11本の薔薇

ようやく夜勤が終わって病院から出たところで、着信があった。ディスプレイには「明智健悟」の文字。あとで連絡しようとは思っていたけれど、向こうから連絡をくれるとは。画面を操作して通話を開始した。


「はい、もしもし」
『仕事、終わりましたか』
「今ちょうど終わったところですよ。何かありました?」


一応お付き合いはしているけれど、明智さんから電話が来ることは、実は結構珍しい。だって、今は電話以外の通信手段なんていくらでもあるし、電話で話さなければいけないほどの緊急の用事なんてそうそうない。明智さんも私も不規則な仕事だし、私はシフト制とはいえ予定外の勤務や残業だってしょっちゅうだ。今日だって担当患者さんのカルテを記入していたらこんな時間になってしまった。本当、SOAPって苦手だ。


『そうですね、ちょっと用がありまして。…疲れているところすみませんが、これから会えますか?』


明智さんがそんなことを言うなんて。驚いたけれど、恋人からの申し出を断る理由なんてない。迷うことなく「いいですよ」と答えた。


「ああ、だけど、ちょっと待ってもらえますか」


自分の今の状態を思い出して、慌ててそう訂正した。


今の私は夜勤終わりで、荷物も大量だし、化粧も崩れてしまっているし、せっかくだからシャワーを浴びて汗を流したい。それに何より、せっかくのバレンタインなのにプレゼントを家に置いてきてしまっている。とにかく一度家に帰って、いろいろ準備をしてから会いに行きたい。自宅に向かう足が自然と早くなった。ちなみに病院から家までは徒歩数分の距離なので、ここまで歩いて通っている。


「家に帰って、身支度したいので…終わったら、すぐ連絡しますから」


そこまで言ったところで、自分の視線の先に青い車がハザードを焚いて止まっていることに気づいた。見間違えるはずがない。こんな病院にあんな高級車で来る患者さんなんているはずない。近づいていくと、運転席から人が降りてくる。


「お疲れさま、秋」
「明智さん…」


どうしているの?いつから待ってるの?聞きたいことはいくつもあったけれど、そのどれもが喉の奥に消えていった。それは明智さんが、バラの花束を持って立っていたからだ。


「これ、私からのプレゼント」
「…え?」
「今日はバレンタインだから。それに秋、前に花束をもらってみたいって言っていただろう」


そう言って、明智さんは花束を私に差し出した。…確かに言った。だって花束なんて一度ももらったことないし、貰う機会なんてそうそうないから、貰ってみたいなって、本当に軽い気持ちで。だけどまさか、本当にくれるなんて。しかも今日はバレンタインで、本当なら私が明智さんに何かあげなきゃいけない日なのに。


「ありがとう、ございます…」


ちょっと照れるけれど、うれしい。バラの花束ってところが、キザっぽくて明智さんらしい。思わずふふっと笑いが漏れた。


「さて、それじゃあ送っていくよ。乗って」
「あ、はい」


明智さんの言葉に促されて、助手席に乗り込む。荷物は後部座席に、花束は膝の上に抱えることにした。送ってもらうといっても本当に数分なんだけど、せっかくだから好意に甘えることにする。…というか、このまま明智さんが帰ってしまうのは、寂しいなって思ってしまったから。


「ねえ、明智さん」
「なんですか」
「この後、うち、寄ってきますよね」


私の言葉に、明智さんは発進しようとしていたのをやめて、ハザードを焚きなおした。


「…いいんですか?夜勤の後だから休んだ方が…」
「大丈夫です。明智さんのおかげで元気出ましたから。…それに、私からもプレゼント、あるんですよ」
「ほう。それは、楽しみですね」


そういって薄く笑うと、ハザードを消して、静かに車を発進させる。膝の上の花束に視線を落として、かぐわしいバラの香りを、肺いっぱいに吸い込んだ。



バレンタインにあげようと思って書いていたやつです…再利用ですみません。拍手ありがとうございました!



2021.04.16 friday From aki mikami.