罪と罰と恋と愛


Scene.1


※結構リアルなおむつ替えの描写があるので、お食事前後の方はご注意ください。


さっきの追手に見つからないように辺りに注意しつつ、腕に抱いた赤ちゃんの安らかな寝顔を見つめた。


母親の名前はお菊さん。赤ちゃんの名前は太一くん。二人は正真正銘血のつながった親子で、今追われているのは私が思っていた通り太一くんの方らしい。


お菊さんの実家はひいおじいさんの代から続く有名な銀行で、今はお菊さんのお父さんが経営権を握っているらしい。ところが、このお父さんはいわゆる「金の亡者」というやつで、お金のためなら汚いことも平気でするような人。そして今までは先代…つまりお菊さんのおじいさんが、そんなお父さんのブレーキ役になっていたけれど、そのおじいさんが先日亡くなられて、その前後から怪しい輩と密談をするようになったらしい。


おじいさんには莫大な遺産があって、その相続について散々揉めていたところにおじいさんの遺言書が出てきて、その遺言書には「遺産の一切をひ孫の太一に相続させる、その使用については太一が成人するまで母親の菊に全権をゆだねる」というような内容が書かれていたらしい。その結果、お菊さんと太一くんは遺産の相続を放棄するよう迫られて、半ば幽閉状態でここ一か月を過ごしたようだった。


とまあ、ここまではよくある遺産相続についての争いで、つまりお菊さんと太一くんはお父さんとその追手から逃げ回っているということなんだけれど、問題はここからだ。私がちらと阿伏兎を見上げると、まだ怒った顔をしていた。


…つまり、今回の仕事相手がまさかのお菊さんの実家だったのだ。最近お菊さんのお父さんが密談していたのは、今回私たちに仕事を依頼してきた春雨の元幹部。


ようするに私は、取引相手の仕事を邪魔してしまったということ、らしい。


神威は「戦えればなんでもいいよー」と気楽な様子だけれど、阿伏兎はそうもいかない。せっかくのビジネスチャンスを不意にされてしまうのではないかとものすごく怒っている。確かに、阿伏兎が口癖のように「貧乏海賊」っていうくらいだから、実際の財政がどんなものかは知らないけれど、お金は喉から手が出るほど欲しいんだろう。


ちなみに私は組から持ち出したお金がまだ残っているし、神威はそもそもご飯以外にお金の使い道があまりなくて、そのご飯は普通に団の資金から出るので、昔の春雨時代にもらった給料すらあまり手を付けていないと言っていた。今の春雨になってからも阿伏兎が一応給料的なものを振り分けてくれているのだけれど、神威はいくらもらっているかも興味がないと言っていた。聞く人が聞けば悲鳴をあげそうな話だ。


で、今はどこに向かっているのかというと、お菊さんの実家…ではなく、万事屋だった。さすがに追われている人を追いかけている人のところに連れていくわけにはいかず、かといって放り出すこともできないので、万事屋さんに預けていこうというわけだ。依頼料は私のポケットマネーから出すつもりでいる。そのあとの事は…とりあえずお菊さんの実家で話をしてから考えることにする。


阿伏兎は「そんな連中今すぐ捨てろ」といったけれど、私が万事屋さんに預けていきたいと話をすると、神威が「俺はどっちでもいいからのしたいようにしなよ」と言うので、阿伏兎は渋々それに着いてきてくれている。


二人の気持ちはわかる。神威にとってはこの二人の事なんて本当にどうでもよくて、たぶん「自分にとってどうでもいいこと」だから私の好きにさせてくれている。そして阿伏兎にとってはせっかくのビジネスチャンスをつぶされかねない話で、団長命令だから仕方なく従っているけれど、本当は今すぐにでもこの親子を放り出したいんだろう。


太一くんは、私の腕の中ですやすや眠っている。ちなみにどうして私が抱っこしているのかというと、お菊さんがさっきの襲撃で腕を怪我してしまって、抱っこ出来ないからだ。神威には「が決めたんだから抱っこも自分でしなよ」と言われてしまったし、その通りだから言い返す言葉もない。というわけで、おっかなびっくりしながらも私が抱っこさせてもらっている。


ようやく目的の建物にたどり着いて、すぐさま二階へ続く階段を昇った。お菊さんが一瞬不安そうな顔をしたけれど、大丈夫ですよと声をかけてインターホンを押す。すると中から、新八くんらしい声で「はーい」と返事が聞こえた。


インターホンを押してから、しまったと思った。お菊さんはともかく、神威と阿伏兎の夜兎族二人に、私は赤ちゃんを抱いている。きっと新八くんの事だから、「なんかやばいのが来た」と思ってびっくりするに決まっている。どうせなら神威と阿伏兎には下で待っててもらえばよかった、そう思った瞬間にドアが開いて、営業スマイルの新八くんが顔を出した。


「はーい、どちら様…」
「こ、こんにちはー」
「どうもー」


私の後ろに立っている神威が、間延びした声で軽ーく挨拶をした。何も言わないけれど、阿伏兎も神威の隣に立っているのが気配でわかる。新八くんは硬直した顔で、私たちを順繰り見回して、そして…


「えええええええええええ!!!!!!」


予想通り、辺りに響き渡るくらいの大絶叫を上げた。


Scene.2


「あの、さっきはすみませんでした、その、大声上げちゃって…」
「いやいや…こっちもいきなり来たのが悪かったので…」


申し訳なさそうに頭を下げる新八くんに、私もなんだか申し訳なくなって頭を下げた。新八くんの反応は少し考えれば予想出来たはずなので、何も考えていなかった私の落ち度もある。


ちなみに、ここは万事屋さん家のリビングで、ソファには窓に近い側から、お菊さん、私、神威が座っていて、阿伏兎は申し訳ないけれど立ってもらっている。向かいのソファには銀さん、新八くん、神楽ちゃんが並んで座っている。


「本当、ごめんね。いきなりびっくりしたよね。夜兎族二人連れて現れたら…」
「あ、いや、それもあるんですけど…」


そういうと、ちらりと神威の方を見る新八くん。その神威は私の隣でニッコリ笑って神楽ちゃんと見つめ合っている。…ものすごい殺気を放ちながら。


「あの、神威さんとさんが、その…恋人だって聞いたので、まさかもう子供までいたのかと…」
「はっ… え!?」


恋人って、いや、確かにそうなるのかもしれないけれど、それは昨日やっと気持ちが通じたからで、それまでは別に恋人とかではなくて…と考えていたら、ピンときてしまった。私が神楽ちゃんをキッと睨み付けると、神楽ちゃんはわざとらしく顔をそらして知らんぷりを決め込んでいる。…神楽ちゃん、あとでお説教決定。


それはそれとして、今はお菊さんと太一くんのことだ。事情は大慌てする新八くんとそれに同調する銀さんをなだめるのに大方説明し終わっているとはいえ、ちゃんと依頼をしていかなければ。私は懐から用意していた封筒を取り出して、テーブルの上に置いた。


「依頼料です。さっきも言ったけど、私はこっち側なので…この二人を助けることはできません。だから、万事屋さんに保護をお願いしたいんです」


銀さんと新八くんの視線が、私の置いた封筒に注がれる。新八くんが慌てた様子で口を開いた。


「保護って…それにしても、入ってる金額が多すぎる気がするんですけど…」
「赤ちゃんもいるので、色々入用だと思うし…それに、きっと万事屋さんは、依頼した以上の事もやってくれると思うので、その分です」


私の言葉に、銀さんがじろりと私を見つめた。その顔はいつものけだるげな感じではなくて、仕事の時のこの人はこういう顔をするのだなぁとぼんやり思う。


「つまり、その父親ってやつを何とかしろと?」
「さァ…万事屋さんが必要だと判断すれば、それもいいんじゃないでしょうか」


私にはそれが必要かどうかもわからない。多分、それを調べている時間すらない。だから、それを含めてのこの依頼料だ。


「私はあくまでこちら側ですから、自分の依頼主を探ることはできません。ですからそのあたりの判断も、万事屋さんにお任せします」
「その結果、お前たちを斬ることになってもか」
「はい」


私の言葉に、銀さんは一度ふぅとため息をつくと、封筒を拾い上げて懐に入れた。それから自分の事務デスクの方に歩いていって、そこにあった椅子に腰かける。


「わかった。引き受けてやる」
「ありがとうございます!」


私がそう答えると、その声に起きてしまったのか、腕の中の太一くんが泣き出してしまった。びっくりして取り落としそうになるのをこらえながら、さっき神威がやっていたのを思い出してゆらゆら揺れてみる。けれどなかなか泣き止んでくれなくて、どうしたらいいのかわからなくてお菊さんの方に視線を送ると、お菊さんが少し困った顔で太一くんを見ながら言った。


「あ、もしかしたら、おむつかな…」
「なるほど、取り替えてあげたらいいんです?」
「お願いします…すみません」


そう言って、申し訳なさそうに目じりを下げるお菊さん。私は首を振って「大丈夫ですよ」と答えた。むしろこっちの方が申し訳ない。全く赤ちゃんを触ったことがない奴にお世話させるなんて、きっと不安になるだろう。


「すみません、ちょっとその辺のスペースお借りしますね」


換えのおむつとおしりふきはさっき来る途中で買ってきたので、床の広いところに太一くんを寝かせようとソファから立ち上がる。すると新八くんが「寝かせるのにこれ使ってください」とバスタオルを床に広げてくれたので、お言葉に甘えて広げてもらったバスタオルの上に太一くんを寝かせた。


「神威!おむつとおしりふきとって!」
「はいはい」


ちょっとぞんざいな感じで答えつつも、ちゃんとおむつとおしりふきを持ってきてくれる神威。そんな神威の腕を捕まえて、私の隣に座らせた。


「で、どうやったらいいの?」
「なんで俺に聞くの?」
「いいから教えて。ほら」


本当はお菊さんに聞くべきだと思うけれど、こうやって神楽ちゃんの前でお兄ちゃん力をアピールしておくのもきっと悪くないと思う。神威は面倒くさそうにしているけれど、ここは付き合ってもらわないと。私がじっと神威を見つめると、神威は小さくため息をついた後、太一くんのほうに視線を落とした。


「とりあえず、服脱がせて。足元のボタン開けるだけでいいから」
「は、はい!」


自分で言ったくせにちょっと戸惑ってしまいながら、太一くんをくるんでいた布をほどく。つなぎみたいな形をした服は、足の部分をボタンで止めるような形になっていたので、足元だけボタンを外す。服をグイと上にあげておむつを見えるようにしたところで、手を止めて神威の方を見た。


「このおむつ、お尻の下に広げておいて」


袋から出したばかりの新品のおむつを手渡されたので、それを受け取って広げる。パンツの形で、腰の部分がテープになっているタイプのおむつだ。「前」と書いてある側が前に来ればいいので、逆側をおしりにすればいいという事なんだろう。太一くんのお尻をくいっと持ち上げて、お尻の下に何とかおむつをねじ込んだ。


「で、おむつを脱がせる」
「はい」


慣れた様子で指示をする神威。さすがの育児スキルに思わず顔がにやけそうになってしまうけれど、へそを曲げられては困るのでそれはぐっとこらえた。


「…うわォ」


おむつをめくると、黄色い粘性の物体がお目見えする。これが赤ちゃんのうんちなのか…不思議なことに匂いはあまり臭くない。考えてみたら、赤ちゃんはミルクしか飲んでいないわけだから、臭くなりようもないのか。そんなことを思っていると、神威が特に驚いた様子もなくおしりふきを取り出して、太一くんの股の上に広げておいた。


「こうしておくと、おしっこかけられない」
「おォ!豆知識!」
「こいつ男だからあんま意味ないかもしれないけど」


そう言った神威の言葉の意味が分からなくて首をかしげていると、「男はどこに飛んでくかわからないから」と答えたので、なるほど、と思った。それに対して何かを答える前に、おしりふきを手元に差し出される。


「お尻拭く」
「あ、はい!」


言われるがままお尻を拭いてあげる。不思議なことにさっきまであんなに泣いていた太一くんは静かになって、私の方をじっと見つめていた。やっぱり泣いていた理由はお菊さんの言う通り、おむつが汚れていたからなんだろう。ううん、お母さんってすごい。


神威の言葉通りお尻を拭いて、汚れたおしりふきはおむつと一緒にして脇によける。ここでようやく、さっききれいなおむつを広げておいた意味が分かった。履かせるときに楽だからだ。ちなみに阿伏兎が「俺たちの団長がガキのおむつ替えとは泣けるぜ」と言っていたけれど、それはきれいに無視することにする。神威の育児スキルはとってもすごいことだし、別に恥ずかしがったりする必要は全くないし、っていうかそもそも替えてるの私だし。


おむつのテープを止め終わったところで、ほっと一息ついた。ちなみにテープは神威のアドバイスで八の字に止めてある。こうすると漏れにくい、という事らしい。息をついたついでにちらりと神楽ちゃんの方を見ると、すっっっっっごく複雑そうな顔で神威の事を見つめていた。きっと神威の育児スキルの高さが自分のお世話をしていたからだと気が付いたんだろう。そうであれば、私の作戦は大成功だ。


後は神威に言われるままおむつを丸めて、万事屋さんからもらったビニール袋に入れた。こうしてやってみるとおむつを替えるだけでも結構大変で、改めて世の母親ってすごいんだなァと思わされる。


太一くんの服を元に戻してやって静かに抱き上げる。もう泣き出すような様子はなく、じっと天井のライトの方を見つめている。光るものが気になるんだろうか。


「あの、ありがとうございます」


お菊さんが私に頭を下げるので、私は首を横に振ってこたえた。


「いえいえ、お礼なら私より神威に言ってください。私は言われた通りやっただけなので」
「あ…あの、…ありがとうございます」


お菊さんが神威に向かって頭を下げると、神威はちょっと嫌そうな顔でぷいとそっぽを向いた。さっき阿伏兎に言われた言葉を気にしているんだろうか。ちょっと面倒くさいことになったなァと思っていたら、神楽ちゃんが「ちゃんと返事しろよクソ兄貴」と言ってしまったので、また二人のにらみ合いが始まってしまった。うーん、これは本当に面倒くさい。太一くんを連れて、そそくさと元のソファに戻った。


「じゃあすみませんけど、あとはよろしくお願いしますね」


そう言いながら太一くんを差し出すと、新八くんが受け取ってくれる。ちなみに神楽ちゃんと神威はまだにらみ合っている。これはもう面倒くさいので放っておくことにする。


「はい、任せてください」
「…ありがとう」


新八くんと銀さんの顔を順番に見てから、改めて頭を下げる。それに二人が笑い返してくれたのを見て、私も思わず顔がほころんだ。


そのとき突然、大きな破壊音が玄関の方から聞こえてきて、全員で一斉に振り返る。これはもしかしなくても、私たちの場所が追手にばれていたんだろう。咄嗟にお菊さんを隠すようにしながら、そう思った。


アトガキ ▼

2021.03.22 monday From aki mikami.