罪と罰と恋と愛


Scene.1


さっき放り捨てたブーケの袋を拾い上げてから、血が流れ出る左肩を強く圧迫した。


勝負は私の負けだった。当然だ、まともにやりあって勝てるわけがない。それなりに守って守られて、いい勝負ができたと思う。これでもう後悔はない。満足だ。


…嘘。そんなの嘘だ。左肩に爪が食い込むくらい強く、強く右手を握り締める。


勝つつもりだった。勝って、私をまた一緒に連れて行ってって、言うつもりだった。…でも、斬れなかった。神威の攻撃を防ぐことはできても、あの一瞬の間合い、ここなら斬れると思ったタイミングで、…ためらってしまった。神威を斬ることを。そして当然神威は気づいた、私の迷いを。


つまんないなァ。そう言って神威はどこかへ行ってしまった。きっと失望したんだと思う。


こんなことなら、まだ死んだ方がよかった。殺される相手が神威なら、それでも。たくさんの人の命を奪ってきた私でも、殺される相手を選べるというのなら、それも悪くないって。けど神威は、それを許してくれなかった。…もう私と戦うことも、ないだろう。


さてどうしたものかと辺りを見回す。日はすっかり落ちていて、辺りは闇に包まれている。街灯はいくつかあるけれど、決して多いとは言えない上にここから少し離れているので視界が悪い。


きっと神威は、もう私に興味を持たない…けれど、ほかに行くあてもない。足は自然と、船の方に向かった。


組に入ってからはどうしても暗殺が多かったので、はっきりと自分に殺意を向けてくる相手とは久しぶりに戦った。…神威は、殺そうとしていた。私のことを。それを望んで私をここまで連れてきたんだから、当然だ。


でも、でもね神威。私は思うんだ。もしかして神威も、私を殺すことを、ためらったんじゃないかって。だって、私が今こうして生きているもの。私が攻撃をためらったあの一瞬、神威が迷うことなく攻撃していたら、私は左肩ではなく、胸を貫かれて死んでいたはずだから。だからきっと神威も、私を殺すことをためらったんじゃないかって、思うの。


でも、だから何だっていうんだろう。神威が私に失望したのは、私が「勝負を楽しまなかったから」だ。自分の感情や、つまらない意地や、情に流されて、神威の楽しみを邪魔したからだ。


もし私が、戦う前に神威にちゃんと「一緒に連れて行って」って、言えていたら…こうはなってなかったんだろうか。もっと思い切り戦うことが、出来ていたんだろうか。


何を女々しいことを考えているんだろう。勝負に負けた私には、もう二度と連れて行ってくださいって頼むことも、出来やしないっていうのに。


船への道を辿りながら、神威の姿を捜す。けれどそこには誰もない、いつもの殺気ですら、感じることはなかった。


Scene.2


「やられたなァ」


私の怪我をみて第一声、楽しそうな調子で阿伏兎は言った。


「ま、あの団長とやりあってその程度で済んだんだ、手加減してもらってよかったなァ」


そんな憎まれ口をたたきながら、慣れた様子で傷の手当てをしてくれる。周囲を見渡してみたけれど、神威は帰ってきていないようだった。


「…殺してくれてもよかったんだけどね」
「武士道ってやつかァ?侍ってやつァめんどくせーなァ」
「…そんなんじゃないよ」


本当に、そんな高尚なものじゃない。ただわがままなだけだ。阿伏兎はやれやれと言いたそうに顔を歪ませながら、傷に大きな絆創膏みたいなものを張り付けた。


「ま、なんでもいいけどな。それにしても地球人は傷の治りが遅くて大変だな。っと、終わったぞ」
「夜兎族が早すぎるだけだと思うけどね。…ありがと」


言いながら、部屋から持ってきた着替えをつかむ。阿伏兎が私に背を向けたのを確認してから、穴の開いてしまった服を脱いだ。


「…神威は?」
「あー、一度戻ってきたぞ。珍しく辛気臭ェ面してな」


新しい服に袖を通しながら、胸がドキリとなった。阿伏兎のいう辛気臭い面というのがどういう顔かはわからないけれど、そうしてしまったのはきっと私のせいだ。


「…なんか、言ってた?」


恐る恐る尋ねてみる。…正直、返事を聞くのが怖い。もしなにか、拒否の言葉を言われたら…そう思うと、また胸がドキリとなった。


「おー、なんか『負かしてきた』って言ってたから『殺したのか』って聞いたら黙り込んじまうからよォ。こりゃー殺ってねェなと思って『置いてくのか』って聞いたら、そのまんまどっか行っちまった。団長に何言ったんだお前さん」
「…何も、言ってないけど」
「ほーん。まァなんにしても、あの団長が生かしておいとくなんて珍しいぜ。…いや、最近はそうでもねェか」


着替え終わって立ち上がると、阿伏兎は私に背を向けて椅子に腰を降ろしていた。刀を腰のベルトにさして、阿伏兎の向かいに立つ。


「私、斬れなかったんだ。斬るチャンスはあったのに、斬れなかった。…だから、失望させたんだと思う」
「だろうなァ。情がうつったから斬れねェってか?俺でもがっかりするだろうぜ」


吐き捨てるようにいう阿伏兎。図星をつかれてずきずきと胸が痛む。何も返す言葉が見つからなくて黙りこくっていると、阿伏兎は少し深刻そうな顔になって、テーブルに頬杖をついた。


「…俺の知ってる侍ってやつァみんなそうだ。地球人ってのは元来そういうもんなんだろ」
「そう…なのかな」
「俺に聞くなよ。…でもまァ、俺にだってそういうことがなかったわけじゃねェ」


阿伏兎の言葉がちょっと意外で、思わず驚いしまう。私の視線を感じたのか、阿伏兎はうっすら笑って私の顔を見上げた。


「俺だけじゃねェ。あのバカ団長にも…あるかもしれねェな」
「ッ…」
「実際どうかはしらねェけどな。気になるなら自分で聞いてみるこった」


いたずらっぽい顔で笑う阿伏兎。もしかして、今のは元気づけてくれているんだろうか。わからないけれど、…神威と話したい、私がそう思ったのは確かだ。


「…神威、どこ行ったかな」
「さァな。町の方に引き返してったのは見えたが…どこ行ったかまではしらねーよ」


阿伏兎の言葉に、なんだかいてもたってもいられなくなってしまって、駆け足で部屋を出る。後ろから「さっさと連れ戻して来い」っていう阿伏兎の声が聞こえたから、振り返らないで「了解」と返事をした。


やっぱり神威も、私と同じだったのかな。そうであればいいと、強く願った。


Scene.3


さっきの空き地まで引き返してきたけれど、ぱっと見る限り神威の姿は見当たらなかった。


薄暗くて視界が悪い。さっきはあまり気にしていなかったけれど、ここは空き地というより公園のようなところなんだろうか。もっと奥の方にも行けるところがありそうだった。


奥に行けば見つかるかもしれない。そう思って、奥に進んでいく。進めば進むほど草木が増えていき、街灯の光が届かない暗がりになっていく。足元がよくなくて、途中何度か転びかけたけれど、手で辺りを探りつつ何とか歩く。


やがて、少し歩いたところに街灯と、一本のマツの木があるのが遠目にわかった。…そして、マツの木の下に、誰かが立っているのも。


誰なのかはすぐにわかった。マツの木には美しいフジの花が絡んでいて、街灯がまるで専用のライトのように照らし出している。なんだか怖い気がして…あと少しの距離まで来て、足が震えて立ち止まった。


「やっと来た。待ってれば来る気がしてたんだ」


振り返らずに、ただじっとフジの花を見つめている。


「…あんたと戦って、楽しかったし、うれしかった。期待通りの殺し合いが出来るって」


抑揚のない声。感情も、殺気すらない、淡々とした声。


「だからこそ失望した。俺を殺せなかったあんたに」


失望。その言葉に、ちくりと胸が痛む。ひんやりとした夜風が、私の前を通り過ぎていく。


「…けど、それ以上に失望したんだ。…あんたを殺せなかった、自分自身に」


その瞬間、舞い上がった風と共に振り返った神威は、…淡々としているはずなのに、どこか泣きそうに見えて、
…その顔から、目がそらせない。


「あの瞬間、なぜか思ったんだ。…あんたを殺したら、後悔するって。今まで何百、何千、何万殺してきて、後悔なんて一度もしたことなかったのに」


神威の瞳は、揺れている。きっと初めての感情に戸惑っている。直感的に思った。ああ、この人はまだ子供なんだ、って。そして、とっても優しいんだ、って。優しいことを弱いことだと思って、優しくないふりをして自分を強く見せようとしている、ただの子供なんだ、って。


静かに神威の隣に並ぶ。むせ返るほどのフジの花の香り。ひんやりとした優しい風。街灯の淡い光。怖くなんてない。なんだか私を素直な気持ちにしてくれる気がして、自然と言葉が口をつく。


「私も神威と一緒」


神威はまだ、私の方を見ている。きっと、さっきと同じ瞳で。


「殺す気はなかったけどね、でも、あの瞬間…確実に神威を斬れると思った瞬間、ためらった。斬りたくないって、斬ったら後悔するって、思ったから」


見上げるフジの花は、多分まだ満開には少し早くて、それでも美しく力強く咲いている。…大丈夫、ちゃんといえる。神威をまっすぐに見上げて、口を開く。


「私にとって神威は…傷つけたくない人に、なっていたみたい」


今度はちゃんと、神威の目を見て、そう言い切った。変に迷ったり恥ずかしがったり、見栄を張ったりしないで、私の正直な気持ちを。


神威は私の言葉に、何か考えるようなそぶりを見せる。けれど、すぐにいつものひょうひょうとした表情に戻って、ちょっととぼけたような声で言った。


「あれ、やらないの?」
「…あれ?」


何の事だろう?と私が思っていると、変わらずひょうひょうとした顔でフジの花を見上げる神威。


「お得意の花言葉」
「…別にお得意ではないけど」


神威の言葉に思わずふふっと笑ってしまう。そんなに私、花言葉ばっかり言ってたかな。確かに好きだけど…。少しだけ照れくさい気持ちになりながら、フジの花を見上げた。


「いくつかあるけど、一番好きなのは…『決して離れない』かな」


一番好きなんて言ったら、また「乙女チック」って言われちゃうかな、なんて思うけれど、神威はまだ何もしゃべらないので、そのまま言葉をつづけることにした。


「昔はね、マツの木を男性、フジの花を女性に例えて、一緒に植える習慣があったんだって。マツの木に巻き付いて咲く花だから、そういう花言葉になったんだって。…ちょっと怖いような、ロマンチックなような、不思議な話でしょ」


何があっても離れない、そういう愛し合う男女のようなロマンチックさと、絶対に逃がさないっていう執念深さみたいな怖さ。いろんな物語が見える気がして、なんとなく気に入っている。


花にも、花言葉にも、きっといろんな人の思いが、思い出が、物語があって、私は多分、それが好きなんだと思う。


「なんかヤンデレみたいだね」
「ははっ、確かに!まァでも浮気性よりいいんじゃない?」
「…そうかもね」


そう言った神威の言葉がちょっと意外で、顔を見上げると、穏やかな笑顔と目があった。


「…帰ろうか」


そう言ってくれる神威の笑顔が、声が、心地いい。


「うん」


そう答えて、どちらからともなく歩き出す。当たり前のように同じ方向へ。けどそれは、当たり前のことじゃないんだ。私が、一緒にいたいって思えたから、…神威が、一緒にいてもいいって、思ってくれたから、きっとこうしていられる。


風に乗って流れてくるフジの花の香りが、心地よく鼻をくすぐった。


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2021.02.05 friday From aki mikami.