肩が…上がる。


俺の後ろで見ていたあの少女は、いつのまにかいなくなっていた。先程誰かが迎えに来ていたようだったから、家に帰ったのだろう。…俺は、その迎えに来た人間の顔も見えないほど、目の前の試合に没頭していた。


やっと、動かせるようになった。あの少女と同じく、俺も"イップス"だったのだ。


獅子楽中のほぼ全員と試合を終えると、彼等はそそくさと、逃げるように去っていく。俺は、その様子をただ黙って見ていた。


獅子楽中には、1年前まで不動峰の橘がいた。その力と3年生の実力で、全国に駒を進めていたのだろう。先ほどのメンバーが、弱いとは言わない。だが、全国を勝ち進むには、やはりすこし力不足だろう。…橘が抜けた穴は、それだけ大きいと言う事だ。


俺も、早く戻らなければ。そう思う気持ちが、またすこし俺を焦らせる。だが、もう居た堪れない気持ちにはならない。俺は間に合う。みんなと一緒に、青学で…全国に行ける。


「手塚…!」


突然、…俺を呼ぶ声が聞こえた。その声は、聞き覚えがあって…まさかここで聞こえるはずがない、俺がずっと聞きたかった、あの声。


嬉しさのあまり、幻聴でも聞こえたのだろうか。頭がぼんやりしていて、夢でも見ているのだろうか。そう思うが、反射的に声のした方を振り返ってしまう。


緑色のフェンスの向う、歩道の隅の方に見える…白く揺れるスカート。この場にはあまりにも不似合いで、…まるで幻のようで。…だが、頬にやわらかくふいてくる風も、すこし冷たい空気も、雲の隙間から射すやわらかな陽射しも…すべてが、本物だ。


「―――………


まるで、桜の花のように、…始めてあったあの時のように、俺の目の前に現れた、彼女。


「手塚」
「……なぜ、ここに」
「会いたくて…来ちゃった」


ぎぃ、と音をたてて、フェンスの扉が開いた。ゆっくりと彼女が踏み出すたびに、そこに桜色の道が出来るようだ。


「……さっき、電話をすぐ切ったのは」
「バスに乗るところだったから…それに、あのままだと…泣いちゃいそうだったし」


1メートル先。一歩踏み出せば届きそうなところに、がいる。…ずっと、触れたかったが。


「学校休んできちゃったんだからね?」
「……
「それより、ねぇ手塚」


が、肩から掛けていたバックをあさる。…中から、白い拍子の、一冊の本が出てきた。それを俺の方に差し出して、微笑む。 …表紙には、「桜色ノート」と、桜色の文字で書かれている。


「本、出来たの」
「前に言ってた、あの本か?」
「そう。…ねぇ手塚、私のノート読んだなら、……この話の主人公二人、誰がモデルになってるか…わかる、よね?」
「…あぁ」
「じゃあね、この本の…この話の、最後を見て欲しいの」


が差し出した本を受け取って、一ページ目を開く。目次を見て、の話が最後に載っていると確認すると、本を一度閉じて、今度は後ろからめくった。

最後は、どうやら専門家の批評や、や他の入選者のひとことが書いてあるらしい。それからすこしパラパラとめくっていくと、丁度見た事がある場面、…俺が一番好きな、あのページが見えたので、手を止めた。


「…そこからすこし、めくって」


の手がすっとのびてきて、ゆっくりと、めくる。ぱらり、ぱらりと音が聞こえて、ふと、手が止まった。…そこには、エピローグ、と書かれている。


「…無理を言って、つけて貰ったの。ほら、書いてあるでしょ、ここからは本書書下ろしです、って」


確かに、※印が付いていて、そこに彼女が言ったように書かれている。


「読んでみて」


そう言う彼女の声が、すこし震えていた。自然と俺の方も緊張する。


舞台は、アメリカ。
アメリカまで少女が会いにくるという設定で、二人は試合のあと、大きな公園へと出かけ、そこで言葉を交わす。


「主人公の…私の、最後の台詞」


そう言ったに、俺は一瞬顔をあげた。しかし彼女はそれっきりなにも言わず、ただ俯いて俺が読み終わるのを待っている。


最後から2行目。すこし長めのその台詞は、…見ているだけで、それを言う自身たっぷりな彼女が思い浮かぶようだった。




『 やっぱり私、待っててなんてやらない!会いたくなったら会いに来ちゃうから! 』




気づけば、を抱きしめていた。その瞬間本がばさりと音をたてて、間から、桜の花びらがのった…あの栞が、ひらりと落ちる。


「…好きだ」
「…!」
「世界一…愛してる」
「手塚…っ」
「会いに来てくれて…ありがとう」
「…て、づかっ」


腕の中のが小さく震えて、俺の背中に腕を回し、グッとしがみついて、泣いた。そして、消え入りそうな声で何度も何度も、「好き」と。


「ごめん、ね」
「あぁ」
「私、素直じゃないからっ」
「…あぁ」
「本当は、ね、早く腕、直してほしくて…」
「わかってる」
「でもね、私、やっと手塚の恋人になれたのに、もう離れちゃうのかって思ったら…悲しくてっ」
「もう、言うな」


泣きじゃくるを、ただ必死で、強く抱きしめた。俺の着ている薄いタンクトップに、の涙が温かく染みていく。…その小さな温もりでさえも、逃したくないと思えた。


「元はと言えば、俺が悪いんだ」
「そ…だけ、ど…でも」
「お前がいてくれるから、俺は、頑張れる」
「そんな、でも私、手塚にひどいこと…!」
「ひどいことを言われたからって…嫌いになど、なれない」
「手塚…」


それ以上何か言おうとしたの唇を、塞いだ。長く…長く触れるだけの、キスを。


やわらかい風が、ふわりと舞い上がる。太陽が緩やかに、俺達を射している。まるで桜が舞い上がったように、穏やかな空気が俺達を包み込む。


このままで もう少し。   温かい唇を 感じていたい。









アトガキ。
「桜色ノート」です。
またちょっと長めですね。
この話は、自分的にはお気に入り?です。桜と言う花が大好きなのもありますが、なんていうんでしょう…手塚とヒロインの最初の距離感とか、すこし時の流れを穏やかめに出来たところとか…あ、自分的にそう思うだけでもしかしたら皆さんには伝わっていないかもしれません…だとしたらゴメンナサイ…(汗

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それでは失礼します。









2006.09.09 saturday From aki mikami.