真っ直ぐな瞳が好きだった


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Scene.01


圭輔が帰って来たのは、あれから2時間ほど経った頃だった。


私はいつものように部屋を片付け、いつものように夕飯の用意をして、いつもの笑顔で出迎える。私がおかえり、というと、圭輔はいつものようにちょっとばつが悪そうな顔をして、ただいまと答える。…これで、いつも通り。普段と変わらない、仲のいい私たちだ。


…嘘。…本当は私の中で、今までとは違う感情が芽生えている。というのも嘘で、本当は今までずっと思い続けてきた、でもずっと、抑え続けてきた感情。


銀時への想い。


どうして銀時だけを忘れられないんだろう。どうして銀時だけを追いかけてしまうんだろう。どうして私は、こんなに馬鹿なんだろう。


私はずっと圭輔のことを見ていなかった。…圭輔を見るふりをして、全て記憶の中の銀時にすりかえてきた。そしてそんな自分を見て見ぬふりをしてきた。


…でも、もう終わらせなきゃいけない。


「…


鍋をかき回していると、圭輔が後ろに立って、ぽつんと呟くように声をかけてきた。


「何?」
「……あの…その…」
「ん?大事な話?」
「あの…さっき、友達が言ってた…のみに行くって話」
「あー、あれね。断るよ」
「行っておいでよ」
「……え?」


予想しなかった言葉に思わず振りかえる。すると、帰って来たときのように申し訳なさそうな顔をして、楽しんでおいで、といった。


「でも…」
「いいんだ。…こんなことでも、普段のお詫びになればと思って。それに…いつもこうやって、俺を待っててくれる」


圭輔の腕が、ゆるく腰に回る。くすぐったくて少し笑うと、圭輔も同じように笑みを漏らす。


この手が銀時だったらと、何度思っただろうか。そしてそんな想いが、何度圭輔を傷つけてきただろうか。


「…じゃあ…行ってこようかな」


これで終わりにしよう。私は圭輔のために生きて行こう。そして圭輔と二人で、お父さんの願いをかなえよう。


「ねェ、圭輔?」
「……なに?」
「…もうちょっと落ち着いたらさ…」


二人が、結婚してくれたらなァ


「…結婚、しよっか」



Scene.02


約束の日。先に飲み屋に着いた俺とは、後から来るはずの辰馬を待っていた。辰馬が時間にルーズなのは昔からだから、水でも飲みながら気楽に待つことにする。


昔も、こうして二人で辰馬を待ったときがあった。あのときは飲み屋じゃなく俺の部屋だったが、俺とはくだらない話をしながら待っていて、途中でが着物の裾に水を引っ掛けて大騒ぎになった。


「辰馬遅いねー」
「あー。アイツも進歩ねーなァ」
「そういえばあったよねーこんなこと!あのときは私が水こぼしてさァ」
「そーそー。アレ結局夜まで乾かなくてよォ。布団引けなくなったんだぞ?」
「耳にたこができるほど聞いたよ。ってか何回も謝ったでしょ!」
「お前なー、あの日俺がどうやって寝たと思ってんだ?」
「辰馬の部屋で寝相の悪いアイツにボッコボコにされたんでしょ?」
「そーだよ!すんっげぇ大変だったんだぞ!」


丁度怪我してた右手蹴っ飛ばされて腫れ上がったり、耳元で歯ぎしりされたり、いびきもクソうるさくて、寝るどころか落ち着いて座ってることすら出来なかったんだぞ。…って、思い出したらなんかムカついて来たんですけど…!


「あー、クソ!辰馬の野郎…!」
「思い出し怒り?歳だねー」
「んだとコラァァァ!お前に俺の気持ちがわかっ
「オーイ銀時ー、ー!!」


俺の言葉を遮って店内に入って来たのは、飛んで火に入る夏の虫、イライラの根源・坂本辰馬だった。…なんか顔見てたらますますムカついて来たんですけど…!


「あははは!久しぶりじゃのー、二人と、も…?」
「へっへっへ」
「あ…ヤバイ辰馬。ご愁傷様」
「へ?何をいっちょるんじゃ?」
「死ねクソ野郎ォォォ!!!」
「ぎゃあああああ!!!」



Scene.03


気を取り直して飲み始めた俺達の話題は、やはり主に昔のことだった。途中途中辰馬の取引の話や、俺の万事屋になってからの話なんかもしたが、がこれまで何をしていたのかは、俺の方から振る勇気はなかった。


「そういやー、はどうしてたんじゃー?」


辰馬がそう話を降ったとき、正直ありがたいと思った。昔のことを聞いて何になるわけでもないが、のろけ話でも聞かされれば、今度こそ諦めることができるかもしれない。


「あー、私ね…別に普通だったよ。毎日楽しくやってた」
「そーかそーか、まァならどこに行ってもうまくやってくじゃろな」
「図太いってか、図太いって言いたいのか?」
「いやー、は世渡り上手じゃしのう」
「…そうでもないけどね」
「ん? 何ぞあったがか?」
「……いや、何にもないよ。…幸せだった」


はそういって、うっすらと笑った。昔を懐かしむその笑顔の中にわずかに悲しみが見えた気がした。


「…私を拾ってくれた人がね、すごく優しくて…お父さんって呼んでた。仕事も教えてくれて…これが本当の家族なんだって思えたの。…ホント、幸せだったよ」
「そーか。…そりゃーよかったな」
「なんじゃ銀時、おんしも聞いちょらんかったんか?」
「ああ。…帰ってきてからも2回くらいしか会ってねーもんなァ?」
「うん…」
「それにコイツ、ラッブラブの彼氏がいんだぜ。名前なんつったっけ?合澤さん?」
「…うん、そう。…合澤圭輔」
「え、おまんら…」


辰馬がそういって、俺達の顔を交互に見た。…驚くのも無理はない。当時の俺達は辰馬にももろバレな程わかりやすかったから。…コレは、俺にとって一つの賭けだった。こうやって俺が普通に話を切り出すことで、俺達が友達に戻れるかどうか。


「そうか…まァ、それだけわしらも歳を取ったっちゅーことじゃな」


そういって、店内に響き渡る大声で笑った辰馬。それにあわせて俺も同じように笑うと、もややためらいながら、くすくすと笑った。


辰馬には、場を和ませる不思議な力がある。それがウザイときもあるといえばあるが、どんな険悪なムードにあっても笑うだけでそれを吹き飛ばせてしまうのは、コイツの特技の一つだと思う。…今ここにいるのが辰馬じゃなかったら、きっと俺はこんな風に笑えていないだろう。


その後俺達はまたいろんな話をしながら飲み続けた。はじめよりが楽しそうに見えるのは、きっと気のせいじゃないだろう。


俺は心の中だけで辰馬に礼を言った。



Scene.04


「…結婚、しよっか」


その問いに、圭輔は首を振らなかった。ただ小さくん、と、否定でも肯定でもない声を出しただけだった。


辰馬がとうとう酔い潰れたのは、夜中の1時を少し回った頃だった。私も銀時も相当飲んでいたけど、自分より酔っている人間が目の前にいると、どうも酔いがさめていくもので、仕方ないから二人で銀時の家まで辰馬を運んだ。実際運んだのは銀時で、私はただ肩を支えていただけだけど。


はじめて入った銀時の家は、昔と同じ、銀時の匂いがした。…途端に懐かしくなって、銀時に抱きつきたくなる衝動を必死に抑えた。


辰馬を布団に寝かせてすぐ、私は家を出た。銀時が送ってやるといって後ろを着いてくる。…かぶき町は何かと物騒だから、ということらしい。


夜の冷たい風が、火照った身体に気持ちいい。キラキラ光るネオンを避けるように空を見上げると、そこにはぽっかりと満月が浮かんでいた。


昔、眠れない夜に一人銀時の部屋を訪ねたことがあった。そのとき銀時は爆睡していたけれど、文句を言いながらも起きてきてくれて、二人でくだらない話をしながら空を眺めていた。


…あの時も、こんな満月だったっけ。


「そーいや、こんなことあったよなァ」
「…え?」
「夜にいきなり来てよォ、眠れないから話ししようよ、とかってこと」
「今同じこと考えてた」
「マジか。…あの時もこんな満月だったよな」
「うん。…なんか懐かしいね」
「だなー」


うんと伸びをしたあと、穏やかな顔で空を仰ぐ銀時。昔と少しも変わらない、きれいな笑顔。


「…ねェ、銀時」


顔を見ないようにしながら、そう呼びかけた。


…言わなきゃ。それが、終わりにするってこと。


「…私ね」


二人が、結婚してくれたらなァ




「……私…結婚するんだ」




その言葉と同時に、隣にあった足跡がぱったりと途絶えた。私も少し進んでから足を止め、後ろを振り返る。…銀時の目が、驚いたように見開かれている。


「…けっ、こん……」


そうポツリと呟かれた言葉に、軽く心臓が飛び跳ねた。


「…うん」


ひりついた喉からやっと搾り出したのは、たったその一言だった。


夜風がゆっくりと流れていく。遠くから陽気な歌声とざわめきが聞こえてくる。


銀時の口が、ゆっくりと開くのが見えた。


「……そう、か」


どこか掠れた、聞きづらい声だった。


「よかったじゃん。…おめでと」
「……ありがとう」
「そっか…結婚か。もう俺達もそんな歳だもんな」
「……うん」


うまく顔を見られなかった。…でもその声は、銀時が時々する、感情を抑えた声のように思えた。


「…結婚…か」


もう一度、納得するかのように繰り返した銀時。私はそれに、何も返すことが出来なかった。


おめでとう。


その一言に、狂いそうなほど心をかき乱された。これでよかったはず、これが望んだことだったはずなのに。


私は何を期待していたの?するなとでも言ってほしかった?言ってくれるわけない。だって、あれからもう何年も経ってるのに。


よかったなー、と言いながら、銀時が横をすり抜けていく。


いやだ、いかないで。…思っても、言う権利なんてない。銀時は私のものじゃないし、私は銀時のものじゃない。…恋人だった私たちは、もう終わったんだから。


「……ごめんなさい」


出てきた言葉は、そんなことだった。


「ッ、オマッ…」


その瞬間、銀時が振りかえる。肩をきつく掴まれて、向きを変えられた。…でも私には、銀時の顔を見る勇気はなかった。


「なんで謝るんだよ」
「…」
「まさかお前…昔のこと気にしてんじゃねーだろーな」
「ッ」


肩が跳ねた。それは本当のことを指摘されたからか、銀時の口からはっきりと、昔のこと、という言葉が出たからか…わからないけど、少し怖かった。


「お前今、幸せなんじゃねーのかよ」
「…」
「あんな優しい彼氏がいて…仕事も順調で。何一ついやなことなんてねーんだろーが」
「…」
「……謝るなよ」
「銀とッ、」
「謝ってんじゃねーよッ」


強い声がしたと思ったら、銀時の胸がすぐ目の前にあった。太くがっしりした腕が締め上げるように強く包んでくる。離れなきゃ。瞬間的にそう思ったけど、微かに震えているのがわかったら、振り払うことが出来なかった。


「…忘れようとしてんだよ」
「銀時…」
「俺のためなんかに…お前の今の幸せ壊さねェようにって、友達に戻ろうって、思ってんだよッ。…なのにそんなこと言うんじゃねーよ」
「…銀時、」
「抑えられなくなるようなこと言うなよ!」


言葉の後に、強く唇を奪われる。すぐに舌が進入して来て、逃げようとする私の口内をめちゃくちゃに侵していく。息継ぎすら許さないほどの性急なキスに、頭の芯から感情が抜け落ちていく。銀時が欲しい、そんな思いだけが脳を支配する。そして私も舌を絡め、精一杯銀時に答えた。


やっぱり好き。私は、この人が好き。


けど、そう思った瞬間。


二人が、結婚してくれたらなァ


「ッ、やッ…!」


銀時の胸を突き飛ばして離れた。お互いの荒い息遣いと、鼓動ばかりがうるさく響く。


「…ごめん…でも、私…」


私は。


「圭輔を…裏切れないよ」


圭輔と、結婚しなきゃいけないの。だから、銀時を受け入れるわけにはいかない。


「…そうかよ」


冷たい銀時の声が響いた。


「…ならもう変なこと言うなよ」
「…」
「俺達はもう恋人じゃない。…友達だ」
「…銀時」
「簡単だろ。…一番最初に戻っただけだ」


背を向けて、ゆっくりと空を仰ぐ銀時。…その声は淡々としていて、感情が読み取れなかった。


「…ッ」
「ほら、帰ってやれよ。…旦那んトコに」


涙が出た。


銀時が、今でも思ってくれていること。
そんな銀時を我慢させてしまうこと。
別れてしまった後悔。


そんなことすべて、見てみぬフリしなきゃいけないこと。


「…うん」


涙を拭いて、精一杯頷いた。すると銀時も振り返って、ゆるく笑顔を作った。


「…バイバイ、送ってくれてありがと」
「おー。気ィつけて帰れよ」


そういった銀時の顔は、最後まで笑顔だった。…私は軽く手を振ってから、彼の横をすり抜ける。


夜の風がやけに冷たく、私の横を吹き抜けていった。



Scene.05


万事屋に帰り着くと、さっき布団に寝かせたはずの辰馬が俺を出迎えた。俺はなんだかんだと勝手に話すのを聞き流して、冷蔵庫からいちご牛乳を取り出す。


「運んでくれたんじゃのー」
「おー」
は帰ったんか」
「おー」
「なんじゃさっきからおーしか言わんで」
「おー」
「……となんかあったが?」


その言葉に、思わず手を止めた。…わかりやすく肯定しているようなもんだ。辰馬は小さくため息をつくと、テーブルに置いたいちご牛乳のパックを持ち上げ、そのまま口をつけて一口飲みほした。


「…銀時ー」
「あァ?」
「おんしゃあまだのこと好きじゃろ」
「あー?なにいってんだ、俺達付き合ってたの何年前だと思ってんだよ」
「時間は関係ないぜよ」
「…」
「少なくともの方はまだ好きだと思ったんだがのー」
「…彼氏いるって言ってんだろーが」
「じゃがのう…」
「やめろよ。…今も話してきたんだよ、友達だって」


イライラしながら立ち上がり、辰馬の手からいちご牛乳を奪った。…完全なる八つ当たりだ。多分辰馬もわかっただろうが、気分を害した様子はなかった。


「ま、わしがどうこう言うことじゃないしのー」


言いながらソファに寝転がった辰馬。サングラスを外してテーブルに置くと、手を頭の下に組んだ。


「…けどな、銀時」


静かな声が、静かな室内に響いた。


「…なんだよ」
「わしゃあ、おんしがげにを好いちょったの、知ってるき」
「…だから、なんだよ」
「……んー…なんちゃじゃないぜよ」
「あ?なんちゃ?」
「なんでもないってことぜよ」
「あァ?お前、途中でやめんじゃねーよ!」
「余計なことは言わんぜよ」
「やめられたら気になるだろーが!」
「まァまァ、その話はやめて、二人で飲みなおしじゃー!」
「ハッ!お前まだ飲むのかよ!」
「わしのおごりじゃきー、じゃんじゃん飲めー!」
「ってその前に酒買いにいかねーと」
「ないが?」
「ねーよ!」


いいながら、辰馬の首根っこを捕まえて玄関に向かう。


辰馬なりに、俺を気遣ってくれてるんだろう。コイツは頭は空だが、人を気遣ったりするのはうまいやつだ。…俺はそんな辰馬に、とりあえず甘えておくことにした。


飲んでいれば、考えずにすむ。昔のことも、さっきのことも。


「…おーし、死ぬほど飲んでやっかんな」
「おー!のめのめー!」
「おっしゃー!」


そのとき、またふとのことを思い出した。


抱きしめたときに、首の後ろに見えた青いあざ。


前から気になってはいた。ときどき見える腕や足、あちこちに殴られたような後があったから。…情報屋という仕事をしていれば危険もあるのだろうと、見ないようにしていたが。


「(まさか…アイツに)」


家庭内暴力。そんな言葉が浮かんできたが、すぐに頭を振って打ち消した。あんな、俺の数倍優しそうな顔をした男が、自分の女に暴力?ありえない。


肩を組んで、二人で歩きだす。覚め気味だった酔いにすべてをまかせると、余計な感情はすべて脳の奥へ沈んでいった。



Scene.06


家に帰り着くと、寝ていると思っていた圭輔は起きていて、玄関で一人、私の帰りを待っていた。その横顔が寂しげに見えて、叫びだしそうな衝動に駆られた。


「…あ、おかえり」


私に気がついた圭輔が、照れくさそうにそういって、笑う。


「うん、ただいま」


泣き出しそうなのを必死にこらえて、出来るだけの笑顔で笑う。すると圭輔は私の腕を引いて引き寄せ、強く抱きしめる。


「…
「ん?」
「この間の話…」


耳元で、圭輔の…銀時と同じ声がする。私は目を閉じて、圭輔の顔だけを思い浮かべた。…目の前にちらつく銀時の顔は、打ち消した。


「…俺、思い出したんだ。…親父が言ってたこと」
「お父さん?」
「うん。…言ってたろ、前」


二人が、結婚してくれたらなァ


「……結婚…しよっか」


圭輔の声が紡いだ言葉に、驚くほど心臓が飛び跳ねた。


「女のにプロポーズさせるなんてなァ…ちょっと情けないよね」
「……そんなことないよ」
「はは、ありがと。…でも、今度は改めて言うよ。…結婚してください」


圭輔の手が、微かに震えている。…彼の精一杯の言葉。それがわかるから、拒否するなんてことは出来ない。それに拒否する理由なんてない。


私はこんなにも、愛されてるんだから。


「うん」


強く頷いて、圭輔の背中に腕を回した。ありがとう、と呟く声の裏側に、…別の誰かの顔が浮かんで、消えた。



2008.09.08 monday From aki mikami.