彼がどうして私なんかに構うのか、まったくわからない。だって彼はとても真面目で、ともすれば優等生で、私みたいなのとは全然違う。
…きっと理由なんて至極単純なことだろう。そう、私たちは…
「幼馴染みだからね」
背後からかけられた声に、体が強張った。
「ゆ…勇人!」
「ちっちゃい頃からのお兄さん役としては、放っておけないわけですよ」
「…なにがお兄さん役よっ!」
「冷たいなぁ。昔はよくゆーくんゆーくん、って言いながらオレの後ろをついて回ってたのに」
「何年前の話っ?そんな昔のこと、もう忘れちゃいましたっ」
「はいはい。…ほらぁ、髪の毛茶色いよー、髪の毛ー」
そう言いながら、勇人は私の頭をガジガジかいた。隣りでちょうど勇人の話をしていた友達は、聞かれてなかったかとドキドキしてるに違いない。具体的にどんな感じかって、そりゃあもちろん。幼馴染みなら一度は言われるであろうこと。
『栄口くんとって、付き合ってんの?』
付き合ってません、断じて!なんで私と勇人が付き合うの!大体私たちってば学校一釣り合わないでしょ。
髪の毛茶色くて、化粧だってしてて、成績イマイチで、部活なんてまったく興味のない問題児驀進の私と
中学から野球続けてて、真面目で、私よりずっと頭よくて、問題なんて起こしたこともない勇人。
ほら見て。
正反対。釣り合わない。
幼馴染みとしてだから、今までこうやって続いてきたんだよ。もし私たちが付き合ってたら、きっと半年ももたずにダメになるに決まってる。確信出来る。
「はもう少し大人にならないとね」
「なによそれ」
「オレの親心がわかるくらい成長しなさいってこと」
「………………やだ」
大人になる?冗談じゃない。
大人になったら…勇人が私を気にかける理由が分かってしまったら、私はきっと生きていくのもつらくなる。
幼馴染みだから。そんな風に分かった風を装って、でも本当は、少しも分かってない。いつまでも、ありえない期待を抱き続けてる。
勇人が昔のままでいてくれてるなんて、そんな馬鹿な期待。
「ー?」
「………」
「ー。どーかしたー?」
「…なんでもないけど」
「そう?なんか心ここにあらずだったから」
「大丈夫」
「本当に?」
そう言いながら、勇人は私の額にふわりと手をそえた。…困る、そんなことされちゃ。
「っ…」
「熱はないみたいだね」
「ばかっ…!」
「……?」
あぁ、ほんとにもう。どうして私がこんな風になんなくちゃいけないの。どうして私ばっかり追いかけなきゃいけないの。だって私、気がついたら勇人の背中しか見てなかった。勇人はいつだって私の前にいた。
…私は隣りを、歩きたいのに。
私たちの雰囲気を悟ったのか、友達は気まずそうに教室に戻っていった。私たちの横をすり抜けるみんなが、好奇の視線を向けて来る。
「うぉ、栄口やっとみつけ………
廊下の向こうから現れた巣山くんが、まずいものを見たように顔をしかめた。
「お…おい栄口、次移動…」
「巣山ぁ。ごめん、先いっててくれる?」
「え…い、いいけど…」
「ありがと。こいつどうにかしたらいくから」
「ど、どうにかって…おい!」
巣山くんの言葉を全部聞き終わる前に、勇人は私の手をひいて走り出した。なんで急に走るのよ。言葉は浮かんで来るのに、口に出す元気がない。こんなに乱暴で強引でも、掴んでる手の力は振りほどけそうなほど優しくて、…勇人らしくて、なんだか笑えた。
勇人の足は、屋上に向かっていた。階段を昇る速度が遅くなるたび、私も勇人も
、冷静になっていく気がする。
屋上への扉が見えたとき、向こう側からドアが開くのが見えた。隙間から光が差し込んで来る。橙に染まるにはまだまだ早い、真っ白な光。
「…あれ、栄口?」
ドアを開けて出て来たのは、9組の3人だった。
「どうしたんだよ。もう授業始まんだろ」
「そーそー!栄口ぃ、サボリはダメなんだぞー!」
「あー、丁度いいとこにいた。ちょっとさ、巣山にサボるって伝えてくんない?」
勇人は、怪訝な顔をする泉もおちゃらける田島も無視してわけの分からないことを言った。口を開きかけた三橋の横をすり抜けて、屋上の扉をくぐる。
「おい、ちょっと待てよ。なんかあったのか?」
「そ。とっても大変なことになってんの。だから伝言よろしく」
そう言い終わると同時に、勇人は扉をしめた。恋バナならオレもまぜろ!と叫ぶ田島の声が聞こえる。
「………別に話なんてなんにもないと思うんだけど」
「あるよ」
「…なに、なんか気に食わなかった?」
「うん」
にこ、と笑う勇人。なんでそんなにこにこしてんのよ、ばか。って言いたいけど、この後の勇人の言葉の方が聞きたくて、黙ってうつむいていた。
…勇人はいつだって、私を泣かせるようなことは言わない。
「…なーんかさぁ。こうして向かい合って話すのも、久しぶりな気がするよね」
「そう?毎日話してるじゃない」
「そういうことじゃなくてさ。なんかこう…腹割って、って言うかー…」
「…私腹わってないけど」
「うん、実はオレもまだわってない」
「…なにそれ」
意味不明。だけど、なんだかおかしくて笑ってしまう。そんな私に、勇人も笑ってくれた。
「それそれ。はその顔が一番いいよ」
「え…?」
「15年間見て来たオレが言うんだから、間違いないよ」
「……」
どうしてそんなこと言うんだろう。私のことなんでもわかってるみたいに。全部わかるわけないじゃん。馬鹿じゃない?
でも、勇人が私のことわかってくれてるって、そう思うと…嬉しくて。
あぁ、やっぱり馬鹿は、私だ。
「…が何でオレをさけてんのか、わかんないけどさ」
ぽつり、と、こぼすように話しはじめる。大事な話をするときの、勇人の癖。…昔からの、癖だ。
「オレ、今までとずっと一緒にいたわけ。で、これからも一緒にいたいわけ。…だから、なんかあるなら言ってほしいんだよね」
じ、っとこっちを見つめて、照れくさそうにへへ、って笑って、腹わっちゃった、何て言って…ホントは私からの返事、死ぬほど怖いくせに…強がって。
そうだ、私、ずっと知ってた。勇人が私の前を歩いてたって、勇人はいつも私に、いろんな顔を見せてくれてた。…勇人はちゃんと、こっちを振り向いてくれてたんだ。
それなのに、私は。
「…生徒指導、ウザイ」
「え"」
「髪茶色いだの化粧濃いだの頭悪いだの!」
「で、でもほらー、後から先生にうるさく言われるのはだしー…」
「そんなの勇人に言われるよりずっとマシなの!大体私服高なんだから、多少髪染めててもいいでしょ!」
「とかいって、中学時代からその色―――」
勇人の言葉が、そこで途切れた。否。私がとぎれさせた。無理矢理勇人の口を、右手で塞いでやったから。
もう勇人の鬱陶しい生徒指導なんて聞かない。だって、そのたびに私は勇人の下にいるみたいで、すごく嫌だもん。
「ね、勇人。授業サボるんでしょ?ならさ、ずっとここにいようよ」
「えー?ホントにサボるのー?」
「何よ根性なし。たまには私に付き合ってよね?」
たぶん本気で嫌がってる勇人を無視して、屋上の柵によりかかる。すると、あんなに嫌な顔をしていた勇人も自然と隣に並んでくれる。
うん、もう、大丈夫。
優等生と問題児でも。真面目と馬鹿でも。
私と勇人、ちゃんと上手くやってける。ね、勇人。
隣を見たら、うん、って頷いてくれた気がした。
2007.08.05 sunday From aki mikami.