ファン


襖が閉められたと同時に、土方は小さく息をついた。


これまで何度も死線を潜り抜けてきた土方でも、のあの視線には肝が冷えた。それは彼女が自分で言う通り、の視線が「女」でも、「人」ですらなく、「獣」そのものだったからだ。


だが、だからこそ土方は思う。あんなものを認めてはいけないと。女が「女」を捨てて「獣」として生きていかなければならないなど、認めてはいけないことだと。局長室までの道をたどりながら、懐から携帯灰皿を取り出して、短くなった煙草を捨てた。


の家といえば、非常に武の才に長けた血筋であり、攘夷戦争時代に当時の将軍・徳川定定に仕え武勲をあげ、現在の官僚の地位までのし上がったと、土方は聞き及んでいた。定定なき今となってはそう強い影響力はないものと思われるが、だからこそ親類を真選組にもぐりこませ、ある程度の発言力を確保したいといったところだろう、と土方は予測している。


いってみればは、家のための「傀儡」。


彼女自身がそれをどこまで知り、どこまで受け入れているかは不明だが、胸糞悪い話だ、と土方は思う。女を道具として扱っておいてなにが「男女雇用機会均等法」だと、皮肉の一つも言ってやりたくなった。


しかし、彼女も決して小さな子供ではない。の中ですべてわかった上で、家のために傀儡となる道を選んでいるのであれば、自分からは何も言えることはないだろうと、土方は結論付けた。


そんなことを考えている間に局長室にたどり着く。一声かけて襖を開けると、近藤が腕を組んで座り、静かに目を瞑っていた。その表情は近藤にしては珍しく深刻な様子で、土方はそんな近藤を軽く一瞥した後、近藤の隣に腰を下ろす。二人の向かいには、着替え終わったが座ることになるだろう。


「…一体どうやって生きてきたら、ああいう目が出来るようになるんだろうな」


近藤が、わずかに目を開けて、正面を見つめたままそうこぼした。誰の事、とは言わなかったが、それは当然の事に相違ない。土方はそんな近藤を振り返ることなく、懐から煙草を取り出して火をつけた。


「さァな。俺にもわからねェよ。…わかりたくもねェ」


そういうと、煙をすぅと肺に取り込んで、細く長く吐き出した。近藤は土方の吐いた煙に一度目をやって、また静かに正面を向き直って、目を瞑る。


「彼女のような人間が増えねェよう、俺たちが江戸を守っていかなければな」


近藤の言葉は、心からや江戸に住まう人々の事を考えての言葉だったが、土方は近藤の言葉に何も答えることができなかった。近藤の言うことももちろんだと思う。だが土方には、が「自分から」女を捨てているように思えた。そうであれば、真選組がいくら江戸を守ろうと、結果は変わらないのではないか、とも思ったからだ。


しばらくの沈黙の後、とんとん、と控えめに襖をたたく音がした。近藤の「入れ」という声のあと、静かに襖をあける秋。その仕草は淑やかで、強く「女」を感じさせた。


はその場で膝をついて、手を膝の前で軽く合わせて近藤に向けて深く一礼した。物静かながらも凛とした声で「失礼いたします」と言うと、言われた近藤は少し困った顔で頭を掻いた。


「そんなにかしこまらなくていい。上官とはいえ俺たちは君のような上品な人間じゃない」
「…しかし、何か粗相があれば私が父に叱られてしまいます」
「粗相なんて思わんでくれ。俺たちはそういう堅苦しいのがどうも苦手でな。こちらの方がかえって粗相をしてしまう。それに、今日から君も真選組の一員になるわけだからな」
「…はい、わかりました」


そういうと、先ほどより幾分か緩んだ顔で近藤を見つめる。近藤は満足そうに笑ったあと、自分の前の席に座るようを促した。は促されるまま近藤の正面に座る。


「改めて、俺が真選組局長、近藤勲だ。隣が…」
「副長、土方十四郎だ」
「よろしく頼む」


近藤の言葉に、は再び指をそろえて深く頭を下げた。


「本日よりお世話になります、と申します。ご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした」
「いや、むしろこちらこそすまなかった。女の子が来るからって浮かれるなと言っておいたんだがな…」


困ったようにそういうと、軽く頭をかく近藤。その仕草には近藤らしい人の良さが滲み出ていて、言われたは思わず笑ってしまいながら首を緩く振った。


「いえ、私がきちんとお断りすればよかったんです。浮かれていたのは私の方です。真選組に入隊することが出来たので…」
「そう言ってもらえるのはありがたいが、君のようなお嬢さんがウチに入隊して浮かれていたというのは…」
「…私、結成当時から真選組の活躍を応援しておりました。言ってみればファンです」


がそういうと、近藤はあからさまに嬉しそうな顔をして、頭の後ろをガシガシとかき始める。だが、今の話を聞いていた土方は、とても近藤のように喜ぶことは出来なかった。むしろ胡散臭い話だ、と思う。


真選組は、主に近藤のストーカーや沖田のバズーカなどに起因する悪評は腐るほどあるが、いい噂などほとんどない。結成当初など、各地からチンピラまがいの男たちを集めただけのただの雑兵集団で、煙たがられこそすれ、好意的な目で見られたことなどほとんどない。それこそ寺門通の一日局長など的外れなイメージアップ施策を行ったりするくらい、市民からの評判は悪いはずだ。…なのに、その真選組のファンだと言われて、素直に信用できるだろうか。


やはりは、家が真選組や警察庁内での影響力を確保するために送り込まれた「傀儡」。であれば、心を許すわけにはいかないだろう。土方はそこまで考えると、楽しげに笑いあっている二人を尻目に、懐から煙草を取り出して火をつけた。


煙を肺に取り込んで、細く長く吐き出す。人のいい近藤は、人当たりのいいのことを疑わないだろう。であれば、他の人間で警戒するしかない。丁度一番隊所属になるのなら、沖田を監視役にしよう。そう結論づけたところで、土方は横目でを盗み見た。


近藤の話に、口元に手を当てて笑っている。その笑顔は年頃の女そのもので、とても沖田と渡り合えるような剣の使い手には見えなかった。笑い方も仕草も、部屋に入ってきた時の所作や頭を下げるときの指の一本まで、気品が感じられる。それらは彼女を紛れもない「女」として見せているというのに、は自分のことを「女を捨てている」といった。それが土方には理解できなかった。


から視線を外して、また煙を深く肺に取り込み、ゆっくりと吐き出す。土方にとって、の人間的バックグラウンドなどどうでもいいことだ。そう思っていても、一度考え出すとなかなかその考えを止めることは出来なかった。