「てーづーか!」
翌日、菊丸が俺のクラスにやってきた。満面の笑みを浮かべいやに楽しそうにしている菊丸の隣に…菊丸とは正反対の表情を浮かべた、。
「が辞書忘れたんだって!使わないなら貸してやって!」
きっ、と俺の方をにらんでいる。次の時間、辞書を使うと言うことは、のクラスはリーディングだろう。そういえばたまに菊丸が辞書を借りにくる時間だったな、と思い出した。次の時間は俺のクラスもリーディングだが、俺のクラスの先生は辞書を使わないので、この時間は貸しても問題ない。
それにしても、菊丸が辞書を忘れるのはいつものことだが、が忘れ物をするというのは少し意外で、思わずの顔を凝視してしまった。とても不愉快そうに顔を顰められてしまったが。
「あぁ、別に構わない」
「!うそ!」
俺の言葉を聞いて、がものすごい剣幕で怒り出した。その声に驚いたのか、隣の席の女子がの方を振り返る。
「あんただって次、リーディングでしょ!」
「なぜわかる」
「周りのみんなリーディングの用意してるじゃない!」
そう言われて周りを見渡すと、確かに何人かはリーディングの教科書を机の上に用意していた。しっかりと周りを観察して、相手を気遣うことが出来るところは、やはりらしいなと思った。
「は、周りをよく見ているんだな」
「っ、そういうこと言ってるんじゃなくて…!」
「俺のクラスの先生は辞書を使わないんだ。それに予習もしてあるから貸しても問題ない」
俺の言葉に、は何か言いたそうにしていたが、何も言い返してこなかった。苦々しげに口を引き結んで、俺を睨みつけている。
「手塚は予習してるから大丈夫!俺もいつも借りてるよん♪」
「でも、もし見落としがあったり、間違ってたりしたら!」
「そういうことは、今まではないな」
「っ、…もういい!」
そう言って、はものすごい剣幕で教室を出ていった。端的に事実を述べたつもりだったが、余計なことを言ってしまったのだろうか。その後ろ姿を見送りながら、思わず軽くため息がもれた。
「わちゃぁ…手塚ごめん」
「いや、構わない」
「うーん、実際目にすると、結構当たりきついねぇ。想像以上って感じ」
が去った方に顔を向けながら、菊丸が無造作に頭を掻きむしる。やはり菊丸の目から見ても、のあの態度は相当キツく見えるようだ。だとしたら、やはり俺が彼女に嫌われるような何かをしてしまったのだろう。
「でもにゃー、は多分、手塚に迷惑かけたくないんだと思うんだよにゃー。元々責任感が強いせいもあると思うけど」
「…そうだな」
俺の言葉に、菊丸は意外そうな顔でこちらを振り向いた。
「意図はどうあれ、が人に迷惑をかけまいとしていることはわかった」
「ああ、そういう意味…」
なぜか落胆したようにそういった菊丸に辞書を手渡す。それを受け取りながら、はぁ、とため息をついた菊丸だが、ため息をつかれる理由はわからなかった。
「一応、渡してくれ」
「了解!じゃ、俺も戻るね〜」
そう言って手を振ると、ドアに向かって歩いていく菊丸。あとから追いかけて話し掛ける女子と楽しそうに教室を出ていった。その瞬間一気に気が抜けて、目頭を軽く押さえる。
まるで嵐が過ぎ去ったようだ。そう思ったら、本日二回目のため息が自然と口から漏れていた。