罪と罰と恋と愛


Scene.1


三日ほど経って、ようやく明日地球に到着すると教えられた。正直はやくお母さんに会いたくてうずうずしていたので、もう一週間くらいたった気持ちになっているけれど、実際にはそんなに経っていない。


お母さんからは、「江戸に着いたら連絡してね」と携帯型の通信機の連絡先を教えてもらっている。スマホとかいうらしくて、いろんな機能があると自慢されたけれど、半分何を言っているかわからなかった。ちょっとうらやましいなと思ったけれど、地球の中でしか使えないらしいので、宇宙を旅している今の私には無用の長物だった。


いつも通り神威の部屋に引っ張られそうになったので、今日はちょっと志向を変えて、私の部屋に誘ってみることにした。そういえば私の部屋に神威が入ったことはなかったな、と思ったのと、やっぱり自分の空間だから落ち着くのと、この間買ったチョコレートブラウニーの期限が近かったので、一緒に食べようと思ったからだ。


というわけで、キッチンでコーヒーの準備をして、おかわり用のステンレスポットを神威に持ってもらって、二人分のマグカップを持って私の部屋に戻ってきた。


「うーん、のにおいする」


部屋に入るなりステンレスポットをサイドボードに置いてそんなことを言う神威。自分では正直自分の部屋のにおいなんてわからないので、ちょっと恥ずかしくなってしまう。


「へ、変なにおいする…?」
はいつもいい匂いだよ」


言いながらベッドにダイブする神威。正直、神威の部屋のベッドと違ってあまりいいベッドじゃないからダイブはやめてほしい。重みで壊れたら大変だ。


「それ、私だからいいけど、他の人のベッドでやったらちょっと失礼だからね」
のベッドにしかやらないよ。他の奴のベッドなんて興味もないね」


ごろりと寝返って私の方を振り返る。そういうちょっと恥ずかしいことを何の恥ずかしげもなく言えてしまうのはすごいと思う。きっと素直な性格なんだなァと最初は思っていたのだけれど、前に神楽ちゃんと会った時は素直になれない様子だったので、もしかして素直なのも私に対してだけなんだろうかと最近は思っている。それは実は、ちょっとうれしいことだったりする。


とりあえず神威は放っておいて、サイドボードの一画に入っている冷蔵庫の中からチョコレートブラウニーを取り出した。期限が近いので、念のため冷蔵庫に入れておいたのだ。ちなみにこの冷蔵庫は私の前にこの部屋を使っていた人が設置したみたいで、私がこの部屋に来た時にはすでに使える状態になっていた。しかも新品並のかなり綺麗な状態だったので、前の人がきれい好きでよかったなと思ったのを覚えている。


の部屋、冷蔵庫あるんだ。俺もつけてもらおうかな」
「ダメだよ。神威が部屋でもの食べるようになったら食料の減りがやばくなるでしょ」


神威のとんでもない提案を却下しながら、ベッドに腰を下ろす。この部屋の悪いところは、座るところが二か所しかないところだ。あんまり広い部屋じゃないから仕方ない。ただ、それさえ我慢できればかなり快適な部屋だと思う。家具はすべて前に使っていた人のものをそのまま使わせてもらっているけれど、サイドボードもベッド横のチェストもスツールも、洋服をしまうローチェストも、すべて同じ色合いの木目調の家具で統一されていて、とってもセンスがいい感じのお部屋になっている。もしかして、部屋を決めるときに阿伏兎が女の私にもよさそうな部屋をあてがってくれたんだろうかとずっと思っているけれど、実際のところどうなのかは本人には聞けずにいる。


ベッド横のチェストにブラウニーを置いてから、さっき神威が置いたステンレスポットのところに戻って、マグカップにコーヒーを注いでふたたびベッドまで戻ってくる。本当はあまりベッドの近くでものを食べるのはよくないけれど、仕方ない。


私の顔を見て、神威が寝転がったまま口を大きく開けてくるので、神威の口にブラウニーをそのままねじ込んでやった。結構大きい塊を入れたはずだけれど、もぐもぐもぐと数回咀嚼して、すぐにごくんと飲み下すのがわかった。なるほど、早食いなのはあまり噛まないで飲み込んでいるかららしい。味わって食べてほしいとも思うけれど、それは神威に言っても無駄だということは、これまでの経験でよくわかっているので、もうあきらめている。


「どう?おいしい?」
「うん、うまいよ」


神威の返答を聞いて、私も自分用にブラウニーを取って、一口ほおばった。ちなみに残った部分はまた神威の口の中にねじ込む。さっきと同じように数回咀嚼して、すぐ飲み込む。今気づいたけれど、そもそも口もかなり大きく開くのだと思う。前回地球で万事屋さんに泊めてもらったとき、神楽ちゃんもかなり大食いだったのを思い出して、ちょっと笑ってしまった。きっと兄弟そっくりだなんて言ったら、神威は怒ってしまうだろうな。


神威は相変わらず寝頃がったまま、満足そうな顔をしている。…こうやって二人でゆっくりしていると、ちょっとだけ甘えたいような、くっつきたいような気持ちになってくる。私だって一応女子な訳で、好きかもしれない人とこんな風に一緒にいたら、そういう風に思うこともあるわけで。…ただ、私の方からそういうアクションを起こすと、きっと神威が勘違いしてしまうだろうと思って、結局私からは何もしないで終わる。行き場のない気持ちを発散するように、神威の頬をつんとつついた。


「ん?」
「んーん」
「ん」


こうやって「ん」だけで会話が成立する中になるなんて、夢にも思わなかった。こんなにそばにいたいと思うようになるなんて、本当に思わなかった。


頬をつついた指で、神威の髪に軽く触れる。柔らかそうに見えたけれど、思ったより太くてコシのある髪。あまり気にしていないのか、下の方は少し痛んでいるところがある。指どおりは意外と悪くないから、溶かすくらいは毎日しているのかもしれない。


そんなことを確かめてみたいと思う人が現れるなんて、ちょっと前なら考えられないことだ。大切にしたい。ずっとずっと、一緒にいたい。


やっぱり私、神威のこと。


そのとき、神威の手が私の頬に触れて、ようやく自分がぼんやりしていたことに気が付いた。神威はそのまま私の頬を包み込んで、親指を滑らせるように頬を撫でる。普段あんなに強烈な力が出る手だなんて信じられないくらい、優しい手つきで。


阿伏兎は前に言っていた。星を滅ぼされたのは、強大な力を持つからだって。夜兎族は優しい種族じゃないって。…でも、私はこんなに優しさに触れている。きっと地球人にだって、それ以外にだって、夜兎族より優しくないやつなんて五万といるに違いない。夜兎族だから悪いんじゃない、悪い奴がたまたま夜兎族だったり、ほかの種族だったりするだけ。私だけはそれを、わかっていたい。わかっているから、ずっとそばにいたい。


神威の手に自分の手を重ねる。ごつごつして、骨ばっていて、少し乾燥した手。私だって戦いばかりであまりきれいな手じゃないけれど、それ以上に無骨な手。だけど、そこから伝わる優しさは、間違いなく本物だと思える。


「ねえ、


そう言って、私を見つめてくる神威。…その眼が、熱っぽい色を帯びていることに気づいて、私ははっとした。今私は、自分から神威にたくさん触れてしまって、もしかして神威をその気にさせてしまったんじゃないかって。


神威が少し上体を起こす。手が頬から離れて、私の手を絡めとる。その手を軽く引かれて、胸の中に引き寄せられる。


「ね、ダメ?」


普段あんなに強引なのに、こういう時に別人のように優しいのは、本当にずるいと思う。いいよって言ってしまいたくなる。…でも。


「…ダメ」


そういうのが怖いのもあるけれど、やっぱり何か、もやっとするものがある。それが解決するまでは、流されたくない。


「そっか」


そういって、神威は静かに私から離れていった。…少しすねたような感じに見えるのは、きっと気のせいじゃないんだろう。前より長く一緒にいるからか、神威の微妙な表情の変化が少しわかるようになってきた。初めて会ったころ、私に向けていた笑いは、殺意の笑い。今私に向けられているのは、殺意じゃない、…多分、信頼の笑い。


「あーあー」


神威が、わざとらしくがっかりしたような声で言った。胸がちくりと痛む。


「いつになったらさせてくれるの?」
「…わ、わかんない」
「だって、は愛してくれるって言ったよ?」
「べ、別にそういうことしなくても、愛は表現できるんじゃない…?」
「どうやって?」
「え、えっと…」


すぐにぱっと返すことが出来なくて、どもってしまう。神威はじっと私を見つめている。


正直ごまかし続けるのも、そろそろ限界が来ていると思う。私が神威だったらきっとやきもきしてしまうと思うし、もっと強引に迫ってでも結論を急いでしまうかもしれない。その点神威はかなり我慢してくれていると思う。それはきっと、私への優しさなんだろうな、と思う。


でもやっぱり、ただ流されてしまうだけなのはいやだ。神威の優しさの上に胡坐をかくことになるってわかっていても。


「…えと、はい、どうぞ!」


かなり苦しいとわかっていつつ、自分の膝をぱんぱんと叩いたあと、神威に向けて両手を広げた。神威はどこかキョトンとした顔で私を見ている。…まあ、そうですよね。


やがて、軽く息をついて、仕方ないなと言わんばかりの表情で、私の膝に頭を乗せる神威。


「そういうのって、母親の愛情なんじゃない?」


納得はいってなさそうだけれど、思ったより不満そうじゃない。私は神威の頭を撫でながら、聞いてみた。


「お母さんにも、されたことあるの?」
「…さあ、どうだろうね」


神威の返答は曖昧だった。その表情は懐かしんでいるようにも見えるし、そうじゃないようにも見える。じっと見つめていると、パチリと目が合う。そうすると、神威はもぞもぞと動いて身体ごと横向きになったあと、私の視線を振り切るように静かに目を閉じた。


こうやって寄り添っている時間が、神威にとって少しでも心穏やかな時間であればいいな。そう思いながら、出来る限り優しく神威の頭を撫でた。


Scene.2


目が覚めたら、神威の腕の中にいた。


あのあと、足がしびれてしまったので起こさないように神威を下ろそうとしたら、やっぱり起こしてしまったみたいで、ものすごく強引に身体を掴まれて、ベッドの中に引きずり込まれた。そのまま私を抱きしめて、神威は眠ってしまった。…ちょっと恥ずかしかったけれど、あたたかさと心地よさに負けて、私もそのまま眠ってしまって、今ようやく目が覚めたところだ。


神威はまだ眠っているようで、両目を伏せて静かに寝息を立てている。その顔は穏やかで、こうしていると年相応の普通の男の子に見える。


同じ船で生活するようになって、神威にもいろんな表情があることを知った。いろんな感情が、過去があることを知った。それをもっと知りたいと思ったし、もっと理解したいと思ったし、理解できなくてもそばにいたいと思った。


本当は誰かに神威とのことを相談したいと思っているけれど、この船に乗っている夜兎連中はみんなそういう恋愛相談とかは嫌がりそうな人たちばっかりだし、私以上に恋愛の機微とかわかってなさそうだから、ずっともやもやして一人で考えてばかりだった。


明日地球に着いて、お母さんにあったら、いの一番に相談しよう。そう思いながら、温かい腕の中でもう一度目を閉じた。


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2021.02.16 tuesday From aki mikami.