Scene.01
窓拭き掃除と屋根瓦の取替えと言う重労働を終えてようやく万事屋へ帰還した俺は、帰り道で買ったジャンプを広げて早々にソファに寝転んだ。仕事の後のジャンプは格別だ。これで糖分でもありゃなおいい。それこそ至福とも呼べる瞬間だ。
どうやら俺のいない間にお登勢のババアが来ていたらしい。明らかに俺のものじゃない女物の着物がベランダに干してある。ついでに下着らしきものもあって、ご丁寧に俺のパンツでカムフラージュまでしてありやがる。ババアの下着なんざ誰も盗まねーっつーの。
そんなどうでもいいことを考えながらジャンプのページを一枚めくったとき、ふと思い出す。…そういや、今日は全員サービスのフィギュアセットが届く日じゃねーか。だが、部屋を見回してもそれらしきものはない。
めんどくせーとも思ったが、お登勢のところまで確認に行くことにした。俺がいない間に届いていたら多分下に届けられているだろうから。
というわけでジャンプを閉じ、ブーツを履いて玄関の扉を開ける。湿度の高い暑苦しい空気がまとわりついてくる。扉を閉めて、階段を下る。空はすでに半分ほど闇に覆われていて、この時間なら店も開けてるだろうから、夜の蝶だなんだとうるさく言われずにすむだろう。
んな余計なことを考えながら、スナックお登勢のドアを開けた。
「オーイバアさん、今日俺に荷物…」
その瞬間、俺の目に飛び込んできたのは。
抱いて
好き…好きだよ
ごめんね
さよなら
「おや銀時。なんか用かィ?」
バアさんの言葉は、右から左へと光の速さで過ぎ去っていった。
「…」
目の前にいたのは、"あの"だった。
「ぎ…銀時」
見間違えるはずがない。あの目、鼻、唇、首筋、腕、胸、腰のライン、足。
銀時
「…お前」
「ッ!」
俺が一歩近づくと、は俺の隣をすり抜けて一目散に逃げ出した。俺の本能が、咄嗟に腕をつかもうとするが、それを理性が食い止める。
店を飛び出したは、まよい橋のほうへと駆けていった。…その後姿を見た瞬間、また本能が顔を出し、追いかける。…追いかけながら、理性はこの行動を正当化させる理由を捜す。
俺達は終わったんだ 追いかけちゃいけないってことないだろ
逃げるってことは、会いたくないってことだ 俺は会いたいんだよ
会ってどうする 話がしたい
もう終わったのに? 友達ならいいだろ
友達なら。
「―――…オイッ!」
やっと追いついての肩をつかむと、さしたる抵抗もなく走るのをやめる。…だが、俯いたまま何もしゃべらない。俺はゆっくりと肩を離し、少し乱れた息を整えながら口火を切った。
「…だろ、お前。…久しぶり」
普通に。出来るだけ普通に。そう心がけたつもりだったが、思ったより声が震えた。
俺の言葉に、は小さく肩を揺らした。…だが、すぐに顔をあげ、俺の方を振り返り、笑顔を作る。
「…久しぶり、銀時」
その笑顔は、やけに大人びていた。…当然だ、あれからもう何年もたってるんだから。…俺も、も、同じだけ歳をとった。
だが、さっき見たはあの頃と変わらないように見えた。うるさくて口が悪くて明るくて泣き虫な、俺の記憶の中のに。
だがそれも、俺の都合のいい幻想。
「…いきなり逃げ出すからビックリしただろーが」
「ごめん、私もビックリしちゃってさ」
明るく、しかし落ち着いた様子でそう返事を返した。乱れた髪を軽く手櫛で直しながら更に口を開いた。
「ホント…久しぶりだね」
「来てたんだな…こっちに」
「うん。今日、こっちに越してきたんだ。これからはずっとこっちにいると思う」
「…そーか」
「……うん」
おかしな沈黙が降りてくる。…まよい橋の真ん中で、向かい合ってぼんやりと立っている姿は、傍から見ればひどく滑稽だろう。俺はこの沈黙を破る言葉を捜す。聞きたいことは山ほどあったが、どれもこの場にはそぐわなかった。
「…お前、何でお登勢んとこにいたんだよ?」
「え、ああ…仕事で…」
「仕事?」
「うん。…実は私、情報屋ってのやっててね」
「…情報屋?」
聞きなれない単語に思わず聞き返すと、はそれを嫌がる風もなく淡々と答えた。
「うん。読んで字の如く…情報を売ってるお店。町の噂から裏社会のことまで、いろんな情報を仕入れてきて、必要な人にそれを売るっていう仕事。…ここに来る前からやってて。…で、今回は色々事情があって、こっちに越してくることになったから、かぶき町四天王のお登勢さんにはぜひ挨拶しておこうと思って」
「なるほどな。確かにかぶき町のことならババアに聞きゃひと通りわかるぜ」
「他の人たちにももう挨拶に行ってきたところなんだ。…でも、銀時はなんであんなところに?」
「俺、あそこの二階に住んでんの。万事屋銀ちゃんってなんでも屋やってんだぜ」
懐から名刺を取り出して、に差し出した。はそれを不思議そうに眺め、手にとってまたまじまじと眺めて、くすっと笑みを漏らす。
「万事屋かァ。…銀時らしいなァ」
その笑顔が、記憶の中のにぴったりと重なった。
「…だろ?」
平静を装いながら、そう答える。
「うん、ホンット!」
明るい声。はじけるような笑顔。あの頃と寸分も変わらない、光のような雰囲気。
引き戻される。
「あー、協力してやるよ」
「え?」
「情報屋なんだろ?…なんかいい情報仕入れたら教えてやるよ。それに俺も知りたいことあったらお前んとこ行くわ」
「え…あ、うん、ありがとう。…じゃあ、これ…」
そういって、も名刺を差し出した。情報屋 という名前の横には、電話番号と住所が書かれている。
「何かあったら、連絡して。…じゃ、私そろそろ帰るから」
「おう。……気をつけろよ」
「ありがと。…じゃあね」
そういって、控えめに手を振る。…俺はそれに振り返しながら、駆け出しそうになるのを必死に抑えていた。
俺達は終わったんだ
終わってねーよ。…俺は終わらせた覚えはねェ。少なくとも、俺の気持ちは…
「―――…くそッ」
転がる小石を蹴っ飛ばしたら、橋の下まで飛んでいって川に波紋を作って沈んでいった。
Scene.02
焦った。まさかあんなところで、銀時にあってしまうなんて。いまだ落ち着かない心臓を必死に押さえつける。
銀時が江戸にいることはわかっていた。それに、多分ヅラも晋助も、みんな江戸にいるだろうことはわかっていた。…それでも、初日からいきなり会うなんてこと、かんがえてもみなかった。
嘘。
今のは嘘。
ホントは、どこかで会えるんじゃないかって期待してた。町の様子を見るフリをして、ふわふわの銀髪頭を捜してた。バカみたい、私達は…
私達は、終わったのに。
まだ愛してくれてるなんて幻想。昔のままの銀時でいるなんて、そんなことありえない。…私だって、あの頃から随分変わってしまったのに。
通りを抜けて、今日越してきたばかりのお店兼我が家を見上げる。…窓からぼんやりと光が漏れている。
階段を上って、玄関の扉を開ける。そこには靴が一組。その隣に自分の靴を脱いで、部屋の中へと進む。
「ただいま…圭輔」
部屋の真ん中に座って、テレビを眺める彼に声をかける。すると穏やかな笑顔で振り返り、大きな手を伸ばして私を引き寄せる。
「おかえり…」
甘い声で囁いて、頬に唇が落ちる。それを黙って受け入れながら、私は銀時を思い出していた。
いっぱい愛してやるよ
俺もだよ
お前のせいじゃない
またな
目をつぶると、そこに厚い雲が垂れ込める。そして、その雲が大粒の雨を降らす。…静かな雨音が呼び起こすのは、優しい手、温もり、筋肉質な身体に、低い声。
Scene.03
「抱いて」
私の言葉に、銀時は目を見張った。
「…お、お前、何言って」
「私…」
銀時の言葉をさえぎった。…拒否の言葉なんて、聞きたくなかった。
「私もうすぐ…人のものになっちゃうの」
「は…、何言って…」
「お父様が…もう私を売るしかないってさ」
いつかこうなることはわかっていた。…娘に生まれた時点で、私はこうなる運命だった。
でも、私は好きになった。
銀時を。
「……」
銀時の低くて優しい声が、耳元でそう囁いた。その唇が耳に、頬に触れて、唇へと滑ってくると、私も無我夢中でそれに答える。好きの気持ちを、私のありったけの思いを唇に込める。首に絡み付いて、二人で床になだれ込んで、乱れ合う。もっともっと、何も見えなくなるくらい夢中になりたい。私の中の汚い感情も全部、銀時で満たしつくてほしい。銀時、銀時。
唇を薄く離すと、虚ろな表情に目だけがギラリと輝いた、色っぽい銀時の顔がある。
「…先に言っとく」
「ん?」
「愛してる」
「……え?」
「俺、同情で抱くんじゃないからな。…ただ、好きな女抱くだけだから」
「銀時…」
「いっぱい…いっぱい愛してやるよ」
降り注ぐ唇、触れ合った体温、身体を滑る手、滑り落ちる衣、雨音。
その一つ一つを、頭に刻み付ける。いつまでも忘れないように。何があっても、銀時だけを覚えていられるように。この身体を支配する、快楽も、痛みも全て。残らず搾り取って、全部私の中に刻み付ける。
確かに感じる、銀時の愛も。
Scene.04
気がつくと、圭輔の腕の中にいた。どうやらあのまま眠ってしまったらしい。けだるい身体を起こして布団から抜け出すと、昨日買った、半分減っているミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出した。
いつの間にか完全に夜がふけている。時計はまだダンボールの中なので見る気にはなれないけど、たぶんそんなに遅い時間ではないだろう。九時過ぎと言ったところか。
眠っている圭輔の横顔は、少し疲れた顔をしている。私が出かけている間、一人で片付けててもらったんだから、疲れもするだろう。静かな寝息を聴きながら、窓の外を仰ぎ見る。
銀時と、みんなと別れた私は、京都へと流れ着いた。そして、そこで私を拾ってくれたのが圭輔のお父さんだった。…私は自然とそこで働くことになり、そして圭輔は、傷ついてボロボロだった私を好きだと言ってくれた。私には好きな人がいるからと言ったら、それすらも受け入れてやると言った。…優しかった。その頃の私には、圭輔のような存在は救いだった。だから、私は圭輔に縋った。
でも圭輔は、どうやっても銀時に重なることはなかった。…それでも、はじめは寂しさを埋めるためだったとしても、銀時とは似ても似つかなくても、私は確かに圭輔を愛せていた。だからもう銀時のことは忘れたと思ってたのに。
銀時。
いつもふざけてばっかりの銀時。
気がついたら居眠りばっかりしてる銀時。
糖分糖分ってうるさい銀時。
時々思い出したように、穏やかに笑う銀時。
…ダメだ。
ミネラルウォーターを一気に飲み干して、空になったペットボトルをゴミ箱に放り投げた。
…もう忘れよう、余計なことは。
久しぶり
そういった銀時の声が震えてたからなんだっていうの。…その後は普通だったじゃない。昔みたいに…ただの友達だった頃みたいに、普通に話せてたじゃない。それでいい。私は、それで。
圭輔を裏切るなんて出来ない。
もう一度冷蔵庫を開ける。夜ご飯にと買ってあったざるそばを二つ取り出して、テーブルの上に置いた。
「圭輔、起きて」
「…ん」
小さく呻いて目を開けた圭輔は、やっぱり少し疲れていた。背中に手を添えながら起こすと、ありがとう、と低く柔らかい声が返ってくる。
「…どういたしまして」
たとえ圭輔がどんな人でも。
優しくしてくれたのは、慰めてくれたのは、そばにいてくれたのは、他でもない圭輔。
「調子どう?」
「ああ、今日はだいぶいいよ」
「そっか。…でも疲れたでしょ」
「が外回りしてる間、頑張ったからね」
「ありがと」
「どういたしまして」
柔らかい笑み。…この人はよくこうやって笑う。銀時にはなかなか出来ない、穏やかな顔。
「…ホラ、そば食べよ」
「うん」
包装を破って、ついてきた割り箸を割る。小気味のいいその音を聞きながら、私は軽く目をつぶる。
…もうやめよう。たった一つの思い出を、磨き続けるのは。もうやめよう、たった一人だけを、美しく仕立て上げるのは。
Scene.05
スナックお登勢まで帰り着き、ババアから荷物を受け取った。それからすぐ二階に上がり、荷物をあけることもせず、ソファになだれ込んだ。
今朝食ったあんぱんの包装が、そのままテーブルに乗っている。それをぼんやりと見ながら、頭の中はのことでいっぱいだった。
気まぐれに身体を起こし背中を凭れる。首を後ろに折ると、そこには見慣れた和室の扉がある。…さっきより暗くなった室内に広がるのは、俺の匂いと、静寂だけ。
頭の中まで静かになっていく。その静寂の向こうから、雨の音が走ってくる。
銀時
震えた声。泣いてるときの声。…無性に護ってやりたくなる声。
雨の音は、あっという間に俺の脳を支配していった。
Scene.06
「抱いて」
の言葉に、俺の心臓が信じられないくらいに跳ね上がる。
「…お、お前、何言って」
「私…」
俺の言葉を容赦なくさえぎった。まるで、問答無用だとでも言うように。
「私もうすぐ…人のものになっちゃうの」
「は…、何言って…」
「お父様が…もう私を売るしかないってさ」
それだけ聞いても、詳しい事情はわからなかった。
売春なのか、それとも俗に言う政略結婚なのか。…後者である可能性が濃厚だが、直接話を聞いたわけじゃない俺には確かなことは言えない。だがどちらにしても、が別の男のものになるのは、…が俺以外に抱かれるのは、確かだ。
俺達は恋人じゃない。だが、は売られる前に、俺を選んでくれた。…だったら。
「……」
耳に唇を寄せて、出来るだけ低く名前を呼んだ。一瞬くすぐったそうに身をよじる。…そのまま耳を、頬を滑り、唇へと侵入する。拙くも必死で答えるに、どうしようもない愛しさがこみ上げてきて、俺はその気持ちをありったけ、唇に込めた。の腕が俺の首を絡め、そのまま二人で床になだれ込む。絡み合い、乱れあって、俺の頭の中全てがで満たされていく。、。
唇を薄く離すと、少し息を乱して俺を見つめる、色っぽいの顔がある。
「…先に言っとく」
「ん?」
「愛してる」
「……え?」
「俺、同情で抱くんじゃないからな。…ただ、好きな女抱くだけだから」
「銀時…」
「いっぱい…いっぱい愛してやるよ」
奪い合う唇、触れ合う体温、身体を滑る手、滑り落ちる衣、雨音。
その一つ一つを、頭に刻み付ける。いつまでも忘れないように。何があっても、だけを覚えていられるように。この心を支配する、快楽も、痛みも全て。根こそぎ俺の中に刻み付ける。
確かに感じる、の愛も。
Scene.07
気がつくと、時計は夜の九時を回っていた。下半身に感じる違和感に、どうしようもない虚脱感を覚える。
いい歳こいて何やってんだ、俺。
とにかく風呂に入ろうとソファから起き上がり、床に放り出してあったタオルを引っつかんで洗面所に向かう。タオルを適当に引っ掛け服を脱ぎ捨てると、蛇口をひねって湯を頭からぶっかけた。
以外の女を愛せないとか、そんなキレイゴトをいう気はない。俺だって今まで何人も女を抱いてきたし、恋愛と呼べるものをしたこともある。…だが、それでもだけが頭から消えないのはなぜか。
いちいち俺につっこんでくる。
気づいたら俺の隣で寝ている。
大した好きでもねー団子をいつも買ってきた。
時々思い出したように、儚げに笑う。
…ダメだ。
シャワーを水に切り替えて、それを後頭部にあてる。頭の芯がキィンと冷えていくのがわかる。
…頭冷やせよ、俺。
…久しぶり、銀時
そういったは、昔とは違っただろ。俺が見えてるのは昔のだ。俺が勝手に磨き上げた、俺の記憶の中の。
もうヤメだ。これからは友達として生きていこう。昔のように、いい友達として。
何度も、何度もそう思い続ける。
俺の身体を滑る水は、心の曇りまで流してはくれなかった。
2008.08.19 tuesday From aki mikami.