桜色


「そう、仲直りしたのね!よかった!」


心からホッとした顔で、かごめが笑う。他の面々も、みなの顔をみて優しく笑みを浮かべていた。


「うん、もう大丈夫!ありがとうかごめちゃん。それに、みんなも…本当にごめんなさい」


深く頭を下げるに、かごめは慌てて顔を上げるよう促した。


「良いのよ。私はちゃんと現代に帰れて、嬉しかったから」
「私どもも、様の気が楽になったのなら、一向に構いませんよ」


そう言って、穏やかに微笑む弥勒。その視線の端にわずかに殺生丸を捉えると、彼はどこか不機嫌そうに、木の幹に身体を預けて立っていた。どうやら、このやりとりが終わるまでを待っているつもりらしい。
本当に、優しくなったものだと、改めて思った。


は、一行の顔をぐるりと見、申し訳なさを感じながらも、出来るだけの笑顔で微笑んだ。


本当は、の中の引っ掛かりがまったくなくなったわけではない。林檎と殺生丸が幼馴染以上であるなら、今後も同じような気持ちになることもあるだろう。


だが、だからと言ってが殺生丸を嫌いになれるわけではない。離れてしまうことも、考えられなかった。


それならば、今はただ、殺生丸の傍に居よう。
…そう、思ったのだ。


「本当にありがとう」


は言いながら、もう一度彼らに頭を下げた。そうしてゆっくりと顔をあげると、かごめと珊瑚が歩み寄ってきて、の手をぐっと握った。…それだけで、不思議と勇気がわいてくるような気がした。


ふと、今まで微笑んでいた珊瑚の顔がきっと険しくなった。その目線は自分の後方…殺生丸に注がれていることに気づき、は思わず殺生丸を振り返る。彼はこちらを振り返ることもなく、静かに目を伏せていた。


「殺生丸…ちゃんを泣かせるなよ」
「…貴様に言われずとも」


珊瑚を見ずに、殺生丸がそう答え、伏せられた目を開く。その目線がまっすぐに を捉えると、ゆるりと笑う彼女と目があった。


「行くぞ、


そう言って踵を返す殺生丸。
はかごめ達に一礼すると、笑顔のままで、その背を追いかけた。






ちゃーーーん!」


りんが叫びながら駆けてきて、の足元に絡み付いた。


「りんちゃん…」
ちゃん、どこ行ってたの…!?りん心配したんだよ?」


目に一杯涙を溜めているりん。その様子を、少し離れたところから険しい表情をした邪見が見守っていた。


「えっと…」


なんと答えようか、は迷ってしまう。正直に言うのは気が引けるが、ぱっと思いつくような嘘もない。ちょっと出かけていたのというにはあまりに長すぎるし、そもそもこんなに泣かせて、下手な言い訳をしてもいいものか。


りんの目線にしゃがみこみながらが答えあぐねていると、代わりに殺生丸が口を開いた。


「…里帰りだ」


思いもよらない言葉に、はつい驚いた顔をしてしまった。だが、確かに「里帰り」なら嘘にはならないし、長く不在にしていた言い訳にもなる。


「お家に帰ってたの?」
「う、うん」


頷くと、りんが満面の笑みでの首にしがみついた。


「じゃあ、りんのこと嫌いになったんじゃないよね?」
「そんなわけないでしょう。りんちゃんのこと、みんなのこと、大好きよ」


しがみついてくるりんを、ぎゅうと抱きしめる。向こうで邪見が「殺生丸様を煩わせおって!」と怒ってそっぽを向いたが、鼻をすする音が聞こえてきたので、彼なりに心配していたのだろう。なんだか微笑ましくて、愛おしくて、まで泣きそうになってしまった。静かに寄ってきた阿吽が、二つの頭を順番にすり寄せてくるので、ふふっと小さく笑う。


それぞれとの再会をかみしめていると、ふと邪見の向こうから歩み寄ってくる人影があることに気が付いた。それが誰か気が付いたとき、はりんをそっと放して、ゆっくりと立ち上がった。


「…林檎」
「お帰り、


そういって微笑んだ林檎の顔は、相変わらず可愛らしい。は胸が少しチリチリするのを感じながら、精一杯微笑んだ。


「林檎にも、心配かけちゃったね」
「いいのよ、私は別に。…それより、ちょっと二人で話、出来る?」


林檎からの提案には少し驚いたものの、特に断る理由もない。いいよ、と答えると、林檎は踵を返し、今来た道を歩き始めた。


はりんに行ってくるねと声をかけて、林檎の後ろを着いて行った。






「ごめんね、


しゃがみこんで、足元にたたずむたんぽぽに触れながら、静かに話し始める林檎。は少し驚いたものの、出来るだけ平静を装った。林檎の隣に腰を下ろし、たんぽぽの花に目線を落とす。


「なんのこと?」
がいなくなっちゃったの、私のせいでしょう」
「…」
「…見てたんだよね、殺生丸が、私の頬に口付けたの」
「っ」


は何も言わなかったが、彼女の肩がぴくりと震えたのを、林檎は見逃さなかった。それは、肯定の証。


「やっぱりそうなのね。…あのね、あれには、事情があるの」
「…え?」


思いがけない言葉に、は思わず顔を上げた。林檎は穏やかに微笑み、たんぽぽを愛おしむように見つめている。その姿はやはり可愛らしいが、どこか儚げで、消えてなくなってしまいそうな気がして、は胸がぎゅっと締め付けられる思いがした。


「私ね、呪いがかかってるの」
「呪い?」
「そう、呪い。一日一回、誰かに口付け手もらわないと、妖力が弱っていくのよ」
「…え?」
「ようするにね、口付けで妖力を分けて貰えるってことだと思うの。いつ、誰からかけられたのかも、よくわからないんだけど。…気づいたときには、こんな体だったってわけ」
「…妖力が無くなったら…どうなるの?」
「死ぬわ」
「っ!」


林檎の言葉に、は口元を押さえる。


「…私、それで勝手に勘違いして…泣いてたの?」
「…
「林檎が、辛い思いをしているのに?」


自分が愚かな存在に思えて、は泣き出しそうな気持ちになった。それを見た林檎はゆるゆると首を振って、苦笑を浮かべる。


「良いのよ。何も知らなかったんだから。…それに、の気持ちに気づいてたんなら殺生丸に頼まないで…あの人を探し出せばよかったのよ」
「…あの人?」
「うん。私の…好きな、人」


そういった林檎の笑顔が、今までみたどんな顔よりも可愛らしくて…ただ、どこか泣き出しそうにも見えて、はなんと言葉をかければよいかわからなくなった。確かに伝わってくるのは、林檎は本当にその人のことが好きなのだという気持ち。…なにか、複雑な事情があるのかもしれない。ただ、それを詳しく聞くことははばかられた。


「だからね、殺生丸と私は、付き合ってるとか、そんなんじゃないから」
「う、うん」


今度はいたずらっこのように笑っていう林檎に、は勢いで頷いた。だが、ふと冷静になって、林檎に気持ちがばれてしまって恥ずかしいだとか、林檎が気づいているなら殺生丸も気づいているだろうか、などと考えると、顔がみるみる熱くなっていく。
それを何とかごまかしたくて、はずっと思っていたことを口にした。


「殺生丸は、林檎のこと好きなんじゃないかな。妖怪だし、可愛いし、それに貴女と話してるときは、楽しそうだし…」
「…可愛い、ね。うん。それは確かに、そーかも」


くすっと笑って、林檎は空を仰ぐ。


「でも、所詮私はそれだけでしょう」
「え…?」
「可愛いだけ。…綺麗にはなれないから」
「…林檎」
は人間だけど、私なんかより、ずっと殺生丸にお似合いだと思う。…だって、綺麗だもの」


そう言って微笑む林檎は、相変らず可愛くて、でもやっぱり儚げで、彼女の心の中を、少しだけ覗いてみたいと、は思った。


「それにね、殺生丸は、確かに楽しそうに見えたかもしれないけど…本当に心を許してなんか、いないのよ」
「…え?」
「お前からは、いけ好かないやつの匂いがするって、言われちゃったの。…隠してたんだけどな」


林檎の言葉の意味が理解できず、は首を傾げる。林檎はそれ以上何も語る気がないのか、すっと立ち上がり、をやさしい顔で見下ろした。も林檎を見上げ、ほんの数秒、見つめあう。


不意に林檎があっ、と声をあげ、視線を森の奥へと巡らせた。


「ごめん、。お迎え来ちゃったみたい。…私行くね」
「えっ…林檎…?」
「じゃあね! 殺生丸によろしく!」


手を振って、その場を走り去っていく林檎。
は声をかけようと立ち上がるが、すぐにその背中は森の奥に見えなくなってしまった。


呆然と、林檎が消えた方を見つめていると、今度は反対側から近づいてくる気配があって、は後ろを振り返った。


「相変らず騒々しいな、あいつは」
「殺生丸…」
「だらしない顔をするな」
「わっ」


言いながら、の頭に一枚の布をかける殺生丸。は視界が遮られてふらつきながらも頭のそれを取り去り、視界に収める。それは、見覚えがある布だった。


「これ…林檎の…」


それは、あのとき…殺生丸が林檎に口付けをしていたあのとき、殺生丸がもっていたあの着物だった。薄桃の生地に、白と薄紫で小ぶりな桜模様が描かれている、落ち着いた雰囲気の着物。薄桃ではあるが、模様のためか可愛らしいというよりは綺麗な印象を受ける。生地も上質で、恐らく絹織りだろう、触り心地が良い。


「あの、これ」
「穴の開いたものを、ずっと着ていたいのか」


無愛想な顔でそう言って、もう一枚布をに手渡す殺生丸。…今度は帯だ。黒目の茶に、桜の刺繍が施された帯。


は、自分の来ている着物を見る。先の戦いで穴が開いて、あちこちほつれている。殺生丸にもらったものだからと、直せる範囲で直そうとしたものの、小さい穴はともかく大きい穴は素人では限界があり、何とかこれ以上ひどくならないように気を付けて着ているような状態だった。


先ほどの殺生丸の言葉はつまり、この着物はのためのものだということだ。


「殺生丸…この着物、私がもらっていいの…?」
「…」


目を細める殺生丸。何も答えないのは、肯定の証だった。


は嬉しさで泣き出しそうになるのを必死で堪えながら、手にもった着物に顔をうずめた。


まだ少し新しい布の匂い。それが、「誰か」のおさがりなどではなく、のためだけに殺生丸が用意したものだということを証明していた。


なぜだか、桜の匂いがしたような気がした。


「あり、がと…」
「…早く着替えろ」
「うん」


殺生丸が後ろを向いたので、は笑顔で頷き、帯をほどく。今着ている着物も破ったりしないように慎重に脱いで、新しい着物に袖を通す。するりとした心地よい肌触り。身が引き締まるような思いと、わくわくするような気持ち。そして、の一番好きな花、美しい桜の模様。


ふと思い出すことがあって、は着替えながら殺生丸に声をかけた。


「そういえば、林檎に好きな花聞かれたんだけど…」
「…」
「もしかして、このために…?」
「…」


帯を締めなおしながら問うが、殺生丸は何も答えない。着替え終わって後ろを向くと、殺生丸はまだあちらを向いている。彼が何も答えないのは肯定の意味だろうが、それでもは殺生丸の口から聞いてみたくなって、歩みよりながら彼に尋ねた。


「ねぇ、どうなの?」
「…」
「ねえねえ」
「…」
「ねえってばっ」


くいと殺生丸の着物を引っ張り、自分の方を向かせる。その瞬間、殺生丸とぱちりと目があって、その眼があまりに強い光を放っていて、…吸い込まれるような感覚に陥って、目がそらせなくなった。


時が止まったのではと思うほど、長く、長く見つめあう。春の風が、やさしく二人の間を通り抜け、髪をふわりと揺らす。

やがて殺生丸は、の腕をくいと引っ張った。自分の肩の上にこつんとの頭が乗っかると、その耳下に唇をよせ


「…似合っている」


そう、呟いた。


「―――っ!!」


一気に顔が赤くなる。片耳を抑えて素早く殺生丸から離れると、殺生丸はそんなに勝ち誇った表情を浮かべ、森の方へと歩きだしてしまった。


「っ…それ、答えになってないよ!」


そう叫びながら、先ほど脱いだ着物をもって、は殺生丸を追いかける。


美しい桜色の着物を、まといながら。



2005.02.21 monda From aki mikami.
2019.12.11 wednesday 加筆、修正。