眠る姿がこれほど珍しい人間は、きっと他にはいないだろう。
夜、ワタリさんですら眠りについた時間に、私は一人モニターを見ていた。それは竜崎の人遣いが荒い話ではなくて、寝ようとした私がたまたま発見してしまったからだ。
モニター前のソファに座り、目をつぶっている竜崎を。
24時間監視するって言ったのに…。たぶん明日の朝になったら局長がビデオで確認するんだろうけど、ただでさえ疲れているのにそんなことさせたくない。私が少しでも局長の負担を軽くできるなら、私が少しくらい眠くてもいい。というか、みんなが寝てない時間にゆっくり眠れるならその方がいい(結局は自分の都合かよ!)。
大量のモニターに映るのはどれも真っ暗闇。当然だ、普通の人間は寝ている時間なのだから。こうやって考えると、今やっていることがどれだけすごいことなのか実感できる。
ちらりと、元凶・竜崎の顔を見た。それはもう安らかな顔で目を閉じている。きっと竜崎には大切な人がいないから、この気持ちがわからないんだ。もしわかってたらこんな安らかな顔で、無責任に寝られるわけがない。
「バーカ」
普段は面と向かってなんて絶対言えないから、(一応小声で)呟いてやった。こんなこといったって何の抵抗にもならないけど、こういうのは気持ちの問題だからいいんだ。再び竜崎からモニターに視線を戻した。
「……誰が馬鹿ですか」
「わっ」
振り返ると、眠っていたはずの竜崎が親指の爪を噛みながらこちらを見ていた。驚きとあせりで声が出ない私をよそにずいぶんと冷静な声色で、静かにもう一度、誰がですか、と尋ねた。
私は答えなかった。この場合は答えないことが答えになるだろうと思ったし、はっきり口に出すのはためらわれたから。
「…失礼ですね私よりは貴方の方が 馬鹿だと思いますが」
「どっちが失礼ですか…。っていうか寝たフリなんて卑怯です」
「人が寝ている間に悪口を言うのも卑怯だと思います」
「ホント、ああ言えばこう言うんですね」
「負けず嫌いなんです」
そういうところはぜひ負けてほしい。と思いながらも、言っても無駄だとも思ったのでそれ以上は何も言わなかった。
竜崎は私とのやり取りに飽きたのか、テーブルの前においてあった角砂糖のカップを手元に持ってきて、中の角砂糖を一個一個砕き始めた。そのまま食べるのはみたことがあるけど、わざわざ砕くなんてみたことがなくて、少し驚いた。
「…細かくしちゃったら食べづらくないですか?」
「放っておいてくださいただの ストレス解消です」
「……」
ストレス解消?
ちょっと今の言葉は聞き捨てならない。いくら私の心が広くたって、私が間違ってないのに腹が立ったなんて、どうしてそんなこといわれなきゃならないんだ。むしろ腹が立つのはこっちだ。
「……それって、私に怒ってますか?」
「他に誰がいますか?」
「怒りたいのはこっちなんですけど」
「人のことを馬鹿にしておいて怒るんですか? …なるほど、逆ギレというやつですね」
「っ、いい加減にしてくださいっ」
カッと頭に血が上った。ただひとことバカって言っただけなのに、それも悪意をこめていったわけでもないのに、どうしてそこまで言われなきゃならないのか。確かにバカって言った私も悪いけど、元はと言えば竜崎が悪いんじゃない。
「どうして竜崎にそこまで言われなきゃいけないんですか。こんな非人道的なことをする人に、一丁前にムカついたなんていえる権利あるんですか?」
「人権は総ての人間に等しく与えられていると 学校で教わったはずですが」
「、 そういう問題じゃないでしょ…!」
うまく頭が回転しなくて、それ以上の言葉が出てこなかった。じんわりと目の奥が熱くなっていく。…だめ、泣いちゃ。こういう男には涙は通用しないんだから。困ったら泣くだけの弱い女だと思われて終わりなんだから。
「…泣くんですか」
ほら、やっぱり。竜崎はこういうやつなんだ。血も涙もないひどい人間なんだ。こらえなきゃいけないと思っているのに、視界が涙でにじむ。…竜崎が血も涙もないからって、どうして私が泣かなきゃいけないの。どうして。
ポケットのハンカチで涙を拭って、せめてもの抵抗で竜崎をにらみつける。けど、にらみつけた竜崎はどうしてか悲しそうな顔をしていた。
「…どうしてそんな顔するんですか」
私の問いに目を伏せて、わかりません、と答える竜崎。その顔はいつもの無表情に戻っていた。
「ただ、貴方が泣くのを見ていたら…」
悲しくなりました。無感情に淡々と告げる。その言葉が信じられなくて竜崎を見つめていたら、普段は冷静なその瞳に、少しだけ戸惑いが浮かんでいた。
「…さっきも貴方に馬鹿と言われるのが とてもいやでした」
「それは、私が竜崎より馬鹿だから?」
「違います」
「じゃあ…なんですか?」
「…悲しくなったんだと 思います」
ひざを抱える彼の隣に座った。驚いたようにこちらを見てくる。…私は、さっきまでの悲しみがうそのように心が穏やかになっていた。
「それは、竜崎が私のことを好きでいてくれてるから…ですか?」
「す…き?」
「はい。 …うぬぼれに聞こえるかもしれないけど、きっと竜崎は…私のこと好きでいてくれてるんですね」
「好き…」
反復した竜崎は、さっき砕いた角砂糖を何個か口に含んだ後、ただ小さく、そうですね、とつぶやいた。
「あの…バカとか言ってごめんなさい。あれは軽い気持ちで言ったことで…その、本気じゃないので」
「いえもう気にしないでください。それより私の方こそ 泣かせて申し訳ありません」
「……確かにイヤミの嵐はすごくつらかったですけど。でも、もういいです」
私の言葉に、竜崎は緩やかな笑顔を見せた。私もつられて笑いが漏れる。ごめんね、ともう一度つぶやくと、小さく首を振る。竜崎の手が伸びてきて、私の左肩に回った。
「わっ、竜崎…?」
「愛してます さん」
「あ…!? え!?」
「さっき自分で言いましたよ私は 貴方が好きだと」
「それはそういう意味じゃ…」
「いやですか?」
真っ黒な瞳が、じっとこちらを射抜いた。無感情で、私を追い詰める瞳。隈のせいなんだろうか、私はこの瞳を見ると、どうしても自分が折れなければいけないと思ってしまう。
「いやじゃ…ない、です」
「ならしばらく このままでいさせてください。 …もう一眠りしたいので」
そういって私を引き寄せる。肩に少し重さがかかって、手が肩からすべり、私の右手に重なった。
少しだけ首を傾けてみた竜崎の顔は、とても穏やかで、どこかあどけない。そのうち寝息が聞こえ始めて私はモニター画面を見つめながら、できるだけ小さくつぶやいた。
「おやすみなさい、L」
2008.03.07 friday From aki mikami.