が発展すると、きっと面倒なことになる。


彼が何かを言った様子はなかった。ただその強い視線だけが、角を曲がるまで私の背中に突き刺さっていた。








Scene.2


今日あったことを一通り話し終えて、私はふうと一息ついた。


目の前にはお母さんがいる。緑色の肌をした、私とは違う星の生まれの、お母さん。…私を育ててくれた、第二のお母さんだ。


地球で過ごした記憶は、六歳とか、七歳とか、それくらいまでの記憶しかなかった。多分人身売買ってやつだったんだと思う。産んでくれたお母さんの顔はもうおぼろげになってしまうくらい、地球には帰っていない。帰るつもりも、今はない。


地球産の女は重宝されるらしく、色んな所に買われたけれど、私はそのどこでも絶対にいうことを聞かず、とうとう戦場のど真ん中に捨てられて、…生きるために、戦う事を選んだ。そこを今の「ボス」に拾われて、世話役として引き合わされたのが、このお母さんというわけだ。


自分の来歴を改めてたどってみると、あまりいい人生ではなかったのかもしれないけれど、こうしてこの人と会えたのだから、そう悪くもなかったと思える。…だからこそ、どうしても助けたい、この人だけは。


医療用モニターの規則的な音だけが、病室に響いている。この星の医療ではこれ以上どうしようもないのだと、医者からは聞かされていた。だからこそ、ボスの持っている解毒剤が、絶対に必要なのだ。


絶対に、あきらめないから。そう思って、お母さんの手を強く握った。


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2021.01.25 monday From aki mikami.