体の芯から震えるような恐怖。また見てしまった。あの悪夢を。



>>> night



夜、なんて時間は嫌いだ。夜になれば、みんな寝静まってしまう。そうすれば、私は自分の孤独さを痛感せずにはいられなくなる。昼間に、いくらピノコや先生と楽しく出来ても、言いようのない不安と巨大な闇が私を支配する。

私は隣のピノコに気づかれないようにこっそりとベッドを抜け出すと、まずキッチンに向かう。水でも飲めば、少しはすっきりするんじゃないかと思ったから。だがそこに行くまでにはかなり厳しい関所がある。もちろん、先生の部屋だ。

ドアの下の隙間から光がもれていて、まだ起きて何かをしていることが分かる。私は足音を立てないようにそぅっとその場を通り過ぎると、思わず壁に寄りかかってため息をついた。


「…随分盛大なため息だな」
「っ……!?」
「お前に忍者の才能はないな」
「せ…先生って本当は忍者なんじゃ……」
「バカをいうな。私はただの医者だ」


勝ち誇った顔でにやりと笑う先生。今日も関所を通過することは出来なかった。


「こんな時間になにしてるんだ?早く寝ろ」
「だっ…だって水…」
「水ならさっきも飲んでなかったか?」
「うぅ……」
「それより、何かあったんじゃないのか?だったら俺を呼べばいいじゃないか」
「………」


さすが医者、とでも言うべきか。鋭い観察眼をお持ちだ。私は自分でいうのもなんだけど、ポーカーフェイスがうまいほうだと思う。そんな私の心理状態を、見ただけで判断してしまう…この人には、きっと一生叶わないと思う。


「…またあの時の夢でも見たか…?」


…そうだ。私が眠れないなんてほかにはない。

この先一生消えることはないだろうたくさんの痣と、痛み…。

私は軋む体を無理に動かし首を縦に振った。


「今日はやけに素直だな…」
「どうせ…見破られるし」
「その通りだな。お前もようやく俺のことがわかって来たか、少しは成長したってとこか」


からかうような口調でいった先生は、私の頭を包み込むように優しく撫でてくれる。…それだけで、すぅっと不安が薄らいでいく気がした。

私がこんな風になるのは、何も今日に始まったことじゃない。むしろ結構ある。その度に、先生は私を今みたいな感じで撫でてくれた。

もちろん、先生の手は大きい。けれどそれ以上に先生という人の優しさは大きくて、身を預けてしまいたくなる。

ほとんど不安は消えてしまった。先生の不思議な力…魔力みたいなもので、私は目を瞑ってただそれを感じていた。

両親の記憶。数ある中で、笑っているのは外に出掛けたときの、あの気持ち悪い作り笑いだけだった。家の中ではとにかく静かで、恐ろしい人達だった。心の底から笑うことを知らないんだろうか?子供ながらにそう思うほどだった。

私の役目は、小さい時は苛々のあたり所。今くらい大きくなってからは、まさしくサンドバックだった。別に両親を恨んでいるわけではない。殺さないでおいてくれた訳だし。けど一つ。私の傷とかを見てみんなが逃げて行く。…やっぱり学校では居ずらくなった。

先生に引き取ってもらってからの私は先生曰わく、大分心を開いたようだが、前に先生が私に言っていた事がある。

「お前の問題は体の傷より心の傷だな」

私はその言葉に納得がいかなかった…と言うか、今現在も納得なんてしてない。

でも、私は未だにあの頃を夢に見る。自分が思っている以上に自分が傷ついていたらしいことがわかって、正直かなり悔しい。それに先生に「ほらみろ」って言われるし。過ぎた事をいつまでも気にするなんてくだらないことだとわかっているけれど、それでも私の心は不安を訴え続けていた。


「さて、もう寝ないと朝がつらいぞ。ただでさえお前さんは朝に弱いんだからな」
「……」


返事をすることができなかった。どうしても先生に、傍にいて欲しかった。先生に甘えたかった。小学生でも言わないようなことだとわかっている。それでも今傍にいて、安心させて欲しかった。


「……まだ何かあるのか?」


先生が呆れたような声で言って、ようやく気がついた。先生の服を掴んでいたのだと。


「本当にお前さんはしょうがないな」


最悪。

私は先生に嫌われたくない。だから今まで我が儘を言わないようにして来たけど、…今更こんな子供みたいな事言って、もし嫌われたら…?

私は急いで手を離した。


「ご、めんなさい…もう寝るから……」
「おい…」
「ごめんなさい。……お休みなさい…」
「おい


腕を掴まれてしまった。さっさと逃げようとしていた私は、前のめりになって転びそうになったけど、なんとか踏みとどまった。


「っ…先生」
「呼び止めたのに逃げようとするお前さんも悪いだろう」
「……う…」
「だいたいお前は余計な事ばかり考え過ぎだぞ?もう少し気楽になれないのか?」
「っ……」


先生の指摘は最もだった。あんな事があったからか…それとも生まれ持っての性格からかは知らないが、私は考え方が卑屈だ。そうなってはいけないとわかっていながらも、どうしても変えられない。わかっているのに。

私が何も言えないでいると、先生はガジガシと頭を掻いた。それから困ったように言う。


「まぁ…その、なんだ…。そんな事くらいで、…俺はお前さんを嫌いになったりはしないさ」
「っ…!」
「まだ不安…なんだろ?だったら素直に言ってくれればいい。…落ち着くまで、傍にいてやる」
「……っ…、り、がと……」
「やれやれ。…手間がかかるな…は」


そう先生が言って、背中に回ってくる温かな感触。強く優しい力に包まれて、…私はとうとう泣いてしまった。

次々流れる涙を払ってくれる先生の指はやっぱり優しくて、この満たされたような想いが永遠に続けばいい…柄にもなく、そんな事を思った。










2006.01.27 friday From aki mikami.