罪と罰と恋と愛


Scene.1


その日の夜、春雨の船から家に帰ると、自宅に先生から電話があった。お母さんが意識を取り戻したとの電話だったので、疲労も眠気も全部すっ飛ばして病院に向かった。お母さんは確かに目を開けて、私を呼んで、頭を撫でてくれた。うれしくてたくさん泣いた。病院の面会時間はとっくに過ぎていたけれど、先生も看護師さんも何も言わないでいてくれた。


翌日、念のため検査をすることになり、朝から病院に行った。昼までかかった検査結果は特に異常なし、ただししばらく寝たきりだったせいで筋力が落ちているのでリハビリが必要とのことだった。


検査結果を聞き終えて先生が病室から出ていくと、私もお母さんも思わずため息をついた。


「検査長かったね。さすがに疲れたでしょ、お母さん」
「私はベッドごと運んでもらっただけだからねえ。の方が疲れただろう?」
「うーん、疲れてないといえば嘘になるけど…今はうれしい気持ちの方が強いかな」
「そうかい」


そう言ってお母さんはちょっと照れくさそうに笑った。けれどすぐに沈んだような顔になって、俯いて自分の手を見つめた。


「…あんたには負担をかけてしまったね。組の事も、体の事も…」
「そんな、お母さんが悪いわけじゃないでしょ。元気になってくれれば私はそれでいいの」
「…私は、に自分の人生を生きてほしいんだよ。誰かに命令されたわけでも、私を守るためでもない、自分のためだけの人生を」


そう言って私を見つめるお母さんの目は、いつになく真剣だった。でも、自分の人生を生きるってどういうこと?それは私に一人で生きろってことなの?…また私は、一人になるの?


なんて言ったらいいかわからずに、顔を俯ける。お母さんも何も言わないので、病室には重苦しい沈黙が下りた。時計の音だけがカチコチ鳴っていて、なんてことはない音なのに、少しうるさく感じてしまう。


そんなとき、突然何者かの気配を感じた。後ろには窓しかないはずなのにおかしい。慌てて振り返ると同時に、けたたましい音を立てて窓ガラスが割れる。破片がこちらに飛び散ってきたので、慌ててお母さんに覆いかぶさった。窓が割れる瞬間見えた影、あれは間違いない。


体を起こして振り返ると、そこには案の定、ニッコリ顔を携えた死神が、窓枠にしゃがんでこっちを見ていた。


「神威!どうして…!」


私の言葉を無視して病室に上がり込んできた神威は、窓の下を覗き込んで、ひらひらと手を振る。


「おーい阿伏兎、こっちこっちー」


どうやら下に阿伏兎がいるらしい。阿伏兎が何を言っているのかは聞こえなかったけれど、きっと「こっちこっちじゃねェよすっとこどっこい」とかなんとか言っているだろう。やがて神威が窓から離れると、同じ窓から阿伏兎も飛び上がって中に入ってきた。…二人とも、ここ一応四階ですよ。


「あーあァ、どうすんだこの窓。弁償すんのにいくらかかるんだこれ?」
「さァ?その辺は阿伏兎に任せるよ」


ひたすら困った顔をしている阿伏兎に、変わらぬニッコリ顔の死神。私はさすがに戸惑っているだろうお母さんに向き直って、お母さんに怪我がないことを確認すると、恨みを込めて神威を睨み付けた。


「ちょっと神威!なんで窓から入ってくるわけ?」
「だってこっちの方が早いだろ」
「お母さんに窓ガラスが刺さったらどうするの!」
「あんたならそれくらいうまく防ぐだろ」


ははは、と笑ってそんな風に言われたら、それ以上言い返す言葉がなくなってしまう。やりきれない思いをため息に乗せて盛大に吐き出した後、お母さんに向き直った。


「ごめんね、お母さん。この人、昨日話した人たち」
「助けてくれた方たちだね。私と娘を助けてくれて、本当にありがとうございます」
「どういたしましてー」


深々と頭を下げたお母さんに、神威はひらひらと片手を振って見せた。阿伏兎は相変わらず困った顔をしながらやり取りを見ている。


「何かお礼をさせていただきたいのですが、なに分今はこんな体で…」
「あー、いい、いい。お礼なら昨日お嬢さんから…」
「それなんだけどねェ」


阿伏兎が、多分「昨日お嬢さんから団長にお礼してもらいましたから」的なことを言おうとしていたのに、神威がそれを遮った。どうしてこのタイミングで?と不思議に思って神威を見るけれど、その表情からはやっぱり感情は読み取れない。


「こいつをもらっていこうと思うんだよね」
「…え?」
「はァ?」


私も阿伏兎も面食らって変な声が出てしまった。もちろんお母さんも驚いていることだろうけれど、目の前の神威から視線が外せないので確認しようがない。何を言い出したんだこの男は?私をもらっていくって?どこに?誰が?


「それは、どういうことでしょうか」


お母さんが少し難しい声色でそう尋ねた。まさかいきなり娘を貰っていく宣言されて、愉快な声を出す奴もいないだろうけれど。


「俺、やっぱりこいつと戦ってみたいんだよねェ」


何を言い出すかと思えば、またそれか。だから戦えないって何度も言っているのに、理解力がないのだろうか。さすがにイラッとしてきたぞ。


「私は戦えないって、何度も言ってるんだけど?」
「それはその首輪のせいだろ?そいつが外れれば問題ないわけだし、こんな田舎の小さな星じゃ無理かもしれないけど、もっと大きな星に行けば、そいつを外せる機械技師がいるかもしれない」
「それは…そうだけど…」
「それに、首輪の爆弾は刀の爆弾と連動しているんだろ?ならその刀じゃない、別の武器を用意すればいい。そんなもの、地球に行けばいくらでもあるだろ」


神威の言葉を否定することが出来なくて、私は黙りこくるしかなくなった。だって、肯定したらしたで、もらわれることになってしまう。


神威はやっぱり表情を変えずに、こちらをじっと見ている。ちらとお母さんを見たら、お母さんも私を見ていた。その眼が何を訴えているのかは、正直わからなかった。


「…いきなり、決められないよ」


絞り出した言葉がそれだった。だって、あまりにいきなりすぎるし、今はお母さんがやっと目覚めてくれて、これから二人で新しい生活を始めようって、思ってたところだったのに。


「あんたに選択肢なんてないよ。逃げるなら無理やり連れていくから」
「いやおかしいでしょ!嫌がる女性を無理やり連れていくとか、人さらいか!」
「まあ海賊だからねェ」
「海賊だからねェ、じゃない!」


本当、戦いの事しか頭にないんだから。何でもかんでも自分の言う通りになると思ってるところがまた腹が立つ。


「…とりあえず、今は帰って。私にも考える権利くらいあるはずでしょ」
「仕方ないなァ。じゃ、明日食料の積み込みが終わったら出発するから、それまでに来てよ」


じゃあねー、といって、窓からさっさと行ってしまった。残された阿伏兎は、「騒がせて悪かったな」といって、神威の後を追って窓から出て行った。…あれ、窓ガラス代、弁償するんじゃなかったの?


ガラスの割れた音を聞きつけてか、ドアから看護師さんが入ってくる。割れた窓を見て甲高い声を上げたのを聞きながら、私はぼんやりと考えていた。


神威たちと一緒にこの星を出る。お母さんを置いて、…私、一人で。


Scene.2


あの後は、散らばったガラスの破片を片づけて、お母さんを別の病室に移動させた。ちなみに窓ガラス代は春雨に請求が行くようにしてやった。ざまあみろ。


ようやくほっと一息ついた私とお母さん。なんだかもう、神威に出会ってからは寝ている時間以外常に騒がしい気がする。さすがにお母さんも疲れたよなあと思ってちらと視線をやると、お母さんの方が先に私を見ていたようで、パチリと目が合った。


、さっきのはどうするんだい」
「…さっきのって、もらっていくとかいうやつ?そんなの無視でいいでしょ。だってお母さん置いていけないし」


大体、神威が強引すぎるんだ。私の話なんてなにも聞いちゃいない。そもそも聞く気なんてない。たまには自分の思い通りにならないこともあるって教えてやらなくっちゃ。…でも。


神威と一緒に色んな星を旅したり、色んな人と出会ったり、時には戦ったり、笑ったり、怒ったり、泣いたり。


それはとても、楽しそうだな、と思う。


「…行っておいで」


そう言ったお母さんの声は妙に静かで、けれどはっきりと聞こえて、ドキリとした。私の心、読まれていたんだろうか。


「何言ってるの、お母さん」
「行ってみたいんだろう?顔に書いてあるよ」
「…そうかな」
「そうだよ。あんたは分かりやすいからね」


そう言われて、自分の頬をペちペち叩く。そんなに顔に出やすいつもりはなかったんだけどな。やっぱりお母さんだからわかる、とかなのかな。


「でも、お母さんは…」
「私の事は大丈夫さ。あとはリハビリだけだって先生も言ってただろう。それくらいなら一人でも大丈夫だし、お金ならが組からたくさん持って来てくれたしね」


そう言って、お母さんはウインクした。そう、組のお金は私と神威たちとで山分けしていた。どうせ壊滅した組織のお金だし、誰に咎められることもない。


「さっきも言ったろう。には自分の人生を歩んでほしいって。自分の好きなことをしていいんだ」
「…好きな、こと」
「それにね、お母さんも、リハビリが終わったらこの星を出るつもりなんだ」
「え?」


さすがにそれは初耳だ。驚いた私に、お母さんはどこか照れたように笑った。


「地球でね、やりたいことが出来たんだ」
「地球…で…」
「うん。だからね、も自分のしたいことをすればいいのさ。離れたって、心まで離れちまうわけじゃないんだからね」


お母さんの笑顔は温かくて、どこまでも私のことを思ってくれているのだとわかる。目の奥がじんわり熱くなって、両の手のひらで自分の顔を覆った。


「…ありがとう、お母さん。私行ってくる」








Scene.3


翌日。いくつかの着替えや生活必需品を持って、春雨の船に向かうと、神威は船の翼部分に腰を下ろして待っていた。私の姿を捉えると、軽やかに降りてきて、傘をくるくるさせながら近寄ってくる。


「お、きたきたァ。そうこなくっちゃね」
「…悪いけど、戦いたくて行くんじゃないから」
「そう?まァ俺は何でもいいけどね、殺り合えれば」


ハッチは開いていて、神威はそこから歩いて中に入っていく。まだ食料の積み込みが終わっていないらしくて、阿伏兎と、同じ夜兎族の仲間だと思われる傘を差した人が、数人船の周りに立っていた。阿伏兎は私の姿を捉えると、少し驚いた顔をした後、軽く手を挙げてこちらに歩み寄ってきた。


「おゥ、まじで来たか」
「来ちゃった。…お世話になります」


絶対に面倒くさい顔をされると思ったのに、そんな様子は様子はなく、阿伏兎は他の仲間を「おーい」と呼びつけた。阿伏兎の声かけで、私のところにぞろぞろと集まってくる夜兎族。遠くから見ても思っていたけれど、近くで見るとみんな大きい。


「こいつが、昨日話した奴だ。今日からしばらくは一緒に旅することになるから、驚いて殺したり、手ェ出したりすんじゃねェぞ。団長に殺されるぞ」


なるほど、これが団長の好みかァ。なるほど美人っすねェ。恐ろしくて手なんか出せるか。そんな言葉を口々に発する夜兎族のみなさん。…名前はおいおい、覚えていこう。人の顔と名前覚えるの、あんまり得意じゃないんだよなァ。なんて思いながら、私を見下ろす大男たちを見上げた。それにしても、意外と歓迎ムードでちょっと驚いてしまう。戦闘部族なんていうから、神威みたいにいかれた奴ばかりかと思っていたけれど、どうやら神威は夜兎族の中でもちょっと特殊らしい。


「…阿伏兎、絶対嫌な顔すると思ってた」
「あー、まァ面倒くせェとも思うが、俺ァ根性座った女は結構嫌いじゃねェんだ」


そう言ってニカッと笑うので、阿伏兎のちゃんとした笑顔初めて見たな、なんて思いながら、私もできる限りの笑顔を作った。


これからどんなことが起こるだろう。不安と、期待を感じながら、案内するために前を歩く阿伏兎について船に乗り込んだ。


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2021.01.29 friday From aki mikami.