2人の影



テスト期間になると、私は必ず図書室に通い詰める。中学3年間やり通して来た習慣で、家にいるよりずっと集中して勉強ができるので、とても気に入っている。


…ただ、今年はそうはいかないらしい。


「おい三橋、もう一度言うからな。ちゃんと聞けよ?」
「う、うん…」
「みはしぃ、ちゃんと聞けよぉ!」
「田島、お前もだバカ!」


あれで小さい声で喋っているつもりなんだろうか。多分図書室の一番端まで丸聞こえだ。別にうるさいと言いたいのではなくて、会話が面白すぎて勉強に集中出来ない。


西浦高校野球部。どうやら今日は、主将でライトの花井くんと外野手の西広くんを中心にして英語の勉強中らしい。ちなみに数人は別動隊で数学をやっていて、そっちは割と静かだ。


副主将でセカンドの栄口くん、センターの泉くん、ファーストの沖くん、そしてその中心に…


キャッチャー、阿部隆也くん。


二人目の副主将で、中学時代はシニアだったすごい子だ。すごいなんて言っても、私は阿部くんがどれくらいすごいかは、少しもわからないんだけど。


この間同じ委員になったけど、正直まだあまり話したことはなくて、きっと顔と名前が一致してるくらいだと思う。


数学組の4人は本当に静かで、ただひたすら問題を解き、躓いたときだけ阿部くんに相談をする。


今日図書室にいるのは、阿部くんたちの他は私と図書係りだけらしい。多分うるさいからだと思うんだけど、どうやら本人達(田島くんと、三橋くんと、それにつっこむ花井くん)はその自覚が全くないらしい。


他人のことも考えてね?っていってもきっと通じないだろう(間違い無い!)から、私は黙って顔を伏して、ゆっくりと目を閉じた。


外から流れ込んでくる穏やかな風。太陽の陽射し。遠くなる声…


昨日、遅くまで本を読んでいたからか。それともなれない勉強なんてするからか…


くらい瞼の裏に、意識がどんどん沈み込んでいく…




「あれぇ〜?さんねちゃったよー?」
「っ…!」


突然自分の名前を呼ばれて驚いた。顔を上げると、田島君が向いの席から私の顔をのぞきこんでいる(いつのまに!)。


「た、たた、たたた、田島君!」
さんどもりすぎー!三橋みたいだぞー!」
「っ!? …う、あ、ご、ごめ、」
「だぁー!お前等うるせぇ! いいかげんに…!」
「花井、お前も落ち着け」


呆れた声でもどこか響く声に、全員が振りかえった。


「…あ、あべ、くん」
「田島、三橋、お前等が一番やばいんだからな。ちゃんとやってくれよ」
「おう!」
「う、あ、うん…が、んばる」
「西広、こいつら頼むよ」
「あ、うん」
「あともさ。こいつ等にかまわなくていいよ。お互い勉強できねぇだろ?あと眠いんなら早く帰ったほうがいいぞ」
「は、はい…」


ああ、呆れられた。…ショックで言葉を失っていると、栄口くんが阿部君を呼んだ。そしてみんな私のことを忘れて、勉強に戻っていく。私自身も、だんだん心臓のドキドキもおさまってきて、冷静になってきた…けど、そうしたらまた眠くなってきてしまった。


あ、ねちゃだめ。また阿部くんに呆れられちゃう。でも眠い。昨日は本当、ほどほどにしとけばよかった。


余計なことを考えていると、自然と瞼が落ちて、自分でもはっきりわかるほどに深く眠りに落ちた。









◇ ◆









「…!」


怒ったような声に目を覚ますと、目の前に阿部くんのドアップがあって驚いた。


「わっ、あ、阿部くん!?どど、どうしたのっ!」
「どうしたのって…もう閉館だぞ」
「えっ」


閉館。時計を見やると、もう6時半を回っている。どうやら私のせいで図書室を閉められないらしい。


「ごめんっ」
「俺より図書係りにあやまれよ」


ごめんなさい、と謝ると、彼はいえ、と言って笑ってくれた。それを見て阿部くんは、小さくため息をつく。…また、呆れられたのかな。


「ほら、早く用意しろよ」
「あ、うん!」


広げたノートを閉じ、ばらけたペンをペンケースに入れた。そうしていて気が付いたんだけど、阿部くんはじっと目の前で、こちらに視線を送っている。


「あ、…阿部くん」
「何?」
「か、帰らなくて…いいの?」
「帰るよ」
「だ、だって野球部のみんな…」
「え? …あぁ。あいつ等は放っておいても勝手に帰るからいいんだよ。それより、早く片付けろよ」「あ、はい!」


もしかして、待っててくれてるんだろうか。チラリと視線をやると、バッチリ目が合ってしまって、少し睨まれた。早くしろ、ってことらしい。


勉強道具を鞄にしまい終えて、お弁当袋を持って立ち上がった。阿部くんは図書係りの子にわりぃな、と声をかける。どうやら友達らしい。私ももう一度ごめんなさい、と謝ると、阿部くんについて図書室を出た。自然と、隣に阿部くんが並ぶ。


沈黙が、ずどんと降って来た。


どうしよう…何をしゃべればいいんだろう?だってこの間はよろしくしかしゃべってないし、今日だって、殆ど「うん」と「はい」しか言ってない気がする。なのにそんないきなり、親密にしゃべれなんて、無理!絶対無理!ばくばくとうるさい心臓、赤くなる顔、沸騰する脳みそ。あぁ、もう…



「は、ははははは、はいぃ!」
「…落ち着けって」


また呆れた声。思わず阿部くんを見上げる。…けど、阿部くんは少しも呆れた表情なんてしてなかった。


むしろ、薄く笑ってて。


「あのさ、別にお前のこと威かそうってわけじゃないんだし」
「え、う、うん」
「オレ口わりぃし、言い方きついし、怒ってるように聞こえるかもしんねぇけどさ」
「た、確かに…」
「そこフォローしろよ!」


そうつっこんでくる阿部くんが面白くて、思わず笑う。すると、阿部くんもすぐに笑ってくれて、なんだかびくびくしてたのが馬鹿みたいだな、と思った。


それからふたりで、野球部のみんなの話なんかをしながら自転車乗り場まで行った。普段は私も自転車で来てるけど、今日はたまたま親が送ってくれたから歩き。待っていると、阿部くんは銀色の自転車を押してやってきた。


「あれ…ってバス?」
「ううん、歩き」
「歩き?」
「そう。普段は自転車で来てるんだけど、今日は親に送って貰ったから」
「へぇ…」


阿部くんはそう頷くと、少し考えるような表情をした(ちょっと怖い)。出発しようとしないのでぼんやりそこに立っていると、、と呼ばれて顔を上げる。


「お前ん家って、こっからどんくらい?」
「え?えぇっと…歩いて15分…かな」
「じゃあかなり近いな」


そういうと阿部くんは、自転車をまたいでサドルに座る。


「乗れよ」
「え………… えぇっ!」
「なんだよ、嫌なのか?」
「い、いやじゃない、けど!」
「けどなんだよ」
「え、だ、だってそんな、悪いし…」
「悪くねぇ。ってか歩いて15分なら、チャリで5分くらいなもんだろ」
「そ、そうだけど…」
「いいから乗れよ。落としたりしねぇから」


乗らないと怒るぞ。阿部くんはそんな表情をしている。でも、一緒に歩いてるだけでも緊張するのに、後ろに乗るなんて…


「お、重いよ、私…」
「馬鹿。野球部なめんなよ?」
「うっ」
「いいから乗って」


私の前まで自転車を移動させた。サドルの後ろ、荷物をくくりつけるところが、なんだか妙にこちらを攻めてくる。


申しわけない、と思うんだけど、でも拒否出来ない。だって…阿部くんちょっといらついてそうだし、拒む理由もないし、 …嬉しいし。


「じゃあ…お言葉に甘えて…」


いそいそと腰を下ろして、目の前にある阿部くんの肩に捕まった。白いシャツの背中がすごく近くて、心臓がドキドキする。


「〜〜〜っ、さぁ…!」


突然、怒ったような声で阿部くんが言った。何かと思って思わず肩が跳ねると、阿部くんの肩に置いた手をぐっとつかまれる。


「こっちにしてくれ」


そう言って、阿部くんは私の手を自分の腰に回した。それがあまりに突然過ぎて、恥ずかしくて、手を離してしまう。


「あ、あああああ、阿部くっ…」
「落ち着けって。 ってさ、なんか落ちそうなんだよ。それに肩つかまれんの好きじゃねぇし。だから腰の方がいい」
「ででで、でもっ」
「いやなのかよ」
「え、…いや、じゃない、よ」
「なら、いいだろ」


素っ気無いいい方で、阿部君は早く、と促した。


動悸が早い。音が大きい。もしかして、阿部くんに伝わっちゃうかも。でも、でも、でも。


そろそろと、阿部くんの腰に腕を回した。ぴったりくっつくなんて出来なくて、額を凭れて少しだけ隙間をつくる。すると阿部くんは、いくぞ、とひと声かけてペダルを漕ぎ出した。その瞬間少しふらついて怖かったけど、すぐに安定して走り出す。


二人乗りって、ダメなんだけどな。


ふらついたときに思わず抱きついてしまって、折角つくった隙間はなくなってしまった。けど、本当はその距離が、体が触れてるこの感じが心地良くて、温かくて、私は阿部くんの背中に顔をうずめた。


少し冷たくなった風が、真横をすり抜けていった。









2007.06.21 thursday From aki mikami.