朝のSHRの直前。
同じクラス、1−4組の菊丸が、俺の席の前まで来て、こんなことを言った。


「ねぇねぇ手塚!マネージャー欲しくにゃい?」
「…何を言っている?マネージャーならもういるだろう?」
「そうじゃにゃくて、俺達の学年のってこと!だってマネージャーは3人もいるのに、みんな2年か3年じゃん!」
「そうだが…別に不自由はしてないだろう?」
「これからするの!だって俺達が3年になったときに、マネージャーが初心者なのって困んない?」


…確かにそうかもしれない、と思った。まぁ来年新入生で一人でも入ってくればその心配はない訳だが、…同年代でマネージャーがいたほうが、話しやすいのは確かだ。


「おいお前等!HRはじめるぞ!」


そう言って担任が入ってきたので、菊丸は慌てて自分の席に戻っていく。途中振り向いて考えといてね、と言ったが、一体俺に何を考えろと言うのか。俺がほとんど女子と交流がないのを知っていて、俺に心当たりを探せと言うことだろうか。


「きりつ、礼」


号令がかかった。皆が一斉に頭を下げる。それからガタガタと音がして、また全員が一斉に席につく。…いつもよりすこし、周りがざわついている気がする。


「えー、皆もう知ってるみたいだが、今日は転入生を紹介する」
「え…?」


一瞬、先生の言葉を疑った。…この時期に転入生なんて、…心当たりで、一人しかいない。


「じゃあ、入ってくれ」


そうかけられた先生の声と同時に入ってきたのは、…やはり、だった。今朝見たあの制服を来て、すこし恥ずかしそうにしてたっている。…俺の方には、気づいていないようだ。だが、俺の他にもを知っている人間は当然いる。ちかくにすんでいたのだから。そんな人間が、まわりで少しだけざわついた。


「じゃあ、自己紹介をしてくれ」
「はい。
…えっと、と言います。3年前まで、この近くに住んでいたので、知っている人もいると思いますが、これからよろしくお願いします」


ぺこ、と頭を下げた。黒い髪がぱさりと音をたてて垂れ、彼女が顔をあげると、さらりと揺れた。…その瞬間、も俺を見つけたようで、少しだけ、目を見開いた。


「それじゃあ…の席はあそこ、一番後ろの廊下側だ」
「はい」


そう言って、がこちらに歩いてくる。…彼女の席は、俺の席の二つとなりだった。そういえば、朝入ってくるときに何でこんな所に机があるんだろうと思った気がする(このクラスは人数が他クラスより一人少ない)。


それからの先生の連絡は、頭の中に一切入ってこなかった。ただ、左から右に抜けていくだけで、脳内で意味を変換できない。そこに記しておくことが出来ない。…どこか、ぼんやりする。


そうして気が付けば、SHRは終っていた。一斉にの周りに人が集まり、質問攻めにあっている。聞こえてくる言葉は、可愛いね、とか、どこの学校?とか、そんなこと。…女子はともかく、男子があんなに近づいて行くということに、少しだけ嫉妬のようなものを覚えた。


「ねぇねぇ手塚!」


菊丸がいつのまにか俺の前にいて、満面の笑みを浮かべて立っていた。


「何だ?」
「かわいいよねぇ、ちゃんだって!」
「…」
「ねぇねぇ、…ちゃんにさ、マネージャーになって貰っちゃだめかにゃ?」


菊丸の言葉に、俺は思わず椅子から立ち上がった。


「え、手塚?」
「……いや、…彼女は、剣道部に入る」
「え?もしかして手塚知り合い?」
「幼馴染だ。…ほぼ生まれたときから一緒にいた」
「どうしたの、国光?」


そんな声が聞こえて、驚いた。振り返れば、がそこに立っていて、首を傾げている。

「突然立ち上がるなんて珍しいね?」
「……そうか?」
「うん。なんかあったの?」
「あ、いや…」
「あのねぇ、俺菊丸英二!よろしくにゃぁ!」
「あ、よろしくね」
「今ねぇ、ちゃんが剣道部に入るって話してたんだよ?」
「え?」
「手塚がそういってたから」
「あぁ…」


が、すこし曇った表情をした。


「私…剣道止めるから」
「え…?」
「こっちにきたらテニスやろうかなって…思ってたから」
「え、うっそぉ!マジで?やったじゃん手塚!」


菊丸が俺をふりかえって、両手を上げて喜んだ。は何のことだかわからないらしく、また首を傾げて菊丸をのぞいている。


「今にゃ、ちゃんに、テニス部のマネージャーになって貰おうって話してたんだ
にゃ!」
「え?」
「俺たちの代のマネージャーがいないから、ちゃんにやってほしいって!」
「…菊丸!いきなり頼んだら、も困るだろう!」
「……私は別に…国光さえよければ」


の言葉が、信じられなかった。…俺さえ良ければ?いやなんて言う理由、見つかるはずがない。俺と一緒にテニスをしていて、ルールは知っているし、自分でもある程度プレイできる。更に家も近くて、話しやすい。…それに、少しでも、との距離を縮められるかもしれない。3年間を、埋められるかも。


「…俺は別に、かまわないが」
「本当?」
「あぁ。それより…本当に剣道、やめてもいいのか?今年はもしかしたら、ここで全国に」
「いいの。…正直言って、青学の剣道部はあんまり強くないって話しだし…それに、またテニスやりたいなって思ったの」
「ほーら手塚!これできまりね!」


菊丸がに手を差し出して、握手して、笑った。その二人が触れあっている手を見つめて、またすこし、遠くなったような気がする。


…俺たちは、どんどん離れていくばかりだ。