罪と罰と恋と愛


Scene.1


おかしい。この間からおかしい。


例えば、神威がシャワーから戻ってきたとき。
白い肌がほんのり上気していて、濡れた髪が無造作にかき揚げられていて、その髪や首筋や胸に、妙に目が行ってしまう。


例えば、二人でお菓子を食べているとき。
お菓子をつまみあげる指の動きだとか、その指についた砂糖を舐め上げる舌だとかに、釘付けになってしまう。


例えば、二人で眠るとき。
腰に回された手の動きに、ぬくもりに、全身がぞくぞくしてしまう。


私は一体どうしてしまったんだろう。あんなに、あんなに恥ずかしかったのに。


神威と初めて一夜を過ごしてから、もうずっと、抱いてほしくて仕方ない。


いつからこんなにはしたない女になってしまったのかと、シャワールームで一人落ち込んでしまう。とはいってもお湯がもったいないので、結局はすぐに部屋に戻るのだけれど。お湯を止めて、ため息をつきながらシャワールームを出た。


脱衣かごの一番上からバスタオルを引っ掴んで全身をきれいに拭う。その間も、考えるのはやっぱり神威の事ばかりだ。神威の事は大好きで、好きな人と一夜を過ごしたいと思うのはもしかしたら自然なことなのかもしれないけれど、まさかそれ一色になってしまうなんて。もう一度、はああ、と大きくため息をついた。このため息と一緒に自分の性欲もどこかに行ってほしかったけれど、残念ながらそんなことがあるはずはなかった。


綺麗な服に着替えて、神威の部屋に向かう。最近はすっかり、神威の部屋に寝泊まりすることが多くなった。自分の部屋には荷物を取りに行くくらいで、というのも、意識しすぎて苦しいので自分の部屋に戻ろうとしたことがあったのだけれど、結局神威が出向いてきて神威の部屋に引きずって戻されるから、もう部屋に帰ることはあきらめてしまった。


そんなことを思い出しながら歩いていたら、あっという間に神威の部屋についてしまった。深く、大きく息をついて、中に入る。


神威はベッドに横になっていたけれど、私が入ってきたのを見てすぐに体を起こした。「おかえり」と言って、機嫌がよさそうに笑っている。


「ただいま。先に寝ててもよかったのに」
「まだ眠くないんだ。ほら、こっちおいでよ」


そう言って、自分の隣をぽんぽんと叩く神威。そのしぐさが少し可愛くて思わず笑ってしまう。洗濯物をかごに放り投げたあと、ベッドに上がって神威の隣に座った。髪がまだ濡れているので、横になるのはやめておいた。


背中から神威が抱きついてきて、唇が耳元に触れる。すんすん、と何度か匂いをかがれて、「いい匂い」とつぶやく。…その何気ない行動にすら、私はまたぞくぞくしてしまう。体がびくんと震えそうになるのを、神威に気づかれたくなくてぐっとこらえた。


「もう、まだ髪拭いてないから」
「なら俺が拭いてあげるよ」


そう言って、私の首にかかっていたタオルを取り去った神威。そのタオルで私の頭を優しく包み込むと、わしゃわしゃと私の頭を拭き始めた。その力は思っていたよりも優しい。


「ん、結構うまいね」
「そう?まァ神楽のもやってたからなァ」


神威の言葉に、口に出さずになるほどと納得した。神威と神楽ちゃんは結構歳が離れているから、お母さんの体調がすぐれなければそういうことをすることもあったんだろう。こういう何気ない「お兄ちゃん力」が神威の魅力の一つなのかもしれない、と思ったりする。


少しの間その心地よさに身を任せていたら、やがて頭からバスタオルが除かれて、「はい、終わったよ」と声がした。手で触ってみると、多少湿ってはいるものの、あとは自然乾燥でも乾きそうなほどで、なるほど、完璧なタオルドライだ。


神威はベッドの上で立ち上がると、持っていたタオルを洗濯かごに放り投げながらドレッサーへと歩いて行った。ドレッサーの前に置いてあるスツールを引いて私を振り返って、ぽんぽん、とスツールを叩く。どうやらドライヤーまでかけてくれるらしくて、ドレッサーの横にかけてあるドライヤーを手に取っている。ちょっと笑ってしまいながら、神威の待つドレッサーの前に移動して、スツールに腰掛けた。


ドライヤーの温風が心地よく頭に当たる。ちなみにドライヤーは私の部屋から持ってきたもので、最近は私と神威二人とも使っている。神威は洗いざらしでもいいと言っていたけれど、髪は痛むし枕は濡れるし下手したら禿げるしいいことないと言い張ったらちゃんと乾かすようになった。


タオルドライのおかげであまり時間をかけずにドライヤーが終わると、今度は一つ上の棚からブラシを取り出して、私の髪を梳いてくれる。ここまでされるとちょっとお姫様みたいだな、なんて思いながら、鏡の中の楽しそうな神威を見つめていた。


あれから何かエッチなことをしてくることはないけれど、神威はいつも楽しそうだ。もしかしたら神威は、そういうことをしなくても満足しているのかもしれない。私ばかりが求めている気がして、これじゃあ最初と今があべこべだ。そう思ったら、ちょっと悔しい。


出来たよ、という神威の言葉で鏡をのぞくと、ブラシをドレッサーに置いて、鏡越しにニッコリと笑いかけてくる。自分がまた恥ずかしいことを考えていたことに気が付いて、思わず変な顔になってしまった。


「どしたの?」
「なんでもない、ちょっと考え事」
「…ふぅん?」


今のふぅんは、いつもと違う気がした。ブラシを置いた指が鏡の中で動いて、するりと腕を、肩をなぞって、私の頭に触れる。その指が私の髪をかきあげて、耳に息がふんわりとかかった。全身がぞくりとして、肌が粟だつ。


「なんともないの?」
「ん、ッ」


耳を唇で食まれて、思わず息が止まった。ほんの少しの刺激で声が漏れてしまいそうで、固く目を瞑って強く拳を握る。そうしていると、神威の舌が耳のふちを、裏側を熱く舐め上げて、耳たぶを弄ぶように食んだ。熱い息が耳から全身に伝わって、身体が熱くなっていく。心臓の音がどくどくとうるさい。


舌が耳たぶを吸い上げたと思ったら、そのまま首筋を、少しずつ、少しずつ滑っていく。もしかして、やっと抱いてもらえるのだろうか。私の頭の中はそんな期待でいっぱいになる。全身の感覚が敏感になっていく。私の体がはしたなく準備をし始めているんだと思ったら、恥ずかしさでまた体が熱くなった。


神威の舌が鎖骨に触れると、そこから一気に耳元まですぅっと舐め上げられる。それと同時に背中にぞくぞくと電気が流れたみたいになって、口からは湿った息が漏れた。たったこれだけなのに、すごく気持ちいい。すごく興奮してしまう。何度も何度も首筋を舐め上げられて、そのたびに息が上がっていく。体が反り返りそうになるのをスツールを掴んで耐える。


「ねえ、


突然耳元で神威の声がして、体がびくんと跳ね上がって、口からはひっと小さく声が漏れた。呼びかけに応じようと目を開くと、鏡の中でうっすらと笑う神威と目が合う。


「見て、自分の顔。…すっごくものほしそうな顔してる」
「ッ」


神威の言う通り、そこには快感を求めてはしたない表情をしている自分の顔があった。恥ずかしさに頭にかあっと血がのぼっていく。


、気づいてた?ここ最近ずっと、俺の事ものほしそうな顔で見てたの」


そう言いながら、神威の手が首の後ろから抱きしめてきて、首筋をさわさわと撫で上げる。そんなことないと答えたかったけれど、口を開けると変な声が出てしまいそうで、固く唇を噛んだ。


「ホントはの方からしたいって言わせたかったけど、そんな目で見られ続けたら…ね」


鏡越しに熱を帯びた視線で見つめられて、逃げ場がなくてまた目を閉じる。そこを待っていたように首をぐいと傾けられて、深く唇を奪われた。舌で咥内を荒らしまわるような性急なキス。首を傾けていたはずの手はいつの間にか私の腰を撫でまわしている。そのたびに全身がびくんと震えて、こらえようと強くスツールを掴んでいたら、神威の手が私の手に触れて、するりと指を絡め取られた。


やがてゆっくりと唇が離れると、神威は一度優しく私を撫でた後、またすぐ鏡を覗き込む。私もつられて鏡の方を見ると、だらしない顔をした自分と、楽しそうに笑った神威の顔があった。


「ねえ、。ちゃんと言ってよ。したいって」
「え…」


神威の言葉に、口から情けない声が出た。鏡の中の自分の顔も、眉毛が下がりきった情けない顔をしている。


「じゃないと、ここでこのままするけど…いいの?」
「そ…それは…」
「俺は別にいいよ。がその方が興奮するっていうんなら、それでも」
「そんなこと…ない…」


身体がぶるぶる震えて、目頭がかあっと熱くなった。私の気持ちなんてわかっているくせに、これが世に聞くSMってやつなのか。そんなことを思う。悔しさと恥ずかしさが強烈にこみ上げてくる。泣いてしまいそうな顔を見られたくなくて、唇をぎゅっと噛みしめて顔を俯けた。


「あり?泣いちゃうの?でもだめだよ」


ぐいっと顎を持ち上げられる。びっくりして目を開けてしまって、半べそをかいている自分と目が合ってしまう。その後ろで神威は、私の耳に唇を寄せて、怪しく笑った。


「ね、何がしたいの?言って」
「ッ」


神威の声が耳から全身を駆け抜けて、体がびくりと震える。こんなに恥ずかしくて悔しいのに、体は結局反応してしまう。それがまた悔しくて、こらえきれなくなった涙が目からこぼれた。それでも神威の表情は変わらない。言うまで許してくれないし、言わなければ本当にこのままするつもりだ。


言うしかない。開いた唇が、わなわなと震えた。


「神威と…えっち、したい…」


泣いてしまうくらい、情けなくてかすれた声が出た。


「あーッ」


突然神威が大きな声を出すので、びっくりして肩が飛び跳ねた。髪をわしゃわしゃと掻いたと思ったら、ちょっと乱暴に私を横抱きにする。突然の事で首にしがみつこうと思ったけれど、それより早くベッドに運ばれて、今度も乱暴にベッドに放り投げられて、衝撃で目を瞑る私の上に覆いかぶさってきた。


「今日はこれくらいで許してあげるよ」
「きょ、今日はって…」


今日以降は、もっとひどいことするつもりなのかな。考えただけで切なくなって思わず顔が歪んでしまう。神威はそんな私の反応を見た後、珍しくはあ、と大きくため息をついて、私の顔の横に自分の顔を伏した。


「俺、そっちの趣味ないんだけどなァ。と一緒にいたら目覚めそう」
「なにそれ…どういう意味?」
「いじめ甲斐があるってことだよ」
「いじめ甲斐って…」


そんなものなくていい、と言おうとした唇は、声を発する前に神威に塞がれてしまった。舌がぞろりと侵入してきて、根元から強く吸い上げられる。うまく息が出来なくて少し苦しい。けれど離れたくなくて、神威の腕を強く掴んで、いっぱいに舌を絡ませた。もっともっと、近づきたい、くっつきたい、つながりたい。声に出せない気持ちを、体全部で伝えたくて。


やがてゆっくりと神威の顔が離れていく。濡れて光った唇を手の甲で軽く拭って、怪しく笑った。


「そんなにがっついてくるんだから…ちょっとぐらい本気出しても、いいよね」
「…へ?」


突然何の話だろう。そう思っていたら、神威が怪しく笑ったまま、グイと顔を近づけてくる。


「俺があれくらいで満足すると思った?こないだはが初めてだったから、優しくしてあげたんだよ」
「…え」


…と、いうことは、もしかして。神威は全然満足できていなくて、もっともっと出来たっていうこと?


よくよく考えれば当たり前なのかもしれない。夜兎族の体力は人間のそれとは比べ物にならないから、そっちの方も無尽蔵にできてもおかしくない。それじゃなくても神威は、夜兎族の中でも最強レベルの戦闘力を誇る、化け物お父さんと化け物お母さんのサラブレッドだ。


急に神威のニッコリ顔が怖くなってきた。殺意は感じないのに命の危機すら感じる。そう言えば昔、射精しすぎて死亡した男性がいるという話を聞いたことがあるけれど、女性の場合は…どうなんだろう。血の気が一気に引いていく。


「大丈夫、壊すまではしないよ」


変わらぬニッコリ顔でそう言った神威。…って、前に言ってた「壊す」ってそういうこと?もっと違う意味の言葉だと想像していたのに。神威から逃げるように足元に向かって摺って移動すると、当然神威がそれを追いかけるように覆いかぶさってきて、腕をがっちりと掴まれた。


「ま、壊れる直前までは覚悟してもらうけどね。でも、痛かったらちゃんというんだよ」


そう言って、勢いよく服をめくりあげられる。一瞬ご飯にがっついている神威の顔が浮かんで、これからの自分を想像して、ひきつった笑いが口元から漏れた。


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2021.03.05 friday From aki mikami.