罪と罰と恋と愛


Scene.1


前の第一師団との合同作戦の後、違う星で物資を補給して、それからしばらく経つ。けれど、まだ次の星にはつかないらしい。というか、そもそも目的地が決まっているのかも怪しい。この間阿伏兎に聞いたことだけれど、第七師団は他の師団のように犯罪でお金を稼ぐようなことはほとんどしていなくて、基本力仕事、とりわけ戦闘ばかりやっている、らしい。荒事があればどこにでも行くけれど、逆に荒事がなければ行くところもないということだ。


そんなわけで、ここ数日ずーっと暇で、私はこの展望室みたいな部屋に入り浸っている。初めて宇宙を見たときのような恐怖心もなくなってきたので、そろそろこの部屋で寝泊まりしてもいいんじゃないかと思い始めているくらいだ。まあでも、荷物を動かすのは面倒くさいし、今さら荷物なんて運ばなくても、この部屋は私以外ほぼ誰も使っていなので、実質私の部屋みたいなものだ。ちなみに死んでしまった団員達が使っていた部屋も自由に使っていいと言われたけれど、そっちはなんとなく使う気になれない。この部屋は外を見るために入り浸っているだけで、そもそもいくつも部屋があっても特にメリットはない。


今日はコーヒーではなく紅茶を持ってきた。相変わらずステンレスポットにおかわりを入れて、いつ神威に飲まれてもいいようにしてある。たまに来ない時もあるけれど、大体は私がここにいるとやってきて、わがもの顔でお菓子を食べて飲み物を飲んで去っていくからだ。


…でも正直、来ないでいてくれるなら、その方がありがたい。この間の脱衣所での一件以来、なんとなく顔を合わせづらい。泣き顔も裸も見られてしまったし、裸のままくっつくなんてちょっとはしたないこともしてしまったし、顔を見るのがなんとなく恥ずかしい。次の日に借りた服を洗濯して返した後からは、私からは一度も話しかけられていない。…ちゃんと伝えなきゃいけないこともあるはずなのに。


そんなことを考えていると、後ろで扉があく音がした。…やっぱりやってきたかァ、と思って一応振り向くと、そこにいたのはやっぱり神威だった。


「今日のお菓子はなにー?」
「当たり前のように聞かないでよ。もうストックのお菓子なくなっちゃったから、今日は私が作ったやつ」


そう、実はしばらく補給にすら降りていないので、お菓子のストックがもうなくなってしまった。なので、備蓄の食料を少し拝借して、クッキーを焼いておいた。やっぱりコーヒーとか紅茶には、お菓子がなくっちゃね。


「へェ、手作りかァ」
「そ。味わって食べてよね」
「いただきまーす」


私の言葉はきっと聞き流していたんだろう、皿に盛ったクッキーを数枚がばっと掴んで、そのまま腕ごと食べそうな勢いで口に放り込んだ。…少しは味わって食べてほしいわ。


「うーん、うまい」
「そうですか。…そう言ってもらえるなら少しは救われますよ」


神威は基本嘘をつかないので、うまいというからにはうまいんだろう。作った身としてはもう少しゆっくり食べてほしいけれど、とりあえずうまいといってもらえるならよしとする。


次のクッキーに手を伸ばしながら、神威は私の隣に腰を下ろした。…今日は珍しくくっついて来ないみたいだ。ちょっと安心しつつ私もクッキーに手を伸ばすと、後から伸びてきた神威の手が私の手に触れた。


「ッ」


なんだか恥ずかしくなって、咄嗟に手を引っ込めてしまった。…ちょっと、あからさまに反応しすぎたかな。そう思ってちらっと神威を見ると…なんだか、すっごくこっちを見ている。


「…なに?」
「べつに?」
「…みないでよ」
「なんで?」
「なんでって…」


恥ずかしいからだよ、と言う言葉を発することがすでに恥ずかしくて、黙りこくっていると、神威が顔を近づけてくる。


「ねえ、なんで?」


ああ、せっかく今日はくっついて来ないと思ってたのに。結局いつもと同じ、むしろいつもより近い距離で、私を見つめる神威。その目はからかっているという感じでもなくて、むしろ答えるまで絶対に離れないという意思すら感じる。


「最近思うんだけどさァ」


息がかかりそうなほど顔を寄せて、神威が言った。今さっき食べていたクッキーがほのかに香ってくる。


「な、なに?」
「あんた、俺のこと意識してない?」
「は…」


はぁ!?と言いたかったけれど、声が出なかった。神威の顔は真剣そのもので、からかっている感じは微塵もない。


「この間から、俺の事避けてるよね?」
「な、なんの、こと…?」
「とぼけないでよ」


言いながら、地面を這うように私に近づいてくる。私は逆に、体を仰け反るように神威から離れる。こうなるとリーチの差が口惜しい。少しでも遠くに逃げようとしたけれど、レジャーシートの端で手のひらが滑って、転んだ拍子に盛大に肘を打ち付けた。ついでに背中も打ち付けた。


そんなことをしている間に、神威が私の事を組み敷くような体制になっていた。


「…そんなに避けるってことはさ、俺の事意識してるってことだよね」
「な、なにそれ…そんなこと…」
「…そんなこと、ない?」


神威の顔が近づいてくる。視界すべてが神威で埋め尽くされる。…目をそらしたいけど、どこにそらしても神威から逃げられない。目をつむって顔を横に向けると、顔の横で床に触れていたはずの手が、私の頬を包み込んで上に向き直らせた。その拍子に思わず目を開いてしまうと、…いつになく、真剣な表情の神威の顔がある。


「逃げるなよ」


声が体全体に響く。顔を押さえつけられて、唇が触れそうなほどに神威の顔が近づいてくる。青い目がまっすぐに私を捉えていて、吸い込まれそうな気持ちになる。私、どうしたらいいの。なんて、答えたらいいの?そもそもなんて聞かれていたんだっけ?なんでこんなことになっているんだっけ?


混乱で頭がぐるぐるしていたら、後ろで扉が開く音がした。神威の意識が一瞬それたタイミングを見計らって、神威を引き剥がそうと足を振り上げる。神威は軽やかに飛び上がってそれをよけると、少し離れたところに着地して、珍しく不愉快そうにドアの方を見た。


「おッ…と、邪魔したな」


入ってきたのは阿伏兎だった。私たちのさっきの状態を、当然見られたに違いない。ものすごく気まずそうな顔をして、俺は何も見てないとアピールするように首を後ろにそらした。


「どうぞドンドンやってくれ。俺としては大歓迎だぜ。夜兎族の同胞が増えるんだからなァ」
「ちょっとまって阿伏兎!誤解!誤解だから!!」
「誤解じゃないよ。邪魔だよ阿伏兎」
「神威うるさい!私に用があるんじゃないの阿伏兎!」
「いい、いい。そんなもんは後でいい。邪魔して悪かったな」


ここはなんとしても残っていてほしいところなのに、そそくさと部屋を出て行ってしまう阿伏兎。なんだったら去り際に「子孫繁栄に励んでくれよ」なんて捨て台詞まで残していった。…ああ、もう…阿伏兎のバカ。


さて、これからどうしてくれよう。そっと神威の方を振り返ると、当然神威もこちらを見ている。…なんだか探るような目をしている。またさっきのようにされてしまうんだろうか…と思ったら、体が自然に後ろに後ずさる。神威はこちらに歩いてくる。私はまた後ずさる。けれど、背中が壁にぶつかって、これ以上下がることが出来ない。どこから逃げようかと視線を巡らせる。神威はこちらに向かってくる。


…と思ったら、予想に反して神威は、私に背を向ける形でレジャーシートに腰を下ろして、クッキーを食べ始めた。あれ、え、もう…来ないの?


「…あの」
「なに?」
「あ…いや…」


なに、と聞かれると困ってしまうんだけど、あまりに予想に反しているから、ちょっと驚いてしまった。だって絶対、また向かってくると思ったから。神威がそんな簡単にあきらめるタイプだとは思わないし、いつもみたいに私の反応を見て楽しむのかなって思っていたから…。


背を向けているから表情はうかがえないけれど、もしかして、拗ねていたりするんだろうか。


「だって、嫌なんだろ。俺とするの。なら別に無理強いする気はないよ。そういう趣味ないし」
「…嫌、っていうか…」


嫌、なのかどうかは…正直わからない。なんというか、その手のことはそもそも経験がなさ過ぎて、恥ずかしさとか怖さとかの方が先に立ってしまう。神威は経験があるから平気なのかもしれないけれど、私はそういうのは初めてだし、…また乙女チックだとか言われてしまうだろうけれど、そういうものに夢みたいなのも持っていたりする。


「そういうのって、その…愛する人とするもの、でしょ」


私の言葉に、神威がクッキーを食べる手を止めた。


「そういう考えって古くない?別にしたいなら愛なんかなくたってするだろ」


そういった神威の声は、どこか冷たい感じがした。怒っているのとはまた違う、感情が感じられない、少し怖い声。


「…そ、そんな…」
「それに、俺にはもう愛される資格も、…愛する資格さえ、ないんだよ」


声はとても冷たくて、怖いのに。…振り向いた神威は、泣きそうな顔をしているように見えた。涙ぐんでいるわけでも、声が震えているわけでもないのに。


「そんなことないでしょ」


そう言った自分の声は、少し震えていた。神威の顔は変わらない。


「どんな人だって…どんなことをしたって、されたって、愛するのに、愛されるのに、資格なんていらないでしょ。だって、私みたいなどうしようもない奴にも…お母さんがいてくれた、愛してくれる人がいたんだもん」


お母さんは教えてくれた。どんなことをしても、どんなことがあっても、人を愛して…愛されていいんだって。お母さんは私をたくさん愛してくれた。だから私もお母さんを愛することが出来た。私も、お母さんも、決していいことをしてきたわけじゃないけれど、それでもお互いを愛することが出来た。…神威だけがそれを許されないなんて、そんなこと、ありえない。


「俺は親父を、妹を、殺そうとした。愛してくれたはずの人を、この手で殺そうとしたんだ」
「そんなの知ってるよ。でもだからって、資格がないなんてこと、絶対ないよ」


自分でも正直、ちゃんと言いたいことが言えているのかわからなくなりそうだった。でも、とにかく神威の言っていることは、絶対に認めちゃいけない。認めてしまえば、神威だけじゃない…自分自身も、否定することになってしまうから。


「愛される資格なんて…愛する資格なんて、そんなものないんだよ。神威も愛していい、愛されていいんだよ」


神威の目がゆらりと揺れて、私を映し出す。青くて美しい瞳が、私を、私だけを見つめている。


「…なら、あんたが俺を愛してくれるわけ?」


神威の声は、少しだけ震えていた。私は神威の目をしっかりと見つめ返して、答える。


「いいよ」


瞬間、神威の目が見開かれたと思ったら、ものすごい勢いで飛びかかってきた。首を強く掴まれて、飛んできた勢いのままで壁にたたきつけられる。体の中で鈍い音がした。


「ッ、は…」
「夜兎族は…俺は、こういうやつだよ。これでも俺を愛するなんて、戯言言うつもり?」


そう言った神威の目は、冷たい。何もかも、あきらめてしまったような目。息が苦しい。胸が痛い。あばらも折れているかもしれない。神威の指が首に食い込んでくる。…どうしてそんな風に、あきらめてしまうの。拒絶してしまうの。温かいものから、優しいものから、逃げて、切り捨てて、自分を追い詰めて。


ああ、そうか。神威は、自分を「裁いて」いるのか。


そう思ったら、私の体は自然に動いていた。声が出ない、だから代わりに、ありったけの力で私を掴む神威の手を握る。まっすぐにその目を見つめる。伝われ。私の気持ち。私が、教えてあげる。愛していい、愛されていい、そのことを、神威に教えてあげるから。


やがて、ゆっくりと神威の手が私の首から離れていく。その手が、重力に負けそうになる私の体を抱き上げて、…強く、抱きしめた。


急速に空気が入って来て、咽て咳が出る。うまく息ができない。何か言いたいのに声が出ない。体に力が入らない。


そうすると、さっきまで強く締めあげていた神威の手が、私の背中を優しくさする。ゆっくり、ゆっくりさする。少しずつ、少しずつ、呼吸が落ち着いていく。その間もずっと、神威は私の背中をさすり続けてくれる。優しく、どこまでも優しく。


そうしてようやく咳が落ち着いてきたころ、私をさすっていた神威の手が、再び私を強く抱きしめた。縋るようなその強さに答えるように、神威の頭を撫でる。私がお母さんにしてもらったみたいに、優しく。大丈夫、私がそばにいるよって、伝わるように。


「あんたのその強がりがいつまで続くか…見届けてあげるよ」


耳元でそう言った神威の声は…少しだけ、涙ぐんでいるような気がした。


「一生添い遂げて…安らかに寿命迎えてやるよ」


声を絞り出して、何とかそう伝えることが出来た。神威は軽くははっと笑って、私の肩に強く顔をうずめた。


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2021.02.11 thursday From aki mikami.