Scene 01



「……さん、だよね?」
「は、…はい」
「どうかした?」


家の前で途方に暮れていた私に声をかけたのは、隣りに住んでいる浅葱さんと言う人だった。


「回覧持ってきたんだけど…家、入らないの?」
「え、あ…やぁ…その……」


ごもっともな話です。どう見ても女子大生な私が、夜中に家の前でぼんやり立っているんだから。


ちなみに夜中に回覧、と思うかもしれないけど、夜のうちに新聞受けにいれておく、それが浅葱さんのスタイルだ。


「……は、入れません」
「え?」


正直に理由を言ったらきっと気持ち悪がられるだろうと思って、私は要点のみを口にした。


「…鍵なくしたんなら、下に行って管理人に借りたら」
「そうじゃなくてっ、とにかく入れないんですっ!」
「そう…?なんかよくわからないけど…まぁ頑張って」
「っ!待って!」


踵をかえした浅葱さんを、思わず引き止める。私は腕にしっかりしがみついて…


「あ、あああのっ!すっ、すす、こしっ、おはおは、お話をっ」
「言葉になってないから…とにかく落ち着いて」
「う…は、はい…」


思わず深呼吸。こんなに弱っている自分が情けない…とは思うけど、そんなことより今はこの状況を打破するのが先。


「………で、落ち着いた?」
「は、はい…」
「そう。………んじゃま、さよなら」
「っ!待って待って待ってっ!」
「声でかいから。近所迷惑だから」
「ごめんなさい…でもっ!待ってください!」


ぐぐぐ、と浅葱さんの洋服を掴む。だってだって、今いなくなられたらっ…!


「………わかったから。話だけなら聞いてあげるから」
「うあぁあぁ、ありがとうございますっ!!」
「はいはいどういたしまして。…で、なに?」
「え……あの…その……」


いざなに、と聞かれると、とっても答えづらい。だってそもそも信じてもらえないかもだし、気味悪がられるかもだしっ…!


でも、いきなりよく知らない人間に夜中に引き止められて、浅葱さんはご立腹の様子。


仕方なく、私は口を開いた。


「ゆ……れい、が」
「え?」
「っ………ゆ、ユーレイがっ……い、る…」
「……………………………」
「……………………………」


ああああああ、黙ってしまわれたっ!やっぱりユーレイなんて言う女気持ち悪いのかなっ!?


たっっっぷりの沈黙の後、浅葱さんはこうおっしゃった。


「………じゃ」
「っ!!!待ってぇええぇ!」
「うるさいなぁっ!」
「おいコラ、うるせぇぞお前らっ!」


と…隣りの家から叫ばれてしまった……。


ドアから上半身をのぞかせたおじさんは、私がごめんなさい、と謝ると家の中に引っ込んでいった。


「………君のせいで、僕まで怒鳴られたんだけど」
「ごめんなさい…」
「大体…見間違いとかじゃないの?」
「ち、違いますっ!」


私は昔からそういうのが見えるタイプで、それがいいもの悪いものに関わらず、好かれてしまうことが多い。


「……………まったく……どうして僕の周りにはこういうのが多いんだか」
「はぁ、すみません………って、え?」
「…君みたいなのがいるんだよね、友達で」
「は、はぁ…」
「…とにかく、今まで何ともなかったのに急に現れたんなら、原因になるものを君が持ち込んだってことだろ」
「は、はぁ…そう…ですか?」
「そうじゃないの?…それをどうにかすれば、何とかなるかもね」
「え?…は、はい」
「………ま、頑張りな」
「えっ!浅葱さんがどうにかしてくれるんじゃないんですかっ!?」
「なんで僕が…」
「だって私にどうにか出来るわけないじゃないですかっ!」
「だからって僕だってどうにも出来ないよ!大体僕は見えるだけでただの…
「えっ!見えるっ!?」
「いい加減にしろお前らっ!!!」


またおじさんに怒鳴られてしまった。今度は謝罪とともに頭も下げて、何とか家に引っ込んでもらう。


「………あ、はは……」
「…………」
「あ、の、浅葱さ…
「………………わかった」


そう言って、浅葱さんはため息をついた。


「え…わかったって…」
「どうにか出来るかわからないけど…一応見てあげるよ」
「本当ですか?」
「言っておくけど、期待はするなよ」
「っ、はい!」


何十回も頷いた私に、浅葱さんは呆れた顔でため息をついた。でも、やっぱりユーレイがいるときに誰かが傍にいてくれると嬉しいじゃない!一人でいると泣き出しそうで…泣き出しそう…で…


「うぅ……ありがとうごさいます…!」
「わ、ちょっと泣くなっ!泣かれても困るっ!!」
「だっでぇ…」
「わかったから中入るよ!」


ぐい、と手を引かれて自分の家の中に入る…なかなか間抜けな姿だけど、今はなりふり構っていられない。私は浅葱さんの腕にしがみついて、電気も点けっ放しな廊下を進んだ。


「…暑苦しい」
「だってぇ…」
「……」


ふぅ、とまたため息。悪いなぁとは思うけど、今は引き下がってもらっちゃあ困るんですよっ!


「で?どこにいるの」
「え?…へ、部屋…」
「部屋なんて3つもあるだろ。どの部屋?」
「あ…寝室…?」
「だからどれ」


だめだ…怖くて頭が混乱してるっ…!浅葱さんにしがみついたまま、何とか一番近い部屋を指差した。浅葱さんはふうん、と呟くと、ユーレイなんて何のその、って感じでズカズカ進んでいく。私は震えながらただ引っ張られているだけ…情けないなぁ…。


浅葱さんは、まったく予告もなしにいきなりドアを開けた。その瞬間、信じられないほどの冷気に襲われる。…浅葱さんが、息をのむのがわかった。


「あー………」
「ああああ、浅葱さんっ…!!!あのあのっ…」


ばたん。


勢いよく扉がしまった。体に纏わりついてきた冷気がぱったり途絶える。


「あれはやばいね…相当」
「ででで、ですよねっ!」
「…どうしてああなったのか…原因がわかればいいんだけどね」


―――原因?


「…全然考えてなかった………」
「さっきも言ったんだから考えてよ…」
「おじさんのせいで完全に頭から消え去ってました…」
「あ、そう…」
「で、でも…!原因とか言ったって私なにも!」
「今日なにか外から持ち帰ったものは?」
「え…?えっと…授業道具と財布とバッグと…ゲーセンでとったぬいぐるみと…あと飲んでたときにもらったアクセサリーと…あ、あとは時計…」
「時計?」
「はい…懐中時計です。ずいぶん前に友達が修理に出していたもので…、昨日友達の家に、取りに来いって電話があったらしいんです。でも今日友達、バイトがあって取りにいけなかったから、かわりに私が…」
「…時計、ね」


ふん、と納得したのを見ると、もしかしたらその時計が今回の"これ"の原因なのかな。私が浅葱さんの顔をのぞきこむと、浅葱さんはなぜかとても驚いた。


「なっ…なに…」
「え?別に何も?なに考えてるのかなーって思ってただけで」
「だから、その時計が原因かもしれないって話だよっ」
「あ、やっぱり?ですよね…。でも、友達はそんな話全然言ってなかったけど…」
「でも、それくらいしか考えられないだろ」
「…はい、まぁ」
「……念のために聞いておくけど…飲んだときに貰ったアクセサリーっていうのは?」
「あ、それは大学の友達が、誕生日のときお金なかったから今買ってくれた物で…これですよ」


今耳につけているピアス。シルバーの星型に、小さなピンクのガラス?がついている。


「見たらわかると思いますけどすっごい安物です。まさか高くて古くてユーレイが取り付いちゃうような代物じゃないです」
「……そうみたいだね」


そういった浅葱さんは、ふ、と笑った。あ、何だか笑った顔ははじめて見るかもしれない。


ずっと思っていたけど、浅葱さんってとてもきれいな人だと思う。ただあまり笑わないし、普段着ているスーツもクールな印象の物が多いから、ちょっと恐く見えるけど。…でも、笑った顔は凄く綺麗で、可愛いと思う。


「とにかくその時計…部屋から放り出せば」
「だ、だめですよそんなの!友達が、両親の形見で、ずっとずっと昔から大切にされてきた相当古いものだっていってましたから!」
「……じゃあ、朝までこのままだね」
「そんなっ!ひどすぎます!」
「そんなこといっても…ほかにどうすることも出来ないよ。時計についてるのがわかったところで僕にはそれを除霊することなんて出来ないし…大体"あれ"、相当やばいの憑いてるよ」
「うぅうぅ…で、ですよね…冷気でわかりますっ…」
「だから、安眠したいんだったら朝になるまでこのまま待つか、あの時計をどっかに捨てるかしかない…違う?」
「ご、ごもっともでございます…」
「……まぁ、このまま頑張んな。とりあえずこっちが何もしなきゃ向こうも何もして来ないらしいから」
「えっ!ちょ、浅葱さん!見捨てるんですかっ!?」
「……あのね、僕は明日も仕事なの」
「そ、そうでしょうとも!明日は平日ですし!でも!でもですね!今浅葱さんにいなくなられたら私っ!」
「…それだけ元気なら何があっても平気だろ」
「そんなことありません――――!」


ぐいぃ、と浅葱さんの腕を引っ張って思い切りしがみついて、泣き叫ぶ。また隣のおじさんから苦情が来るかもしれないけど、そんなこと構ってられない。


「お願いします浅葱さん!朝まで話し相手になってください…!」
「やだ。明日寝不足で死ぬ」
「死にませんって!大丈夫ですって!浅葱さんならきっと浅葱さんパワーで生きていけますって!」
「そんなわけのわからないパワーもってないから!大体時計を捨てるっていう選択肢はないのか!」
「だってだって!捨てたらたたりとかあるかもですし、それに友達のですし…!」
「……お人好し」


ぴし、とおでこを叩かれた。いたた、とそこを抑えると同時に、なぜかくす、と笑われる。


「…帰る」
「えっ!」
「こんなところで過ごしてるより、安心出来るだろ」
「……え?」
「だーかーらー、ユーレイがいるこの家で一日明かすより、僕の家の方がのんびり出来るだろってこと!」
「と…言うことは…?」
「……仕方ないから付き合ってやる」
「え…」


えええぇぇええぇぇぇえぇ!


「ほほほ、本当ですか?」
「うん」
「う、うぅぅ、うそ、うそじゃないですかっ!?」
「嘘の方がいい?」
「そんな!滅相もないです!ありがとうございます!!」


ぎゅう、と浅葱さんに抱きついた。どうやら照れてるらしくて私のことを引き剥がそうとして来る。でも私は、安心したのと嬉しいのとで、浅葱さんから離れたくなかった。


あぁ、やっぱりいい人なんだな。


そんな風に思ったのは、内緒にしておこうと思った。