白馬と一緒に買い物を済ませて家に帰ると、玄関先に母さんが立っていた。手をつないでいる私と白馬を見て、お邪魔だったかしら、とひとこと言うと、楽しそうに家の中に帰っていく。…今まで彼氏なんて当然出来たことのない私だから、あんなふうに喜んで貰えると、親孝行をしたような気持ちになって、私も嬉しくなった。だけど恥ずかしい気持ちもやっぱりあって、照れ隠しに白馬の肩を軽く叩くと、白馬はなぜか嬉しそうに私に抱き付いてきた。


それから3人で食事をすませ、一段落つくと、白馬は急に改まってお話があります、といった。


そうだ。謎は全て解けたと言っていた。白馬に会えたことが嬉しくて忘れていたけれど、あの時白馬は確かにそういった。


「…何かしら、探君」
「白馬?」
「実は…の、お父様のことで」
「っ」


母さんは驚いた顔をした。多分、白馬の口からその言葉が出てきたことにも…そして、私もそれを調べるのに協力していたことにも。


「この一ヶ月、僕はロンドンとパリに、お父様のことを調べに行ってきました。…そして、この絵を見つけました」


そう言って白馬がテーブルの上にあげたのは、一枚の油絵だった。女の人が…母さんが、優しく笑っている絵。


「この絵は、『My Blue』と名づけられています」
「『My Blue』…」


絵を見た母さんは、少し泣きそうになっていた。…やっぱりふたりは愛しあっていたんだと、思い知らされる。


。前に水の鍵、という話をしたよね」
「え…うん、したけど…」
「あれはやっぱり、君の持っている鍵でよかったんだよ」
「…え、どういうこと?」
「青+透明=水、ってことさ。…違いますか?」


白馬が母さんを振り返る。すると、母さんは二つ大きく頷いて、ゆっくりと目を瞑った。


「あの人が、結婚する前に言っていたのよ。君を絵の具に例えると、青だ、って。だから私は、貴方はまるで実体がないから、色でいうと透明ねって…」
「だから私は…水ってこと?」
「そう。だから、あの絵…『Blue in the water』は、やっぱりきみを描いたものだったんだ。ねえ、お父様は、ずっと君のことも、大切に思っていたんだよ」


…ふわりと、白馬が笑った。


でも私は、正直どう反応していいのかわからなかった。だって、大切に思われていた実感なんて、全然わかない。それに、大切に思っていたんならどうして、私たちの前から消えたりしたんだろう。


「…ここから先は、聞くとつらくなる話かもしれません。…それでも、聞きますか?」
「えぇ…話してちょうだい」


母さんの声は、少し震えていた。


「…お父様は、どうやら麻薬の売人をしていたようです」
「っ!」
「ですがそれは、結婚する前の話…上手く組織から抜け出して、身を隠していたそうです。ですが、あることがきっかけになって、居所がばれてしまった」
「あることって?」
「…お父様の絵が、高く売れたことがありましたね?確か7000万ほどで…」
「えぇ…じゃ、じゃあ、もしかしてそのせいで?」
「そうです。…そのことがきっかけで、組織に居所がわれてしまった。そして、これは推測ですが…組織に戻らなければ家族を殺すと、脅されたのでしょう。だから、家族を捨ててまで組織に戻る道を選択した」
「…でもあの銃弾は?アレは何であんなところにあったの?」
「これも推測だけど…多分、最初は死ぬつもりだったんだと思う」
「っ…!?」
「悪いことをする自分を、家族に知られたくなかったから…だけど、逆に考えた。今ここで死んでしまったら、家族が危険なめにあうかもしれない。それに、遺体を発見するのがもしだったら、幼い子供の心にとんでもない傷をおわせることになる。…だから、死ぬのを思いとどまったのでしょう」


一瞬、あの椅子に座って頭を抱える父親の姿が浮かんだ気がした。


「…その後、お父様はパリに渡って、しばらくは組織に従っていたようですが…5年ほど前に、その組織が解体しました。ようやく自由の身になりましたが…そのころには、もうお父様も麻薬付けの生活を送っていたんです。禁断症状と罪の意識に苛まれながらも、どうしても何か残したくて、持てる力の全てを注いだのが、あの絵」
「『Blue in the water』…」
「実は、あの絵をあの美術館に寄贈した人にあってきたんです。お父様の古い友人で…最期を看取ったのも自分だと、おっしゃっていました。あと、あの絵をあの美術館に送ったのは、…お父様の遺言があったからだそうです」
「…遺言…?」
「そうです」


重い重い、沈黙が訪れた。母さんは顔を伏せて、…多分、泣いている。私は、どうしていいのかわからなくて、ただ茫然と白馬の顔をみつめていた。


ずっと恨んできたはずの父親を、こんな話を聞いたくらいで簡単に許せるわけがない。ましてや、麻薬の売人をしていて、自分自身も麻薬付けだったなんて、家族だからって手放しで許せる話じゃない。…けど、思ったより恨む心はなかった。もういいかな、なんて思っていた。


そんなことを思う自分に戸惑っている自分がいて、でも白馬ならきっと、そんな私を受け入れてくれるような気がして、なんだか相容れない気持ちで、とにかく変な気分で。


白馬はゆっくり立ち上がると、私の方まで歩いてきて、頭を数回叩いて、それから優しい動作で私を立たせた。立ち上がった私は、階段を上っていく白馬にただ黙って付いていく。許可もなく入ったのは私の部屋で、一体何が始まるのかわからない私は、疑問の目を白馬に向けた。


「…君が言ってた鍵、見せて貰えるかな」
「う…うん」


水の鍵。それのことだろうと瞬時に思って、私は机の中からその鍵を取り出した。…銀が少し錆びて、赤茶けている。


「で…動かない時計、だっけ」
「いや、…あとから考えたんだけどね、時計は関係ないかもしれない」
「え?」
「とにかく、その鍵をかして貰えるかな?」
「う、うん…」


言われるがままに、私は白馬に鍵を渡した。すると、白馬は私の部屋を出て、父親の部屋に入っていく。なにをするのか、茫然と後ろで眺めていると、絵がたててある棚の前まで来て、絵を一枚一枚抜き始めた。


「え、ちょっと…何するの?」
「まぁみてて」


自身満々に言う白馬の横に、一枚一枚絵が積みあがっていく。脇に置いてあったスケッチブックまでよけ終ると、突然顔をあげて、意地悪く笑った。


「こっちにきて…のぞいてみて」
「え?」
「いいから」
「う、うん…」


いわれるままに、絵が入っていた空間をのぞく。…すると、向うの壁に人が身を縮めてやっと通れる位の小さな扉がある。


「扉?」
「あぁ。この鍵は多分、アレを開けるための鍵だよ」
「で、でも言ってたじゃない、これは時計を動かす鍵だって…」
「最初はそうだと思ったんだけどね。それだとあまりに単純すぎると思ったんだ。で、水の鍵、それからきみの部屋の間取りをみてピンときたんだ」
「私の部屋の…間取り?」
「暗号はこう。『水の鍵が時を動かし、竜が天より舞い降りる』竜というのは、干支でいう辰のこと。辰の方角は知ってる?」
「…東南東?だっけ?」
「まぁ、それよりは若干南よりだけどね。大体正解。じゃあ、君の部屋の中心にたって、東南東を向くとそこには何がある?」


いわれて、自分の部屋を思い出した。ベットが南側にあって、そこから少し東に体を傾けると…


「壁、しか…」
「壁の上には、何がある?」
「上?えっと…時計?」
「そう。…で、気付いたんだよ。この部屋の壁向うの部屋なのに、あの部屋はあの時計のある壁だけ変に出っ張っているんだ」
「…う、ん。でも、それが?」
「こっちの壁がへこんでるわけじゃないってことは、間に何かあるってことだろう?」
「柱じゃないの?」
「柱なら部屋の四方にちゃんと立っているじゃないか」
「…確かに」
「つまり、この微妙な空間に何かが隠されていると言うこと…そして、『時を動かす』というくだり」
「時計を動かすじゃダメなの?」
「それじゃあ簡単にわかってしまう。こんな暗号を残したってことは、きみやお母様以外には知られたくないことが隠してあるはずなんだ。…水の鍵なんてのも、調べればすぐにわかってしまう。だから、もっとそんな単純なはずがない。時、つまり時間。時計以外で、時間を刻むものってわかるかな?」
「え?時間を刻む…それって、カメラ、とか」
「そこまでわかったら、もうわかるよね」


そう言って、白馬は私に一冊のスケッチブックを渡した。


「と、時って…これのこと!?」
「そう。時を動かすっていうのは、単純にこの『家族の歴史』が詰ったスケッチブックをどかせってことだったんだよ。さて、この棚もどかすから、手伝って」


しゃがんでいた白馬が立ち上がる。私は白馬の反対側の端を持って、ふたりでグッと棚を持ち上げた。中身が出てしまえばすっかり軽いその棚を部屋の中央まで持っていって、露わになった扉の前にふたりで立ちすくむ。


「自分であける?」
「…うぅん。白馬があけて」


自分であける勇気など、あるはずがない。中に何があるのか分からないし、わかったとして、私はまだ父親を許せそうにないから。


白馬がまだ何か言おうとしたけど、私はそれを遮って、開けて、といった。多分私の気持ちを悟ってくれた白馬は、はい、と答えて、ゆっくりと鍵を差し込んで、回した。


ぎぃ、と軋んだ音と共に扉が開く。心臓が少しだけ跳ねたのがわかった。


中には、箱が入っていた。それも普通の箱ではない。金庫だ。番号式になっている。


「白馬、これ…番号がいるんじゃ…」
「何か聞いてない?そういう特別な番号…」
「そんなの、何も…」
「なら、この暗号から考えるしかなさそうだね」
「わかるの?」
「…竜が天より舞い降りる、というのが気になっているんだよ。その前はずっと無駄なく意味が盛り込まれているのに、ここだけ全くの無意味、付属品なんて、不自然すぎると思わないかい?」
「…た、しかに」
「竜…天……もしかして、星座…?」
「星座?確か…龍座って言う星座があったけど、あれ?」
「関係があるとすればそれしか…でもそれではあまりにも単純すぎる気が…」
「そ、そうかな…充分複雑な気がするんだけど…。けど、その星座が何の関係があるの?」
「わからない…例えば、この竜はヘラクレスの12の冒険のうち11番目だとか、100の頭を持つとか、エルタニンと言う星は2.23等級であるとか…それくらいしか思い浮かばない」
「や、それだけ思い浮かべば充分かと…。とにかく、思いついた数字全部入れてみようよ」


私は、白馬が言った数字、12、11、100、2.23だから223を、順番に一つずつ入れていった。けど、金庫は開かない。数字が間違っていると言うことだ。


「やはりそんなに単純にはいかないね」
「だから、単純じゃないってば」
「なら惑星状星雲かな。NGC 6543」
「なにそれ」
「キャッツアイ星雲、といったほうがには馴染みがあるだろうね」
「……聞いたことはある」


でも、聞いたことはあっても馴染みなんて一切ない。だからってこれ以上説明を求めても、私にはわからない説明をされるだけだろう。それから逃れるように私はさっさと6543と入力した。けど、やっぱり金庫は開かない。


「開かないよ?」
「そうか。なら他を考えないと…」
「ってか、そもそも何文字なのかもわからないのに探しようがないと思うんだけど…」
「まぁ、確かに…」
「ってか、もっと単純に考えたらダメなの?ホラ、竜って言ってるんだから、私が生まれた年、とか、ホラ、龍座ってDraって略されるじゃない。だから、アルファベットの順番で数字に直して、4131とかさ。白馬、難しく考えすぎじゃない?」


私は言いながら、自分の生まれ年を押した。けど、やっぱり開かない。しかたなしに今度は4131、と押すと、驚いたことに、かちゃ、と音をたてて鍵が開いた。


「え…開いちゃった…」
「なんて単純な…」
「何、人の父親ばかにする気?」
「いや、そんなことはないよ!」


ちょっと怒った感じで言ったら、慌てた白馬がぶんぶんと首を振った。別に本当に怒ったわけじゃないんだけど、白馬の反応が面白くてむくれた顔をしたら、大袈裟に謝ってくれる。こんな風に、白馬と話すのが楽しいと思えるなんて、以前の私は想像もしてなかった。


「ほら、…あけてよ」
「いいの?」
「だから、私はあけたくないから」


まだ、あの人の全てを許せるわけじゃないから。
自分から箱をあけるってことは、あの人を受け入れるってことになりそうで、いやだ。でも、自分であけなければ、見さされた、っていえる。自分からみたらそうは言えないけど、誰かがあけてくれたら、その人のせいに出来る。結局それは、白馬を利用していることになるし、人間としてかなり汚いと思う。…でも、まだ私には、あの人を許せない。


白馬が扉に手をかけた。自分でも驚くほど、緊張しているのがわかる。…思わず目を瞑ると、白馬の左手が私の頭に、ぽん、と乗っかった。


「大丈夫。…何も今すぐ許す必要は無いんだ。受け入れる必要もない。だから、怖がらなくていいんだ」


どうして、白馬は私のことがわかるんだろう。…どうして、こんなに欲しい言葉をくれるんだろう。思わずエスパー?と聞いたら、そうかもしれない、何ておどけて答えた。


白馬が、扉をあけた。私は心臓が高鳴るのを抑えながら、そっと中をのぞく。


そこには紙袋と、一冊のスケッチブックが入っていた。


正直、麻薬でも出てくるんじゃないかとヒヤヒヤしていた。けど、全然違って、紙袋の中身はなんとお金。それはそれでとても大変なことだ。札束が軽く10枚は入っている。…つまり1000万円、と言うことだ。途方にくれる私の隣で、白馬はスケッチブックを手にとり、開いた。、と呼ばれて一緒に中をのぞくと、そこに書かれているのは、子供のころの私を書いた絵。…めくっても、めくっても。どこまで言っても私の絵ばかり。一番最後のページも、やっぱり私で締めくくられていた。


「…白馬…これ…」
「まって。…最後の絵の裏…何か書いてある」
「え?」


言われてみてみると、確かに絵の裏側に、文字が綴られている。私は白馬からスケッチブックを受け取ると、ページをめくった。




ここを見つけられるくらい大きくなったこと、嬉しく思う。
お前達を置いて出ていった私を許してくれとは言わない。
ただ、これだけは伝えたかった。

愛してる

お金は、父さんが稼いだ金だから、好きに使ってくれ。


…何、これ。手から、スケッチブックが零れ落ちた。


私があの人を恨むことも、ここを見つけることも、全部全部お見通しだったってこと?こんなお金とメッセージだけ残して、恨むなら恨めって、馬鹿じゃない。


こんなに書いてくれるんなら、メッセージ残すんなら、お金なんてくれるんなら、…愛して、くれるんなら


どうして、ずっとそばにいてくれなかったの?


「どうして?」
…」
「どうして、どうして…そばに、いて、ちゃんと…伝えてくれないの?」
「そう出来なかったんだよ。のことを考えると」
「私は…!絵なんて書いてくれなくてもよかった!こんな言葉も!お金だっていらない!ただ…もっとちゃんと、そばにいて、愛してるって、言って欲しかった」


目の前が、涙で歪んだ。でもそれ以上に、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。こんなんじゃダメだ。そう思うのに、自分でも止められない。


「…大丈夫だよ、


そんな言葉が、上から聞こえた。それから少しして、体がふわりと包まれたのがわかる。…さっきも感じた、白馬の腕の中だ。


「わかってるから」


わかってる。


その言葉が、こんなに特別に聞こえるのはどうしてだろう。
白馬はいつもその一言で、私の中のもやもやした気持ちを、すっかり取り去ってしまう。その一言で、私のことを安心させてしまう。


私はずっと、理解して欲しかったんだ。


改めてそう思ったら、なんだか笑えた。子供みたいで、でも、一番難しいことを願っていたのかもしれない。愛して、より難しいことかもしれない。


それをくれた白馬を、私は理解出来るかな。白馬の腕に抱かれながら、そんなことを思った。