対話


人数分の豪華な食事を前には内心喜んでいたものの、殺生丸が面白くなさそうに顔を顰めるので、箸に伸びそうになっていた手を止めて小さく息を吐いた。殺生丸が人間の食べ物を食べないのは分かっていたことなので、先に断っておけばよかったものを、今の今まですっかり失念していて、殺生丸の分の食事まで用意されてしまったのだ。とんでも無く失礼な事をしてしまったと反省していると、の向かいに座る曖は何かを察したように薄く笑った。


「もしかして、殺生丸さんは食べないのかしら」
「…はい」


気にして肩を縮こまらせるに、曖はふふっと声を出して笑った後、隣に座っている刹那をチラリと見やった。


「気にしないで。刹那も最初はそうだったの。人間の食い物は口に合わん、とか言って」
「そ、そうなの…?」


どこかで聞いた台詞だな、と思いながらチラと部屋の隅に座る殺生丸を見やると、心底嫌そうな顔をしてどこでもない方向を見つめていた。どうやら会話の内容は聴こえていたようだ。そんな殺生丸には思わずふふっと笑うと、殺生丸の睨むような視線と目があって、慌てて顔を背けた。


「さて、食べましょう。お腹も空いているでしょう」
「あ…うん。じゃあ、頂きます」


は言いながら目の前の豪華な料理へと箸を伸ばす。普段の生活ではなかなか口にすることができない豪華な食事。それはこの夢見師の村が、かなり豊かな生活をしていることの証明だった。


「…美味しい!」


言いながら、完全に顔が緩んでしまう。普段は川から採ってきた魚や山で詰んだ山菜やキノコなどを食べているので、きちんと調理された料理、とりわけ米を食べるのは本当に久しぶりだった。加えてこれだけ豪華な食事となると、殺生丸と出会う前もどちらかと言うと貧しい暮らしをしていたにとってはほとんど初めての経験だった。


りんや邪見にも食べさせてあげたいな。そんなことを思いながら、ものすごい勢いで口の中に食事を運んでいく。その食べっぷりの良さに、曖は思わず笑ってしまった。


「よかった、お口にあったみたいね」
「お前が作ったんじゃないからな」


曖の言葉に、静かに食事をしていた刹那がぽつりと呟く。その言葉に曖は手に持っていた箸を叩きつけるように置いて刹那の方を振り返った。


「うるさいわね、殺那」
「本当のことだろう」


子供のように怒る曖に、淡々と返事をしながらもどこか楽しそうに見える殺那。


はそんな二人を見ながら、密かに考えていた。


曖と刹那は、とても仲が良さそうに見える。の予想している通り恋仲なのかどうかは本人たちに聞いてみないとわからないが、曖の言う通り、曖がの前世の姿であれば、今目の前にいるのは自分と恋仲の男ということになる。そう考え始めると、自然と落ち着かない気持ちになって、は食事をするふりをして二人のやりとりをじっと観察していた。


「もう、殺那…今日機嫌悪いでしょう」
「別に」


むっと唇を尖らせる曖と、ふいとそっぽを向いて食事を再開する刹那。そのやりとりは、気心が知れたもの同士のもののように感じる。相手の機嫌が見ただけでわかると言うことは、少なくともかなり相手のことを深く知っていると言うことだ。刹那はそれこそ殺生丸と同じで、簡単に他人に心を許す性格ではなさそうなので、あんなふうに憎まれ口を叩いていても、曖に対してかなり心を許していることはわかる。


考えれば考えるほど、二人は特別な仲であるように思えて、そう思えば思うほど、自分と殺生丸の関係を意識してしまうだった。


そんなとき、襖の向こうから人の気配がしたと思ったら、「失礼します」と声がかかった。ゆっくりと襖を開けて中に入ってきたのは、今日何度か会話をしたあの妙に威圧的な女。両手にお盆を持って入ってきて、そのお盆には猪口と銚子が四つずつ乗せられていた。


「お酒をお持ちいたしました」
「ありがとうございます、叔母さん」


曖が丁寧に頭を下げてお盆を受け取る。叔母さんと言われた女性は、上品な所作で襖の方に戻っていくと、最後に刹那の方をひと睨みして、静かに部屋から出て行った。


気配が遠ざかっていくのを待ってから、は曖の方に向き直って、少し声を潜めて聞いた。


「叔母さん…なの?」
「そう、叔母なの。両親のいない私を、ずっと世話してくれて…とてもお世話になってるの」


「ちょっと怖いけどね」と小声で漏らす曖に、は困った顔で曖昧に笑い返した。曖の「怖い」という評価に心当たりはあるものの、お世話になっていると言っている手前、口に出してしまうのは憚られたからだ。


そんなの気持ちを察したかどうかは不明だが、曖はそれ以上叔母の話を続けようとはせず、手にしたお盆を床に置いて、の方に猪口と銚子を差し出した。


「とりあえず、飲みましょ」
「お酒…私、あんまり強くないけど…」


が困った顔で猪口と銚子を受け取ろうとすると、その直前で頭上から手が伸びてきて、そのまま猪口も銚子も取り上げられてしまった。この状況で、の後ろからそんなことをできる人物は一人しかいない。が驚いた顔で後ろを振り返ると、そこには涼しい顔で猪口に酒を注ぐ殺生丸が立っていた。


「飲まぬのなら、私に寄越せ」


そう言って鋭い目でを見下ろす殺生丸。がむっと口を尖らせていると、後ろの方でも曖が「刹那!」と怒っている声が聞こえてきた。チラリと視線をやると、猪口を口に運ぶ刹那が見えたので、もしかしたら同じようなやりとりがあったのかもしれないな、と思いつつ、殺生丸の手から猪口を奪い取ろうと手を伸ばす。


「飲まないとは言っていないでしょ」
「酒の味もわからん小娘が、よく言う」
「何よそれ。大体、人間の食べものは口に合わないって言ってたくせに、お酒は飲むわけ?」
「酒は別だ」


そう言って、の隣に腰を下ろす。は猪口を奪い返す気も無くなってしまって、仕方なく曖の足元にあった盆の上から猪口と銚子を一つずつ持って、自分の食事の前に座り直した。


片腕がない殺生丸には酒を注ぐのも大変だろう、そう思って殺生丸の猪口に酒を注いでいると、ふと思いついたことがあった。もしかして酒は、妖怪にとって特別なものなのだろうかと。殺生丸が酒好きというのは流石に初耳ではあったが、酒を好む妖怪や酒にまつわる逸話を持つ妖怪の話は聞いたことがあった。


そんな取り止めのないことを考えていると、ふと視線を感じたのでそちらを振り返る。そこには殺生丸が、自分の銚子をに向けた傾けた状態で座っていて、は思わず殺生丸の顔と向けられた銚子を交互に見やった。


「お前も飲め」
「…あ、はい」


言われるまま猪口を差し出すと、有無を言わせず酒が注がれる。揺れる水面に自分が写っているのを見ながら、は動きを止めた。


「なぜ飲まぬ」
「あの、私…本当に弱くて」
「ほう」
「言うほど飲んだことはないんだけど、前に飲んだ時はすぐに寝ちゃって…」
「それは好都合だな」
「ちょっと、どう言う意味?」


殺生丸の意味深な言葉にが頬を膨らませると、殺生丸は嘲笑を浮かべながら酌を求めてくる。納得いかない気持ちになりながらも、は仕方なく彼の猪口に酒を注いだ。


「仲良いのね、あなたたち」


その声に振り返ると、楽しそうな顔でたちを見つめている曖。隣の刹那は特に表情を変えず、黙々と酒を口に運んでいる。そんな二人を見て先程の仲睦まじい二人を思い出してしまったは、急に殺生丸のことを強烈に意識してしまって、「そんなことないです!」と全力で首を横に振った。その反応がまた曖を笑わせてしまうことになるのだが、には曖の言葉を肯定する事は難しかった。


照れと焦りと酔いで顔が真っ赤になっているに、曖はもう一度ふふっと笑って口を開いた。


「そうだ、今日は私と同じ部屋で寝ましょう」
「えっ?」
「二人で、色々お話ししたいもの。…あの人たちのこととか」


そう言って曖がチラと刹那の方を見やるので、もこっそりと殺生丸の方を盗み見た。刹那と同じく黙々と酒を飲んでいて、と曖の会話は全く興味がなさそうに見える。この距離なので殺生丸も刹那も当然会話の内容は全て聞こえているだろうから、何も言わないと言うことはお前たちの好きにしろということでいいのだろう。は無駄だと思いながらも一応手で口元を隠し、声を潜めて言った。


「あの二人、放っておいて大丈夫かな?」
「それなら心配ないわよ」


と違って会話の内容を隠す様子がない曖昧は、もう一度軽く刹那の方を見てから、に向き直る。


「刹那、うちの敷地内で暴れたら即追い出されることになっているから。大人しくしててくれるはずよ」


「もちろん、挑発になんて乗らないから安心して」と、わざと刹那に聞こえるように大きな声で言う曖。前に何かあったのかな、などと想像しつつチラと刹那の方を見ると、大きく表情を変えることはないものの、どこかバツが悪そうな顔をしているようにには思えた。


前世の私、なかなか強いなぁ。そんなことを思いながら、は手に持った猪口を口元に運んだ。






「やっぱり、飲まないほうがよかったかな…」


急激な眠気に襲われながら、は用意された布団の上に正座した。


「まあまあ、たまには良いじゃない。旅をしていたらお酒なんて飲めないでしょう?」
「まぁ、そうなんだけど…」


隣の布団の上に座っている曖は、とは違って元気そうな顔をしている。前世の姿といってもなんでも同じわけではないんだろうか、とか、それとも自分も飲み慣れてしまえばああなるのだろうか、などと考えていたが、同時に眠気が襲ってきて、口に出すことはできなかった。


そんなの様子を見て曖は一度小さく笑みを漏らすと、すぐに真面目な顔になって、真っ直ぐにの目を見つめた。


「…あなたたちって、恋人なの?」
「えっ!」


突然の質問に驚いて、眠気が一気に吹き飛んでしまう。は口をパクパクさせたまま、曖の目を見つめ返した。


「なっ…なん、なんで!」
「だって、仲良いし、一緒に旅してるみたいだし」
「…そんなに仲良く見える?」
「ええ」


淀みなくうなづく曖に、はなんと返していいかわからず目を逸らす。と言っても曖が思うような関係では全くないのだが、自身は殺生丸のことを好きではあるので、その辺りをなんと説明したらいいかわからなかった。とりあえず話を逸らそうと、「あなたたちは?」と尋ねた。


「うん、私達は恋人よ」
「っ!」
「一応、夫婦になる約束もしたわ」
「えっ!」
「…でも、反対されてるのよ。さっきの叔母さんに」
「…」


悲しい顔をする曖に、はなんと言っていいかわからなかった。


曖の叔母は、曖のことを当主といっていた。そして、曖は自分のことを「両親がいない」とも言っていた。その二つを繋げて考えると、曖はこの村の長であり、のちの世継ぎとなる子を設けなければならないことになる。そうなると、外部の者、まして妖怪と夫婦になろうなど、反対されて当然だとにも考え至った。


言葉を探していたに、曖はうっすらと笑って口を開いた。


「気を使わせてごめんなさい。でも大丈夫よ。私、絶対諦めないから」
「そ…そうなの?」
「今回もね、毎日毎日二人で後を追い回して説得してたら、刹那のこと出入り禁止にされちゃって。腹が立ったから、儀式のとき以外は絶対にこの家に足を踏み入れないからってあちこち逃げ回ってやったわ」
「…そ、そうなんだ」


それであの叔母はあんなに強烈に怒っていたのかと妙に納得しながらも、前世の自分も相当に強烈だなと思わず苦笑いしてしまう。そんなを気にした様子もなく、曖はから目を逸らすと、静かに口を開いた。


「…正直言うと、あなたが羨ましい」
「え?」
「失礼なのは、わかってるんだけどね。でも、一緒に旅をして、いろんな場所を見て回って…そんな生活に、ものすごく憧れてしまうの」


どこか遠くを見つめながら、ぽつりと零すように話す曖。その横顔には、その目には、はっきりと憂いが見てとれた。


「お父様とお母様が亡くなって、私が当主になったばかりの頃…何もかも嫌になって、この村から逃げ出したことがあったの」


膝を抱えるように丸くなって、顔を俯ける。すっかり眠気の飛んだは、曖の方に体ごと向き直ってその顔を覗き込んだ。


「いくあてなんて当然なくて、あちこち彷徨ってたら、お腹が空いてきて、しかも雨まで降ってきて…どうにも出来なくて森の中で立ち往生してたら、刹那に出会ったの」
「…雨」
「ん?」
「あ、いや…なんでもない」


私と殺生丸が出会った時と同じだな、と思っただが、曖の話を遮るのは申し訳なく感じたので、首を軽く振って曖にそう返した。


「そのとき刹那、ちょうど人間絡みのことで困ってて、私の食住を面倒見てもらう代わりに、刹那の困りごとに協力することになって、…それからなんとなく、一緒にいるようになって、いつの間にか、一番大切な人になってた」


刹那のことを語る曖は優しい顔をしていて、本当に刹那のことが好きなのだなと、は改めて思った。そして、そんなふうに真っ直ぐに相手を思えることに、羨ましさもそう感じることは、もしかしたら曖に対して失礼かもしれない、とも思いながら。


「と、私のことより、ねぇ、あなたはどうなの?」


顔を俯けていたはずの曖が、いつの間にかにやっと笑ってを見つめていた。うまく話を逸らせたと思っていたは、また自分に矛先が向いてしまったことに気まずさを感じつつも、相手にこれだけ語らせてしまっては自分だけ誤魔化すわけにもいかないだろうと、仕方なく口を開く。


「私たちは、恋人とかじゃなくて…ただ一緒に旅してるだけ」
「え?本当に?それだけ?」
「そ、そうだけど…」
「そういう気持ちは微塵もないの?」
「…私は…好き、なんだけど…」


言いながら猛烈な恥ずかしさに襲われて、言葉がだんだんと尻すぼみになってゆく。曖はそんなを見て満足そうに笑うと、布団に潜り込みながら言った。


「なら大丈夫よ。あなた達は絶対、両思いだから」
「えっ!?」
「だって、そう見えるもの」


曖はそういうと、早く寝ましょ、と言って黙り込んでしまった。は落ち着かない気持ちになっていたものの、曖がそれ以上何も言おうとしないので、仕方なく布団に潜り込む。


目を閉じると、すぐに先ほどまでの眠気がぶり返してきて、一気に意識が遠のいていく。曖が「おやすみなさい」と言ったのが微かに聞こえたので、最後の力を振り絞って「おやすみなさい」と答えたところで、は眠気の波に飲み込まれた。






虫さえも鳴かない静まり返った中庭で、殺生丸は静かに空を見上げていた。曖には刹那と同じ部屋で寝るよう言われ、布団も用意されていたが、当然殺生丸にも刹那にも同じ部屋で寝る気はなく、どちらが部屋を使うかという話し合いですらする気もなかった殺生丸は、呼び止めようとするや曖を無視してさっさと部屋を後にした。それからは、見つかって声をかけられるのも面倒なのでしばらく人の気配のないところでやり過ごし、ようやく屋敷の人間達が寝静まった頃合いを見計らって、こうしての部屋の近くまでやってきた。


はおそらく全く警戒していないだろうが、殺生丸はまだこの村のことを信用していなかった。というのも、村の周りに張られていた結界、あれは侵入を阻むだけではない、村から出ようとするものすらも許さないものであると気が付いたからだ。その理由は簡単、外に出たものに夢見師の村のことをバラされないようにするため。ふらりと迷い込もうものなら、次にこの村から出るときには死体になっていることだろう。


が曖と一緒にいる間はそこまで警戒する必要はないだろうと思ったものの、すぐに動けるようにしておくに越した事はない。そして、この人間の村の中で殺生丸が他にやることなど何もない。そう言った理由から、こうしてに何かあればすぐに駆けつけられる場所で静かに月を眺めていた。


「…おい」


静かな空間に、低く控えめな声が響いた。


顔を見ずともわかる、声の主は刹那だ。殺生丸はもちろん刹那の存在に気がついていたが、何も反応せず、身動きもせず、ただじっと月を眺め続けた。


「お前、恋人なのか、あの子と」


刹那の言葉が予想と違っていて、殺生丸は思わず刹那の方を振り返った。その眼差しは真剣そのもので、なぜそんな顔をする必要があるのかと疑問に思ったが、口には出さなかった。


「…くだらん。なぜそんなことを聞く」
「別に。気になっただけだ」


素っ気ない言葉の割に、殺那の目は変わらず真剣だった。だが、そんなふうに見つめられても、返す言葉はひとつしかない。殺生丸は刹那から目を逸らし、再び月を見上げた。


「その様な関係ではない」
「…嘘だろ?」
「嘘をつく理由がない」


はっきりとそういい放った殺生丸に、刹那は驚いた顔を見せた。だが殺生丸にしてみれば、刹那が驚いていることの方が驚くべきことのように思える。


そんな殺生丸の心情を気にした風もない刹那は、小さく息をつくと、縁側に腰を下ろして、自分の膝に頬杖をついた。


「俺たちとは違うんだな」
「妖怪のくせに人間の女と恋仲など、くだらん」
「人間とか妖怪とか、そんなに大切か?」


そういった刹那の声が妙に力を持っているように聞こえて、殺生丸は再び刹那を振り返った。その瞳は一切の迷いなく、真っ直ぐに殺生丸を見つめている。


「ああ、その立派な身なりからするに、お前いいところの生まれだな。だからそんなくだらいことを気にしていられるんだろ」
「…何を言っている」
「俺はお前と違って、生まれも育ちも良くない。人間だろうが妖怪だろが、弱いやつは従えて、強いやつは蹴落として生きてきた。今だって、たまたま愛した女が人間だっただけだ」


そういって刹那は立ち上がると、先ほど自分たちように用意された部屋に向けて歩き出す。その背中を、殺生丸は何も言わず、静かに見送った。


刹那の言葉を思い返しながら、ふと空を見上げる。満月に近い月が丁度真上に見えて、少し眩しい。目を細めながら彼は湧き起こる感情を抑え込もうとしていた。


「(この私が、人間の女如きに)」


そう思えば思うほど、の顔が浮かんでくる。殺生丸はそれを振り払うように、一度軽く首を振った。



2005.02.04 friday From aki mikami.
2021.11.17 wednesday 加筆、修正。