罪と罰と恋と愛


Scene.1


目の前には夜兎族数名の巨大な壁がどどっと連なっていて、その真っ黒くて暑苦しい背中を見ながら私は大きなため息をついた。


昨日はせっかく神威と思いが通じたのに、ご飯を食べ終わったら話し合いがあるといって呼ばれて、今回の仕事についてあれこれ話をして、遅い時間になったのでそのまま部屋に戻って眠った。朝起きたら当然仕事のために準備をして、こうしてみんなで出かけているので、結局神威とはあまり話が出来ていない。というか、私無しでも余裕で終わる仕事だと思っていたのに、まだ何も終わっていないどころか始まってすらいないことが信じられない。


神威も私もお互い好きだということが分かって、やっと大手を振っていちゃつけるのに。今までもいちゃついていたといえばそうなのかもしれないけれど、これまでは気持ちがもやもやしていて自分から積極的に甘えたりすることが出来なかったので、せっかくだからもっと神威に甘えたり、逆に向こうから甘えてくるのに答えてあげたりしたいのに。


外はとてもいい天気で、とても日差しが強い。そんな中みんな傘をさして歩いていて、特に私の前を歩いているみんなは結構背が大きいので、私に来る日差しまで遮られてしまっている。そんなわけで気持ちも足元も暗いまま、とぼとぼと一番後ろを歩いていた。


そうしていると、最前列を歩いていたはずの神威がみんなの間を縫って私の隣までやってきた。その顔はいつも通りのニッコリ顔だけれど、昨日の今日だからなのか、少しドキリとしてしまう。


「どうしたの?」


神威がニッコリ顔のままでそう尋ねてくるので、私は慌てて首を振った。あなたといちゃつけなくてため息ついてましたなんて、恥ずかしすぎて言えるわけがない。


「な、なんでもない」
「そう?元気ないように見えたけど」
「ちょっと、日差し暑かったかな。ははは…」


そう言って空を見上げると、丁度傘と傘の間から日差しがさしてきて、まぶしくて顔をしかめた。うーん、タイミングが悪い。


「地球の日差しは強くていけないね。あいつはこんな星で暮らしてるなんて、全く物好きなやつだよ」
「夜兎族って日差しに弱いんだもんね。…確かに地球で暮らすのは大変そうだね。神楽ちゃん体は大丈夫なのかな」
「さァ、どうでもいいなァ」
「どうでもって…お兄ちゃんでしょ?」
「体の方はハゲに似たみたいだから、大丈夫なんじゃないかな」


そう言った神威は、感情を隠すようなニッコリ顔でまっすぐ正面を向いて歩いている。家族の事を話す神威はいつもこういう顔をしているんだけれど、きっと本人は気づいていないんだろうな。


そのときふと、女性の悲鳴が聞こえてくる気がして、思わず足を止めた。そのすぐ後に男の怒声も聞こえてくる。それに交じって聞こえるのは…赤ちゃんの泣き声?


辺りを見回してみるけれど、それらしい人影はない。でも、確かに聞こえた。今も悲鳴は聞こえないけれど、赤ちゃんの泣き声が確かに聞こえていて、…むしろ、こちらに近づいてくる。


もしかして、上から聞こえる?そう思って上を見上げた瞬間、私に向かって何かが落ちてくるのが見えた。咄嗟に身をよけなければと思ったけれど、…落ちてくるものがなんなのかわかってしまって、避けるだけではいけないとすぐさま手を伸ばしてそれを受け止める。


受け止めた衝撃でその場に尻もちをついた私の隣に、何かが重い音を立てて落ちてくる。それと同時に数人が降り立つ音も聞こえて、私は手に抱えたものをつぶしてしまわないように慎重に体を起こした。


落ちてきたのは、赤ちゃんだった。私の隣に落ちてきたのは、多分母親と思われる女性。そして降り立ったのは、その母親を追いかけていたと思われる刺客たちだった。見たところ地球人ではないようで、母親ではなく私の手元の方を見ているということは、追いかけていたのは母親ではなくこの赤ちゃんの方らしい。


どういう状況なのかはわからないけれど、とにかくこの親子は狙われていて、隣の女性はこの子を守るためにここまで逃げてきたのだろう。


、大丈夫ー?」


緊迫した場に似つかわしくない声で神威が尋ねてくる。私を取り囲む刺客たちをホコリでも払うかのように押し退けて、私の前にしゃがみ込んで顔を覗き込んで来た。なんて緊迫感がないんだろうと思うけれど、この状況だとこんなに心強い味方はいない。


「私より、この人の方が…」
「ん?知り合い?」
「違うけど、でも…」


助けないと。そう思ってちらりと刺客たちを睨み付けると、彼らは一斉に私たちに向かって飛びかかってきた。その瞬間神威がニッコリ顔のままで、持っていた傘をぶんと振り回すと、風圧と傘の先から出た銃弾とで刺客たちが一気に後方へ吹っ飛んでいく。その衝撃であちこちの建物に刺客たちが突き刺さって、ものすごい破壊音が鳴り響いた。周りの視線が一気に私たちに集まってくる。


「オイなんだなんだァ?いきなりどうしたァ!」


前を歩いていた阿伏兎が異変を察して私たちに駆け寄ってくる。それと同時に、私の手の中の赤ちゃんが火が付いたように泣き始めてしまって、ますます周りの視線がこちらに集まった。阿伏兎の顔が怖いからびっくりしてしまったんだろうか。私が慌てふためいていると、隣の女性が小さくうめき声をあげたのが聞こえた。


「貴方、この子のお母さんですよね!?しっかりしてください!ねェ!」
「こ、子供、は…」
「赤ちゃんは無事ですよ!大丈夫だから!」
「よ、よかっ…」


言葉を言い終わる前に、女性は目を閉じてぐったりしてしまう。もしかして死んでしまったのかと慌てて呼吸を確認したけれど、息はちゃんとしている。どうやら気を失ってしまっただけのようだった。


「あ、赤ちゃんどうしたらいいの!?」
「えー、知らないよ。その辺に放っておいたら?」
「そんなことできるわけないでしょ!」


のんびりしている神威に少しイラッとしていると、どこかから「見つけたぞ!」という怒声が聞こえてくる。どうやらまだ追手がいたらしくて、私は急いで立ち上がると、今聞こえた声と反対方向に走り出した。


「神威はその人連れてきて!逃げるよ!」
「えー?なんでー?」
「いいから早く!」


私の言葉に、神威は「仕方ないなァ」とつぶやきつつも女の人を肩に担いでこちらに向かってくる。状況を飲み込めていない阿伏兎が何かを叫んでいたので、いいから逃げるよ!と声をかけてまた走り出した。阿伏兎が後ろで「お前らは先に向かってろ」とみんなに声をかけて私たちの方に走ってくるのが分かった。


知らない赤ちゃんと、知らないお母さん。お節介なのはわかっているけれど、どうしても放っておけない。


損な性分だなァと少し悲しくなりながら、人の気配がないところを捜してひたすら走った。


アトガキ ▼

2021.03.18 thursday From aki mikami.