りんが人里で暮らすようになって、しばらくたった。と邪見は相変わらず、殺生丸とともに旅を続けている。…といっても、今までのように当てがある旅ではないので、思いつくままに各地を回る、放浪の旅だ。


殺生丸の気の向くままに各地を回る。行った先で、りんに土産を買って、時々りんの元に届けに行く。といっても、土産を選ぶのはいつもの役割だ。…というか、当然土産となるようなものは人里にあるわけなので、選ぶのも自然とがするしかない。殺生丸と邪見は里の外でお留守番だ。


そんなわけで、一人で人里に降りてきただが、非常に珍しい人を見つけて、思わず声をかけた。


「弥勒さま…?」


なぜこんな遠いところまで。子供がまだ小さいから、子育ても大変であろうに。の呼びかけに振り向いた弥勒は、少し驚いた顔をしていた。


さま…なぜここに?」
「私は、なんとなく立ち寄ったので、いつも通りりんちゃんへのお土産選びに…弥勒さまこそどうしたんですか?」
「ああ…仕事ですよ…かわいい子供たちの分、しっかり働かなくてはいけませんからね」


そういってうっすらと笑う弥勒だが、僅かに苦悶の色が浮かんでいる気がして、は目を細めた。…確かに、子供たちが多い分仕事が大変なのはわかる。だが、わざわざこんな遠くの里までくる必要はないはずだし、それに、には弥勒のこの顔に見覚えがあった。…珊瑚と何かがあった時の顔だ。


「…弥勒さま、さてはまた浮気ですか」
「え"」
「気まずくなって家から逃げてきたんですか?」
「違いますっ」


焦って否定するほど、逆に怪しく見えてくるから不思議なものだ。じと、と弥勒を見やる。弥勒は小さくため息をつくと、困ったような顔で言った。


「実は、子供のことで珊瑚と少し言い合いをしてしまいましてね…きつく言いすぎてしまったせいか、沈んだ様子でしたので、…ご機嫌取りというやつです」
「あらまあ」


聞きながら、は珍しいなと思った。弥勒と珊瑚のもめ事といえば、女にだらしない弥勒が珊瑚を怒らせるのが常だったが、今回はどうやら弥勒が珊瑚を怒ったようだ。それはきっと珊瑚もびっくりしているだろうなあと思いながらも、それ以上詳しい事情を聞くのはやめておいた。


「仲直り、出来るといいですね」
「ええ」


頭をかきながら答える弥勒。はぼんやりと、夫婦って大変だなぁ、などと考えていた。


「…ところで、そちらはどうなんです?」


弥勒の問いの意味が分からなくて、は彼の顔を凝視した。


「殺生丸と、その後どうなんです?」
「その後、といいますと」
「子はもうけないのですか」
「子!?」
「おや?夫婦であれば当然でしょう」


弥勒は何の悪気もないように首をかしげている。が、としては最近の小さな悩みがまさにそれなので、心のうちでも読まれたかと驚いて動揺してしまった。


殺生丸とが子をもうけるとなれば、生まれてくる子は半妖。犬夜叉を極端に嫌っている殺生丸が、果たしてそれをよしとするのか、には自信がなかった。そしてそれを殺生丸本人に聞く勇気も持てず、結局は頭の中で悶々と考えを巡らせている、というわけだ。


そもそも、殺生丸に愛されているかどうかも、自信をもって肯定できないでいるのだ。殺生丸は軽々しく愛だの好きだのと口に出す性格ではない。彼がそばに置いている時点で彼にとって特別な存在であることは間違いないのだが、も女として、たまには愛情の言葉をかけてほしいと思うこともある。


そういうわけで、が弥勒に何の返事もできないでいると、弥勒は何を感じ取ったのか、にやりと意地の悪い顔で笑った。これは何やらよからぬことを考えているなと、は思わず身構える。


「試してみますか?」
「え…な、なにを…?」
さま、今夜私の宿にいらっしゃいますか?」
「なっ…!」


何ばかなことを!と、は言おうとしたが、言い終わる前に弥勒はのそばから素早く飛びのいていた。一瞬何が起きたのかわからなかったが、先ほどまで弥勒が立っていた場所が、雷鳴のような斬撃が通り抜け、地面をえぐり、当たりの木々をなぎ倒していく。


「私を殺す気ですか、殺生丸!」


斬撃が放たれた方へ弥勒が叫ぶと、木の合間から殺生丸が顔を出した。ちなみに、里の者はみな恐れおののいている。


試すってこういうことか、とは思いながら、青筋を立てている殺生丸に顔をひきつらせた。これはまずい、このままだと、里ごと弥勒を殺してしまいかねない。どうにかしなければ、と考えを巡らせる。


「生かすつもりなどない」
「これは本気で殺すつもりですね…ではさま、あとは任せました!」
「えっ、ちょっと弥勒様!?」


捨て台詞を残して、弥勒は全力で走り出す。遠巻きに見ている里人たちに、貴方がたも家に帰っていた方がいいですよ、と声をかけながら、村の外に全力で逃げていった。殺生丸はそんな弥勒の後ろ姿に再び爆砕牙を振り下ろそうとしていたが、が慌てて間に入り、殺生丸を制止した。そうこうしている間に弥勒の姿は見えなくなり、里人たちはみな自分の家に帰っていったため、辺りはすっかり静寂に包まれる。


なんだか気まずい。そう思いながら、はそっと殺生丸を伺い見た。その顔はいまだ怒気をはらみ、弥勒が去っていった方向に向けられている。


「あの、殺生丸…?」


恐る恐る声をかけると、殺生丸は鋭い双眸のままを振り返った。その眼で射抜かれると、はなにも悪いことをしていないのに、怒られるのではないかと身構えてしまう。


だが殺生丸はそんなに何かを言うわけでもなく、爆砕牙を鞘に納めた。しかしその表情はいまだに機嫌のいいものとは言えず、あまりの気まずさには思わず殺生丸から視線をそらしてしまう。


殺生丸にはそれが気に食わなかったらしい。足早にに歩み寄ると、少し乱暴にあごを持ち上げて、無理やりと視線を合わせる。の中の気まずさと恐怖は頂点に達していたが、視線をそらすとかえって怒らせると思ったので、そのまま殺生丸と見つめあう。


「また余計なことを考えていたらしいな」


その言葉で、は察した。弥勒との会話はすべて聞かれていたらしい。そして、の心も読まれているらしい。であればこそ、は殺生丸の言葉が気に食わなかった。愛する人との子をもうけたいと思うのは、にとっては自然な感情で、だからこそ妖怪と人間、そして半妖について深く考えることは当然のことだ。それを余計なことだと切り捨てられるのは、納得がいかなかった。


「余計なことじゃ、ないよ」


気づいたらそう返していた。


「私、殺生丸のこと大好きだから、やっぱり子はほしいなって思うし、でも殺生丸は半妖が好きじゃないから、殺生丸が望まないならそれは仕方ないことだと思うし、私のわがままだけで決められることじゃないから、だから…」
「…それが余計なことだといっている」
「殺生丸の気持ちも大切にしたいって思っているのに、それが余計なことなの?」
「そうだ」
「なんで、どうして?」


突き放されたような気がして、涙が出そうになった。殺生丸が小さくため息をついて、それがまたを切ない気持ちにさせる。言葉はなくても思いは通じ合っていると思っていたのに、それは自分の勘違いだったのかと思うと、唇を噛みしめたい気持ちになる。言葉にすると泣いてしまいそうだったので、代わりにじっと殺生丸の目を見つめていると、やがて殺生丸はすっとから視線を外した。


「…わからぬか」


殺生丸にしては珍しく、はっきりしない言葉。その顔に、は見覚えがあった。


それは、どこか照れたような、以前にも見た、気持ちをごまかすような顔。


その表情で、はようやく察した。どうやら殺生丸も、と同じ気持ちらしいこと。だからの悩みを「余計なこと」だと言ったのだということ。


「…わかっちゃった」


そう言いながら、殺生丸の胸板に額を預ける。そうしたら今度は、殺生丸の両の腕が優しくを包み込む。は自分の腕を殺生丸の背中に回すと、殺生丸の体温がじんわりと伝わってくる。


私、とても幸せなんだな。
そんなことを思いながら、その温かさを味わうように、静かに目を閉じた。









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2020.11.20 friday From aki mikami.