帰りが遅くなるなんて、いつも普通にあることだった。今日はBJ先生も先に帰ってしまって・・・つまらない気分で一人家への道を自転車で急いでいた。





*走り出す、午後9時38分





うちの高校の近くには、大きなお店はあまりない。近所にコンビニだけなら3つもあるくせに。

私はちょうど、セ○ンイレ○ンの前まで来て、信号待ちの為にブレーキをかけた。

キィッという高い音と共に自転車が止まる。道路の信号が赤になったのか、車が不快なエンジン音を立てて走り出した。


こんな日は、普通は友達や部活の後輩と帰っている。・・・けれど、やはり3年生と言えばもうすぐ引退で・・・まだ部長という肩書きは持っているけれど、事実上の部長は少し前に引き継いでいた。


つまりはまぁ・・・後輩に遠慮しているわけで。


先輩なのにご苦労なことをしていると、自分でもわかっている。だが、やっぱり次の代で精一杯頑張って欲しいと思えば、先輩の存在が邪魔なことはある程度わかっているのだ。

そんなことをぼんやりと考えながら、私は色が黄色から赤に変わった信号をみる。もうそろそろ渡れると、ペダルに足をかけた瞬間。




―――ドッ。




頭にものすごい衝撃。そしてその後に、例えようのない痛さが、後頭部を襲った。




「っあ・・・」




呟いたのも束の間、バランスを崩した私は自転車ごと地面に倒れてしまう。その瞬間はさんだ足があまりにも痛くて、涙でもでてきそうだった。


・・・なぜか私は何者かに、殴られてしまったのだ。


私を殴った奴は、私の方を少しも振り返らずにさっさと逃げていく。頭を押さえて、自転車をよけて立ち上がろうとした瞬間に、足からすごい痛みが走ってその場にうずくまった。


・・・痛い。あまりにも痛すぎる。骨でも折れてるんじゃないかと思うほどいたいけど、まぁそれはないはず。たぶん捻挫みたいな感じになってるだろう。
私は足を押さえながら、とりあえず電柱によりかかった。殴られた頭は血は出ていないものの、くらくらするし、足は痛い。更にこの暗さ。




・・・怖くて。




私はすぐさま携帯を開いた。そして一番最近入ったメモリーの、電話番号を選択する。




―――BJ先生。









+ + +









突然、電話が来た。其れは9時35分だと、携帯は俺に知らせていた。




「はい、」
『―――先生・・・?』
「っ・・・っ」




其れは、初めての電話だった。今までメールを交わしたことは何度か会ったが、電話というのは一度もなかったのだ。の声は震えていて、・・・いつもと様子が違うことは、読みとれた。




「どうした・・・何かあったのか・・・?」
『っ・・・せ・・・っん、せぇっ・・・』




そう、かろうじて呟いたは明らかに泣いていて、俺は思わす携帯を落としそうになる。だが瞬時に思った。・・・は俺に、助けを求めているのだろうと。




「どうした・・・!」
『なんかぁ・・・っな・・・ぐっ・・・られてっ・・・動けっ・・・なっ、くて・・・』
「なぁっ・・・今何処にいる!」
『学校の・・・近くのっ・・・コンビニの近っ・・・くっ・・・ぅ』




多少日本語がおかしいのも、動揺しているからだろうか、とにかく今のはとても気が動転していて、・・・放っておいてはいけない、そう思った。




「・・・今すぐ行くから・・・そこで待ってろ」
『っ・・・うんっ・・・』
・・・電話を切る事すらも、心配で。俺はに"大丈夫だ"と言ってから、電話を切って車へと走り出した。




午後9時38分の事だった。









+ + +









「っ・・・!先生!」




俺の姿を見つけた瞬間、は大きく叫んで駆け寄ってきた。




「大丈夫かっ・・・」
「ん・・・うん・・・大丈夫・・・」




そう、は言うが、どうやら少し足を引きずっているらしい。更には殴られた衝撃からか、頭がくらくらしているようだ。


・・・俺はを、思い切り抱きしめた。




「もう大丈夫だ」
「・・・せん・・・せ・・・」




軽く、頭を撫でてやる。どうやら血は出ていないらしいが、もしかしたら内出血しているかもしれない。どちらにせよ、病院にはいかなければいけないだろう。その為にはまずの親に連絡する必要が有るが。




「・・・、」
「っ、先生っ、ねぇ、私っ・・・」




俺に必死でしがみ付いてくる。この様子では、連絡先を聞き出すことも出来るかどうか判らない。兎にも角にも、を車に乗せよう。そう思って、彼女の体をグッと引っ張って車の助手席に乗せた。




「先生・・・自転車・・・」
「後ろに乗せる」




そう言って、軽くを撫でてやる。不安そうな表情は消える事は無かったが、とりあえず扉を閉めて、立ててある赤い自転車まで走っていく。

特別傷が付いているわけではない。本当に自身が殴られたのだろう。足を引きずっているという事はもしかしたら横に転倒したのかもしれないが・・・それにしても損傷が在るのは前についている籠だけだ。

上手い転び方をしたと内心感心しながら、もう何年もさわって居なかった自転車を後部座席に運び込む。とりあえずでかい車だったから、少し無理はあるものの何とか納まった。

後ろのドアを閉めて、今度は運転席に乗り込む。隣ではが不安げな顔をして、こっちを見つめていた。




「とりあえず、俺の家まで行く。・・・そこで一休みしよう」




そう言って、車を発進させる。横を見るとは気が付いたかのようにシートベルトを締めていた。



街灯の明かりが、妙に暗く感じた。









+ + +









「コーヒーでいいか・・・?」




床にぺたりと腰を下ろした私にそう尋ねる。私は小さく頷いてテーブルに突っ伏した。

さっきの感覚が、甦ってくる。折角大好きな先生の家に来れたって言うのに、そんな事も把握しきれないほどに私は怯え切っていた。




「・・・もう、気にするな」




そう言って、先生がマグカップに入ったコーヒーをコトッと机に置いてくれる。私はそれを受け取って、手に伝わる温かさが身にしみていくのが判った。




「・・・でも」
「別にを狙ったわけでは無いだろう」
「む・・・無差別・・・みたいな・・・?」
「あぁ。よくいる変質者だろう」
「へ・・・変質者・・・」
「だから、別にお前だと思って殴ったわけでは無いだろう?」




そう言って、先生は私の頭をなでてくれる。けれど私の中には、私を殴った人に対する怒りばっかりが浮かんできた。其の人のお蔭で先生に迷惑を掛けてしまったわけだし、痛い想いもした。
そう考えると、何だか瞼が熱くなって来る。すると、先生はそれに気づいたのか、その大きな手で私の頬をぺチッと叩いた。




「泣くな」
「っ・・・だって・・・」
「まったく。お前は如何したら泣きやむんだ・・・?」
「うぅ・・・」
「・・・こうしたら、泣きやむのか?」
「え・・・?」




耳元で行き成り何を言うのかと思ったら、ふわりと抱き締められる。突然の事で驚いて、全然状況も把握しきれて居ないうちにまた少し体が離れて。

先生の動きがスローモーションみたいに、ゆっくりとして見える。




――――先生の唇が、私の唇に触れていた。




そう思ったのも束の間、ざらりとしたものが私の口内に入ってきて、中を掻き回していく。生まれてはじめての感覚に私はただ翻弄されるしかなくて、先生にしがみ付く右の手から力が抜けていくのがわかった。


やがてゆっくりと唇が離れて、苦しかった息をただそうと精一杯息をすったけれど、まるでそれを見計らったかのように再び唇が合わさる。
それを何度か繰り返されて、今度は漸く、きちんと唇が離れたと思ったら、先生がクスッと笑って私を撫でた。




「・・・落ち着いたか?」
「おっ・・・落ち着いたって・・・先生!」
「初めてだったんだな」
「っ・・・」




意地悪い笑みを浮かべる先生に、顔がかぁっと熱くなる。返しようが無くて顔を背けると、再びきつく抱き締められた。それから小さく呟かれる。




「・・・愛してる」




ドクン、と。心臓が一つ大きく脈打つ。先生の鼓動の音も少しだけ伝わってきて、その音が心地良くて、私はゆっくりと目を閉じた。




それから私が眠りの世界に落ちて行くのは、5分ぐらいあとの事。





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2005.08.06 saturday From aki mikami.