二人の距離は、3cm。

Scene 7


「おつかれー」


そんな挨拶をしながら生徒会室に入ってきたは、すぐに俺の隣にある自分の席に来て、スカートを軽く整えてから椅子に座る。他のメンバーが口々に挨拶をする中、俺は早速に向き直った。


「…
「なに、手塚」
「リーディングのノート、見せてくれ」
「はぁっ?」


彼女は呆気にとられた表情で俺の方をまじまじと見た。少し困っているようにも見えるが、以前のように話すことそのものを嫌がっているという感じはしない。


「珍しい…どうしたの?」
「今日の分、聞いてなかったんだ」
「うわ、ますます珍しい…別に貸すのはいいけど、先生違うしクラスの人に借りた方がいいんじゃない?」
「それでもいいが…今日聞いてなかったのはある意味お前のせいだからな」
「…はっ?」


わけがわからない、といった顔をする。確かに、いきなりそんなことを言われても事態が飲み込めないだろう。少し意地が悪かったかと反省しながら口を開いた。


「今日の体育、テニスだったろう」
「そうだけど…それがなに」
「なかなかいい動きをしていたから、みていた」


俺の言葉に、は怒ったような表情をした後、大きくため息をつきながらカバンの中を探り始めた。


「…授業中の癖に、このテニスばかっ!」


そう言って、三上は鞄から取り出したノートを俺の前に置いた。


「それって、私のせいじゃないと思うんだけど」
「そうだな。でも、に借りたいんだ」
「っ、ばか!」


俺がノートを受け取ると、赤い顔でそっぽを向く。その反応は今まで見たことがなくて新鮮だったので、じっとの顔を見ていると、真っ赤な顔のまま俺の方を振り向いて、きっと睨みつけられた。そんな会話をしていると、他の生徒会役員たちから「いちゃつかないでくださいよー」と言われて、はますます顔を真っ赤にして「してない!!」と叫んだ。…正直俺としては、今のがいちゃついているように見えていたのなら嬉しいのだが。


とはいってもやりかけの仕事を放っておくわけにもいかないので、正面に向き直って作業を再開する。隣のも相変わらず顔は真っ赤だtたが、それ以上何もいうことはなく、自分の作業に手をつけ始めた。


…結局、一番聞きたいことは聞けていない。作業をしながらの世間話なら多少は問題ないだろうかと思いながら、正面を向いたまま口を開いた。


「テニスするんだな」
「…まぁ、一応」
「一応?普段からテニスをしている人間の動きだったが」
「…してるけど、学校の人にはあんまり知られたくない。…特に、あんたには」


の口から出た言葉に驚いてしまって、思わずの顔を振り向いてしまった。彼女は作業を止めて顔を俯けていて、その表情はなぜだか悲しそうに見える。


「…なぜだ?」
「比べるから」
「比べる?俺は人とを比べたりはしない」
「あんたが、じゃない、周りが。…それと、私が」


周りが、の意味は分かった。だが、私が、の意味が、良くわからなかった。


「どういうことだ?」
「そのままの意味だよ。どっちが上手いとか下手とか、優れてるとか劣ってるとか、考えるでしょう?」
「…は、そういうことを気にしているのか?」
「だって…手塚みたいな完璧な人と比べちゃうと、どうしても目につくじゃない。自分の下手さ」
「自分と他人を比べてみるのは、悪いことではない。だが、自分を卑下することは向上には繋がらない」
「…そんなの、手塚が劣ってるところなんてない、完璧な人間だからでしょっ」


少し強めにがそう言って、両の拳をぎゅうと握りしめた。他の役員が動揺した様子で俺達をみる。だが俺は構わずに反論する。


「俺だって、負けたことはある」
「…」
「完璧な人間などいない。だからこそ、自分をより磨いて行くために努力をする。…はそれをわかっていると思っていたが」
「そんなの…私のこと買い被りすぎだよ」


そういったの体は小刻みに震えていて、今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。


「…努力したって、どんなに好きだって…どうしようもないことだって、あるんだから」


そう言うと、は勢いよく立ち上がって、走って生徒会室を飛び出した。残された俺は呆気に取られて追いかけることもできず、他の役員たちも当然驚いていて、複雑そうな顔をしている。そんな中、「あの」と声をかけられてそちらを見ると、役員の女子がおずおずと手をあげていた。


「…あの、先輩、一年生の時はテニス部にいたらしいですよ」

聞かされた衝撃の事実に、俺は何も言葉を発することができなかった。というか、この場にいる全員が驚いているので、きっとあまり知られていないことなのだろう。


「でも、先輩からの虐めがひどくて、部活を止めて、今はクラブチームに所属してるらしくて…」
「……わかった、ありがとう」


それだけわかれば充分だった。それに、後は本人の口から聞きたかった。きっとは、テニスを嫌いになって部を辞めたわけではない。むしろ、今もテニスを続けているのは、テニスが好きで、離れられなかったから。テニスが好きで好きでたまらないから、止められないのだ。


俺の足は自然と、の走る足音を追いかけていた。を傷つけてしまったことを謝りたい。そして、改めてとちゃんと話をしたい。


の足音は、生徒会室から真っ直ぐ玄関へと向かっていた。階段を駆け降りてすぐに、見慣れた背中がうつる。


「…!」


呼び止めると、小さく震える背中。立ち止まったかと思ったら、靴を取り出して少し乱暴に床に投げた。そのまま靴を履こうとする彼女に駆け寄り、その腕を強く掴む。思ったよりもずっと細くて、少し驚いた。


、その…」


話をしたいと言ったものの、どう話そうか考えあぐねていると、は先ほどより幾分か力のこもった目で俺を見上げた。


「手塚…勝負しよう」
「え?」
「試合!あんたと私の一対一で試合。部長権限でテニスコート借りて!借りれなかったら別に野試合でもいいけど!」

「私、本気だから」


声色や視線から、が真剣であることがわかる。俺としてはぜひそうしたいと思っていたところだったし、何よりテニスのことはテニスを通してわかり合うのが、きっと一番早いのだろうと思った。


「わかった。…荷物を持ってくる」


生徒会室に置いてきた荷物を取りに戻る。は自分もといっていたが、「俺がとってくる」といってそれを制した。