大きな楡の木の下に、女が一人、もたれていた。
殺生丸はその女に見覚えがある気がした。…だが、いくら記憶をたどっても女の姿は出てこない。
「……こんにちは」
女は顔を上げると、わずかに微笑んだ。白い肌に、浅葱色の髪がよく映える。
「…何者だ、貴様」
警戒心をあらわにする殺生丸。だが、女はそれに対して臆することもなく、また笑みを絶やさず、ゆっくりと立ち上がった。
「私、あなたを待ってたの」
ふわりと広がるような声をしている。その声も聞き覚えがある気がしたが、やはり記憶には残っていなかった。
「この私を…知っているのか」
「知ってるわ。…ずっと見てたもの」
くるり、とまわって、薄暗い空へと手を伸ばす。そのまま溶け込んでしまいそうな、不安定な動作に見えた。
「ねぇ殺生丸。あなたは私を知ってる?」
「……知らぬ」
「そう、残念ね。でも、私はあなたを知ってるわ」
くすくすと笑い、今度は殺生丸へと手を伸ばす。その手が頬に触れるか触れないかのところでぴたりととまると、妖艶な笑顔を彼に向けた。いいわよね、と目で合図する。殺生丸は答えないが、構わずに手を伸ばす。その手の冷たさに、一瞬殺生丸が目を細めた。…その温度もまた、覚えがある気がする。
「…ねぇ、あなたはね、…あなただけは、いつも私を避けないでいてくれたの」
女の表情が、わずかに憂いを帯びた。その表情がわずかに美しく見えるのは、暗い空のせいだけではない。
「だから、あなたが好きなの」
ふわりと、彼の肩に手をついた。そして、わずかに唇が触れ合う。
その瞬間、青白く光り始める女の体。その光は空へとのぼっていく。…殺生丸は自らの腕で彼女を包もうとしたが、そのときには彼女はすっかり消えていた。
…そして、空から大粒の雨が降り始める。
―――そうか…だから。
暗くよどんだ空を見上げて、殺生丸は目を閉じた。
…唇に、冷たい唇が触れた気がした。
アトガキ
web拍手ありがとうございます。もう雨季も終わってまして、とても季節外れなのは百も承知ですが、雨をテーマにした小説でございます。なんとなく儚げなかんじで終わりましたが、別にバッドエンドというわけではありません。だって、雨はいつだって振ってきますからね。死ぬわけじゃありません。
こんな小説をまたちょくちょく書いていきたいと思いますんで、よろしくお願いします。
それでは失礼します。拍手ありがとうございました!
2007.07.20 friday From aki mikami.